03 話してみると実渕くんとは大教室の講義がかなり被ってることが判明したため、授業内容や来月の試験の話で盛り上がって話題に困ることはなかった。彼はサークル内に様々なコネクションを持っているらしく情報が豊富で、彼との会話はとても為になった。会って二度目というのが信じられないくらい実渕くんとは打ち解けることができ、驚き半分喜び半分といった心持ちで夜ご飯を食べていると二十分ほどしたのちチャイムと共にドアが開かれた。案の定小太郎である。 「ごめんお待たせ〜!コピー機めっちゃ並んでたー」 実渕くんから聞いてたけれど、小太郎は今日寝坊して一限に出席できなかったらしく、授業内で配られたレジュメを同じ講義に出ていたサークルの人にコピーさせてもらっていたらしい。実渕くんはお疲れさまとあまり心のこもっていない労いの言葉を投げ掛け、少し移動して小太郎の席を作った。丸テーブルを三人が均等な位置で囲う形だ。わたしたちはほとんど夜ご飯を食べ終わっていたため小太郎が食べ始めると同時にお菓子やつまみを広げた。お酒は三人が揃ってからと決めてたので、前日に小太郎と実渕くんが買い込んだというそれらを全員に回し、小太郎の音頭でようやく宅飲みのスタートとなったのであった。 四月の間サークルの新入生歓迎会で何度か飲んで以来ご無沙汰だった味を懐かしみながら飲み進めて行く。自分があまり強くないと自覚していたのでローペースを保っているのに比べ、どうやら二人はそれなりに強いらしくすぐに一本目の缶を空けていた。そのアルコール度数が自分のものの二倍以上なことに気付いて更に驚かされた。 「二人ともお酒強いね…」 「そお?そーでもないよ。レオ姉は強いけど」 「あんたはハイペースで飲んですぐ潰れるわよね」 「うん、なんか気持ち悪くなる前に眠くなっちゃうんだよね〜」 「へえ…」 「宅飲みならいいけど、外ではやめなさいよね。あんた引きずって家に帰るこっちの身にもなんなさい」 「へへへ、いつもありがとねー」 軽い調子の小太郎はいつも通りだ。実渕くんも目に見える変化はないように思う。飲み過ぎると気持ち悪くなってしまうこちらからすると眠くなる酔い方は羨ましい。ぐっと缶を傾ける。中身はやっと残り半分になったところだろうか。コンとテーブルに置いて一息つくと、向かって右側に座っていた小太郎の短い笑い声が聞こえた。 「もう顔赤い。弱いんだね」 その指摘にハッとして、更に心臓がばくばく鳴る。一緒に飲んだ人にはだいたい言われることだったけど、小太郎に言われるとどうしてこんなに恥ずかしいのか。とりあえず苦笑いだけして、ごまかすようにつまみに手を伸ばした。 それから三時間が経っても盛り上がりが鎮まることはなかった。共通の話題がないにも関わらずそうであったのは何も喋り通していたわけでなく、実渕くんのパソコンでテレビ番組を見てたのが大きな理由だろう。ちょうどクイズ番組と歌番組が一時間ずつやっていたので、それを鑑賞しながら飲み会は進んで行った。 日付が変わろうという現在、すでに目ぼしい番組は終わっていてパソコンは電源を切っていた。小太郎はそろそろキャパオーバーといったところか、顔を赤くしてトイレを借りると言い席を立っていた。そんな小太郎を見送りながらチューハイをあおる実渕くんにはまだ変化は見られないので、本当に強いんだなと思う。 「かなり飲んでたけど結構持ったわねあいつ」 「そうなの?」 「ええ。でももう寝るんじゃないかしら。明日バイトあるって言ってたし」 「え」 そんな予定があるのに今日飲み会を決行する必要があったのだろうか。思わず凝視したわたしの視線に気付くと実渕くんは顔の前で手を振った。 「ああ、すぐそこだし朝一ってわけでもないから大丈夫よ」 「そうか…」 「はどうする?