相合傘事変」>>「悪いこととは訳が違う」>>「劣情エスケイプ」>>



「権利の上に眠る者は保護に値しないんだよ!」


そんな頭の良さそうな台詞を吐いたのは同じクラスで一番親しいななちゃんである。可愛い名前の彼女は茶髪の長い髪にパーマをかけ化粧を抜かりなく決めていて、真っ先に美人にフォルダ分けされる容姿だ。元がいいのもあるだろうけれど、染髪とメイクは魔法だと思う。思うだけでプリンやケバくなることを懸念して行動に移さないダメ女子大生とはわたしのことである。
話が逸れたが、彼女のそのフレーズはどこかで聞いたことがあった。ピタリと止まり、脳みそをフル回転させてみる。……ああ、先週の民法で教授がそんなことを言っていた、気がする。あれは何の話だったっけ。


「民法の…」
「そうじゃないから。山田利吉くんの話!」


ああなるほど、とすぐに納得してしまえたのは、この間教室に迎えに来た利吉が彼女のいけめん選球眼に引っかかって以来、ななちゃんが隙あらばわたしに利吉の話を振ってくるようになったからである。だからといって、利吉と権利云々がどう繋がると言うのかまではわからない。


「えっと、」
「幼なじみって特権生かさないで放っといたらすぐに彼女できちゃうよ?!」


ああ、そういうことか。ななちゃんはわたしと利吉をくっ付けたいのだ。しかし残念ながら、その手の話はこれまでの人生で百万回聞いた。耳タコである。「べつにいいよ彼女できたって」むしろ十九年間周りからそれを懸念され続けているにも関わらず彼女いない歴と年齢がイコールなままの彼の心配をそろそろするべきだと思っているくらいだ。わたしの知る限り告白された回数は高校だけでも両手を使うくらいにはもてもてだったのに、利吉が誰かと付き合うことはなかった。誰か心に決めた人でもいるのかと思ったが、今までに彼にすきな人がいるという話を一度も聞いたことがない。いよいよ不気味である。


「なんで!もう大学生にもなるといい男はみんな彼女持ちだよ。山田くんくらいだよきっと、優しくてかっこいいフリーの男の人は!」


確かに優しいしかっこいい。それは素直に認める。でもだからといって、ななちゃんが思うような関係にはならないだろうなあ。最近こそやたら絡んでくるけれどただの気まぐれだろうからそのうちまた全く関わらないようになるだろうし、そうなってもわたしは何かしようとは思わないだろう。わたしにとっての利吉とは大概そんなレベルの人間なのだ。「確かにそうかもだけど、利吉はないな」冷めたように言うとななちゃんはパッと頬を赤らめ眉尻を下げ、更にグーにした両手を顎の近くへ持っていった。可愛い乙女の出来上がりである。


「じゃあ私アタックしていい?」
「いいけど利吉ななちゃんはタイプじゃなさそう」


彼女のミーハーは一年経てばいい加減慣れる。それに加え相手が相手であるので冷静を欠くことも遠慮することもなくバッサリ見解を述べることができた。もちろんこのあとななちゃんにははっきり言いすぎと叩かれたのだけれど。

そんなことを思い出していると利吉に「どうした?」と首を傾げられた。夕食を二つの家族が揃って食べたあと当然のようにわたしの部屋でだべっているこの状況は退室命令を一通りスルーされた結果である。最早時間の無駄なので次からは黙って居座らせておこうと思う。結局流されるんだなあ、そんなことを考えながら「ななちゃんがさ、」と、口にして、ハッとなった。馬鹿め何を言おうとしてたんだ。普通に言っちゃ駄目な話だろ。何か適当なこと言って誤魔化そう、と考えを巡らせるとアイフォンが震えた。ああわたしのだ、と手を伸ばしそれを掴む、前に利吉が画面を覗いた。彼のすぐ近くに置きっ放しにしていたわたしも悪いが、おまえそろそろプライバシーの侵害で訴えるぞ、と思いながら大きな画面を隠すようにそれを取った。…、げ!


「松岡ななって茶髪の子だっけ」
「………見たな」
「ラインの通知ってメッセージ読めちゃうのが難点だよな」


ああごめんねななちゃん。あなたの恋は早くも本人にバレてしまったよ。鋭い利吉はきっとこの短い文面からでも気付いてしまったのだろう。松岡ななが、山田利吉という男を気になっていることを。ごめんねごめんねと心の中で呪文のように唱える。元からうまくいくとはあんまり思っていなかったけれど、こんな形で暴露してしまうのは絶対によくない。「で?」こういうことには慣れっこなのか、利吉は動揺をこれっぽっちも見せなかった。我が幼なじみながら図太い神経である。誤魔化しても無駄だろうと観念して、うな垂れるように頷いた。


「…そう、です」
「へえ。彼氏いそうなのに」
「可愛いよね」
「あれ、推してるのかい?」
「駄目元でだけど」
「ははっ!さすが


何がさすがなのか。利吉はななちゃんみたいのはタイプじゃないということをわかっている点だろうか。それには利吉側にわかりやすい理由があるからで、その話も彼から聞いて確証を得ている。どこもさすがと言われる所以はない。ラインに既読をつけるのが躊躇われ、ななちゃんには悪いけど気付いてない振りをした。利吉が帰ったら誠意を持って受け答えしよう。「…でもさ、駄目元でも推すなよ」「は?」利吉の声のトーンが少し落ちたかと思ったけれど、次の瞬間には胡散臭そうな笑顔を向けていたので気には留めなかった。


「大事な大事な幼なじみに恋人ができたら悲しいものだろう?」
「…どの口が」


自分はちっともそうじゃないくせに、わたしにだけ頷かせようとするのは頂けない。おまえの戯れに付き合ってやるほど優しくないのだ、わたしは。その疑問が、同意を求めているんだって言われたって信じられるわけがない。