07

大学生活を二ヶ月過ごした結果わかったこととして、大学構内では小太郎とは会わない、ということがある。キャンパスの規模は広大というほどでもないと思うけれど、授業の組み方によって特定の一人と一週間一度も顔を合わせないようにするのは容易いのだろう。もちろん意図してやったわけではない。でも二ヶ月も通って会ったのがこないだの帰り道だけというのが現実だった。
とはいっても、大学で顔を合わせたのがあれが初めてだっただけでわたしと小太郎は進学先が同じだということが発覚してから、回数はそこまで多くはないものの連絡は取り合っていた。小太郎が一人暮らしを始めたことにより会うのは久しぶりだったけど、メールやときたま電話を通じてお互いの近況は報告し合っていたのだ。小太郎は自活とサークルとバイトでかなり忙しそうだというのが受け取れ、それ以上踏み込んだことは立場上聞くのははばかれたわたしは世間話の域を脱しない内容を話題に取り上げていた。まさか、幼なじみの間柄を口実に、会いたいだなんて軽々しく言えるわけがなかったのだ。

だから、大教室を出たら向かいの壁に小太郎が寄り掛かって立ってるのに気付いたときはたいそう驚いた。


「こたろう…?」
「…あ!!よかったこっちで合ってた!」


そして、まるでわたしを待っていたかのような彼の物言いにものすごく動揺した。ホッとしたように駆け寄ってくる小太郎にどうしたのと短く問い掛ける。言いようもない喜びに胸は高鳴る、けれど、ぬか喜びなんて今さら自分が許さない。誰かを探してるとかそういうことかもしれない、と膨らむ期待を必死に押さえ付け、彼の返答を待った。


「あのさ、今日このあと暇?」
「う、うん…?」
「じゃーさ、今からどっか遊びに行かない?」


なんと。


「……え、なんで急に…」
「…と遊びたかったから、…じゃダメ?」
「へ、へ?」


なんでわたしと遊びたいと思うかも合わせて答えてくれるとありがたかったけど、小太郎の性格や大学生らしい振る舞いに期待するのは良くないと自分の中で結論付いたのでそれ以上は突っ込まなかった。小太郎はあんなことがあってからもわたしと幼なじみとして親しくしてくれて、わたしはそんな小太郎の性格にむしろ感謝している。それに合わせて遊びたい盛りの大学生であるだけなのだろう。友人もこの間久しぶりに中学の友達と遊んできたと言ってたので、それと同じことだろうと思う。まとめると、小太郎のこのお誘いに特別な意味はない。それでも誘ってくれるだけ喜ぼうと表情の緊張を緩め、この幸せをありがたく受けとめることにした。


「ううん、遊ぼう。どこ行くの?」
「よっしゃ!えっとね…決めてない!」
「決めてないのか」
「電車でちょっと行けばデカい駅あるしそこ行く?何でもあるっしょ」
「でも小太郎定期ないでしょ?」
「べつにいーよ、そんなの」


いやでも、と手を顎にやり考える。大学近くには飲食店だけは豊富で、小太郎はどうかわからないけど二ヶ月程度じゃまだ網羅し切れていないほどの数だ。駅の向こうの実渕くんの家に向かうまでにもいろいろ見かけたし、多分今日夜ご飯を共にするのだとしたらそこらへんで事足りる。三つ下った大きな駅には確かに何でもあるけど、特にやりたいこともないのにわざわざ電車賃をかけて行く必要性も感じられない。何か目的があるなら別だけど…小太郎にはそんな様子も見受けられない。前から彼は思いつきで行動するところがあったし、今回もそんな感じだろうか。
……あ、なんか、この感覚いいなあ。春休み久しぶりに会ったときも思ったけど、小太郎と話すのは気を張らなくて済むから、落ち着くなあ。
そんな風に安堵していたわたしは、ふと、この間言っていた彼の台詞を思い出し、愚かにもそのまま口にしたのだった。


「小太郎、行きたいところとかないんだよね?」
「ないよ?」
「じゃあ小太郎の家行きたい!」


初めて大学で会ったとき小太郎は「今度俺ん家来てよー」と言ってくれた。それだけを根拠に提案したのだ。
それが馬鹿だったと気付いたのは小太郎がピシリと固まってからだった。
何度か瞬きをして、それからハッとする。何をそんな気軽に言ってんだわたし!馬鹿、ほんと馬鹿!人のこと思いつきで行動するとか言えない!完全に失言だ、やばい小太郎引いてる!