飲み足りないなら付き合うけど」 そんなお誘いに、体を巡るアルコールを感じながら苦笑いをして首を振った。三本飲んだのはなかなかではないだろうか。自分に拍手をしたいくらいで、そんなわたしの限界を実渕くんもわかっているのだろう、返答を予測してたように、そう、と微笑んだ。 「あ〜〜」 トイレから戻ったらしい小太郎はふらふらとおぼつかない足取りで部屋に入ってきた。「寝るなら床ね」と言い放った実渕くんに倣い、小太郎が寝るスペースを作ろうとわたしが腰を浮かした瞬間。 「〜…」 「ぎゃっ」 小太郎がふらふらとこちらに来たと思ったら、倒れ込むように横から抱き着かれた。予想だにしなかった展開に思考回路が停止する。何が起こった。ギギギと壊れた人形よろしく、ゆっくり首を向けると右の視界に明るい髪色が映った。首あたりに顔をうずめられてるため表情はうかがえない。わけがわからない。どうしてわたしは、小太郎に抱き着かれてるのだろうか。アルコールによって速くなった動悸が更に急ピッチで鳴り出す。心臓が悲鳴をあげている。助けを求めるように実渕くんに視線を移すと、彼は驚いたように目を見開いていた。 「ちょっと小太郎、何してんのよ…」 「んー…」 「こ、こたろう、ねえ」 「ほら、困ってるじゃない。変なことしてんじゃないわよ」 「変なことじゃねーし!」 バッと顔を上げたけれど腕は解かれなかった。その声を聞く限り、振り返ったら本当に至近距離に小太郎の顔がある気がして頭を動かすことができず、とにかく彼から逃れるように体を縮こめることしかできなかった。そんなわたしにも、はあ?と顔をしかめる実渕くんにも構わず小太郎は言葉を続ける。 「俺のことすきだもん」 ぎゅうといよいよ心臓が痛い。その台詞とか、腕の感触だとか体温だとかで、もう限界だった。いっそ泣きそうだった。あんたねえ、と呆れた様子の実渕くんが今の台詞をどう受け取ったのか知る由もない。酔いと現状のせいで頭がまるで回らない。小太郎はもはや何も言えず黙るばかりのわたしを置いて、はあ、と息を吐くとまた肩に額を押し付けた。 「でもは俺のことすきじゃないんだよ。ひどいよなあ、ずっと言ってきたのに」 「……」 「…、酔っ払いの言うことだから気にしないでいいのよ」 「あ、うん…」 「まったく、こんな絡み方する小太郎初めて見たわ」 どうしたのかしら、そう言う実渕くんはどうやらわたしと小太郎の過去を知らないらしい。このままごまかすのが正しいのか、いっそ打ち明けてしまうのがいいのか、どちらが正解なのか鈍った頭では考えられなかった。ただ、小太郎の諦めたような、哀愁すら帯びた声は、ここに来るまでに散々思い出していた日々に大打撃を与え、吐く息を震えさせた。自嘲気味な声だった。 「…たぶん小学生のときのだ」 「あら、本当のことなの?」 「うん、小太郎に何回も言われたことあるから」 あとで聞いた話だけど、あの友人も小太郎のことがすきだったんだそうだ。それを聞いたところで怒りも何も湧いてこなかったのは、その頃には何となく勘付いてたからかもしれない。そして、そんなことは、もう関係のないことだった。 「でも、小太郎はもうわたしのことすきじゃないから、きっと昔のことを思い出してるだけだろうなあ」 そう言ったわたしに実渕くんが何か気付いたかもしれないけど、それ以上は追及しないでくれた。 あの子は小太郎にこそ言うべきだったと思う。幼心に小太郎は、わたしをすきになるという一時の過ちを犯したのだ。それでもまだ、そのときのことを思い出すくらいには彼の記憶に残ってるのだと思えばいくらか気持ちはマシだった。小太郎は今でもわたしと親しい幼なじみとして接せるくらいには過去と綺麗に折り合いをつけられたのだろう。わたしだけがあのときの心を捨てきれず、育て続けているのだ。 → |