「あっごっごめんっ!嘘!なんでもない!」
「………」
「ごめん小太郎〜!」


もう自分でも何を言ってるのかわからず、とにかく謝罪の言葉だけを連呼した。恥ずかしくなって両手で顔を覆い俯き本当にごめんなさいと謝ると、ようやく上から声が降ってきた。小太郎の声だ。


「いいよ」
「…え」
「あはは!今部屋どうなってるっけって考えちった。多分大丈夫!行こ行こ!」


いつもの笑顔を見せ踵を返した小太郎に呆気に取られながら、彼の言葉を半信半疑で頷き付いて行った。無理してるように見えなくもないけど、そう言ってくれた小太郎に対して詮索はしたくなかった。わたしはこのとき、慣れ親しんだ小太郎に対して身の危険なんてものはこれっぽっちも考えてなく、けれどそういう意味を内包する提案をしてしまったことが恥ずかしくて、それだけに拒絶されなかったことに心底ほっとしたのだった。「前も言ったしね。俺も招待したかったんだよ」隣を歩く小太郎に不躾でごめんと肩をすくめると笑われた。……そういえば、小太郎は前、わたしと実渕くんが家で二人きりになることをまるで気にしていなかった。もしかしたらこういうことに頓着しないたちなのかもしれない。一人で焦ってますます恥ずかしいな。

小太郎の家は駅から十分といったところだった。実渕くん家とは方向が若干違うと思ったけれど小太郎曰く飲み会で潰れた日はいつも彼の家に世話になってるらしく、そんな感じのことをこないだの集まりのときも実渕くんが言ってたなあとぼんやり思い出しながら、促された四角いテーブルの前に座った。実家の彼の部屋とはまた違うのが物珍しくてきょろきょろしていると、お茶を持ってきた小太郎が戻ってきて、はい、とテーブルに置いた。ありがとうと言い、早速さっき目についた小型テレビについて尋ねた。


「小太郎ん家はテレビあるんだね」
「うん。入学祝いで買ってもらったヤツ。あんま使わないんだけどね」
「へえー」
「そだ、ゲームあるよ。がすきそうなの。やる?」
「やる!」


よし、と立ち上がった小太郎に続きわたしもテレビの前まで行く。近くの箱にしまわれていたのは昔小太郎の家で見たそれとは違うもので、そういえば以前世間話の一貫でこのゲーム機のことを聞いたなあと思い出しながら、小太郎が楽しそうに組み立てていく手元を見ていた。基本アウトドアな彼でもゲームはそこそこやるらしく、二、三本のソフトが同じ箱に入っていた。


「あ、リモコン取って」
「、えっと、はい」
「ありがとー。……」


座り込んでた近くにあったそれを渡すと、神妙な笑みを浮かべながら目を伏せた小太郎に首を傾げた。どうかしたのと問えば小太郎はうん、と頷きながら、小さく笑った。


「なんか、こういうのいいなあと思ってさ」


その表情が、あんまりにも幸せそうだったものだから、わたしはもう、完璧に当てられてしまった。心臓が大きく脈打つ。どういう意味だろうか、わかりはしなかったけど問い掛ける余裕もなく、そうだねと曖昧に返すしかできなかった。

しかしそんな空気を一変させ「よし!始めよ!」パッと表情を変えた小太郎によってテレビとゲーム機の電源が入れられた。そしてゲームが始まった途端壮大な冒険に二人で大盛り上がりし、さっきのことなんてまるでなかったかのように、手の込んだシステムや可愛い操作キャラクターにすごいすごいと褒め称えているとあっという間に外は暗くなった。
切りがよかったところで終わりにし、わたしは興奮冷めやらぬといった気分のまま外に出る支度をした。さっき考えてた通り、近くのファミレスで食事をすることにしたのだ。


「すごい楽しかった!またやりに来ていい?」


部屋を出て、玄関までの廊下を小太郎のあとに続きながら問う。もちろん、と笑う小太郎が嬉しくて、やったーと素直な喜びを口にした。


「…うん、でもさ、


突然小太郎が立ち止まったため、彼の後ろを歩いていたわたしもおのずと足を止めた。振り返った小太郎の顔を見ようと視線を上げると、感情の読めない笑顔が見えた。


「そういうのは、俺以外に言っちゃダメだよ」


初めて見る顔だった。予想外の言葉に目を見開き凝視する。わずかに滲ませた彼の感情は、苦しそうだったのだ。