02

小太郎は保育園児の頃からわたしに対して隠すことなく好意を示していた。天真爛漫というか明朗快活というか、とにかくそういう形容がぴったりの性格ゆえ彼の態度は大胆で、とてもわかりやすかったと思う。大人になったら結婚しようなんていうありがちな口約束はさすがに保育園までだったけれど、小学校に入ってからも小太郎のその姿勢は変わることはなく、彼がわたしをすきだという話はすぐに学年全体に広まっていた。誰をすきかと問われれば真っ先にと即答してのける小太郎は小太郎なりに本当にわたしをすきだったんだろうと思う。それについては、いくら自意識過剰といわれても疑ってない。
最初こそ小太郎の真っ向から来る好意に押されるだけだったわたしも、小学校中学年の頃には小太郎のことをすきになっていて、いつかちゃんと告白されたら自分の気持ちを伝えようとも思っていた。小太郎は日頃から言うだけ言ってこちらの答えは気にしていない節があったことに加え、内向的なわたしはそんな日常のなんでもないときに受ける好意に自分もだと答えるような積極さは持ち合わせてなかったため、結果を先延ばしにしたのだ。そうやって、いつか訪れる告白(というにはすでに明白だった打ち明けごと)に対する答えをしっかり用意していたわたしだったけれど、その受け身な考えが馬鹿だったと知るのはそれから何年も先のことだった。

わたしは訳あって、(当時はそれが本当に正当な訳になっていたのだ)ずっと待ち望んでたはずの小太郎からの告白を、無下にしたのだ。





小太郎と、先日会ったばかりの実渕くんとの宅飲みは実渕くんの家で開催されることになった。彼も一人暮らしをしてるらしく、大学とは最寄り駅を挟んだところのアパートに住んでるのだそうだ。小太郎のアパートも割とその近くだと言い、「今度俺ん家来てよー」といつもの調子で誘われたことが気の置けない間柄であるように思えて、密かに喜びながら頷いた。
三人が五限で終わる今日、二人は所属しているバスケサークルに二時間ほど顔を出したあと迎えに来てくれるらしく、わたしは駅前の喫茶店で時間を潰していた。二階の窓に面したカウンター席に座り、ぼんやりと眼下の道路を眺める。こんな中途半端な時間では大学生の姿も多くはない。半分くらいになったグラスに目を落としてから、腕時計で時刻を確認する。もう少しで二人がサークルから抜ける時間だろう。いつ電話が掛かってきてもいいように飲むペースを上げようと、ストローに口をつけた。





小学六年生になったわたしには当時、かなり信用していた友人がいた。彼女は頭が良く優しくて大らかな人柄で、周囲からの信頼も厚く、大人びたその子の言うことは全部正しいだろうという確信があった。小太郎のわたしへの態度もあって無闇に話が広まれば茶化されるのは明らかだったため、自分のすきな人を明かすのは慎重に人を選んでいたわたしはその友人に伝えても大丈夫だと素直に思えて(かつ、すきな人を教える行為はある種相手への信頼の証明でもあったのだ)、修学旅行の夜でもなんでもない日の昼休み、彼女にだけ打ち明けたのだった。
その子は目を見開いて驚いたあと、すうっと冷静な済まし顔になった。意外だねという彼女に照れながら肩をすくませ、そうかなと答えたわたしはその「意外だね」という台詞の真意をこれっぽっちも掴めていなかった。ただ照れ臭く、わたしは普段小太郎からの好意に対して応えたことがなかったため彼女のリアクションも納得のいくものだったから、深く考えなかったのだ。「でも、」そして今度は、彼女が発した台詞にわたしが驚かされる番だった。


「それってさ、ずっと一緒にいて、葉山くんにすきだって言われたからちゃんもそう思ってるだけじゃない?」


そんな小学生らしかぬ予想外の意見に、一瞬何を言われたのかわからず呆けてしまった。そしてその台詞を反芻し、丁寧に理解していくと、不思議とそうかもしれない、と思えてしまったのだった。思えるくらい、彼女の言葉には説得力があった。
わたしは恋愛感情というものに疎かったから、それでずっと一緒にいた小太郎がすきだと言うからわたしも感化されたのだろうとか、無意識に小太郎に同じ気持ちで応えたいと思ったのかもしれないとか、(当時はそういった可能性たちを上手く言葉にはできなかったけど)いろいろ考えついてしまって、それらを否定できるような強い反論は何も思い浮かばず、彼女の意見を鵜呑みにし、零したのだ。「そうかもしれない」
それに表情を明るくした彼女はだよねと言い、「保育園から一緒にいたんだもんね、そう思っちゃうのもわかる。きっとちょっと離れてみればちゃんが本当は葉山くんをどう思ってるのか、すぐにわかると思うよ」と続けた。すっかり納得したわたしはうんうんと頷く。近くにいすぎるとわからなくなることもあるんだろう。わたしは小太郎に何度もすきだと言われてたから、それにつられて自分も小太郎がすきなんだと錯覚してしまっていたのだ。この子の言う通り少し小太郎から離れたら、勘違いだったと思う程度のものかもしれない。そんな判断もつかないでいたのにすきだなんて、恥ずかしいな。真っ先に本人に言わないでよかった。さっきより縮こまって照れるわたしに友人は目を細めて、相談してくれてありがとうと笑った。





カウンターテーブルに置いていた携帯電話が振動した。発信者に幼なじみの名前が表示されているのを確認してから、応答ボタンに触り携帯を耳に充てる。


『あ、もしもし?』
「うん」
『わりーちょっと用ができちゃってさ、すぐ終わると思うんだけど、』
「あー、わかった」


急用だろうか、内容は見当もつかなかったけど、どうせ宅飲みの夜は長い。少しくらい開始の時間が遅れても問題ないし、こっちもまだ飲み物が残ってるので待てと言われても平気だ。
そう考えながら、一応目安の時間だけでも聞いておこうと口を開いた瞬間、電話口からとんでもない事後報告が聞こえてきたのだった。


『そんで、レオ姉がそっち行ったから先二人で家行っててくんない?』
「…………え?」


いま、なんて?一瞬頭が真っ白になり思考回路が停止した。だから、と再度告げられた台詞も、ただの繰り返しでしかなかった。
この間初めて会ったばかりの人と二人きりになるなんて気が重すぎて潰れるレベルだ。確かにあの駅までの帰り道でそれなりに会話はしたけど、すべて小太郎も交えてのことだ。小太郎という仲介なしにわたしと実渕くんだけで円滑なコミュニケーションが育めるとは思えない。そりゃあ彼はキャラこそ濃いものの現段階でかなり好印象の人間であるし、これから先交友関係が築けたらいいとも思ってる。思ってるけどあれ以来連絡も取り合ってないし、知り合って日の浅い彼を含めた宅飲みを了承したのだって大前提として小太郎がいたからだ。なのに頼みの綱である小太郎なしに実渕くんと彼の家に向かい、小太郎が来るまで二人でいるなんて、どう考えても気まずい。嫌な汗が背中を伝い、そんな絶望感に見舞われた。


「え、な、んで、」
『あ、初対面苦手だもんな〜。でも大丈夫!レオ姉あんなだけど、いいヤツだから!』
「いや、内面の問題ではな…」
『俺も急ぐからさ!じゃ!』
「…うん…」


何を言っても無駄だと悟ったわたしは素直に頷き、携帯から耳を離した。……一気に気が重くなった…。がくりと頭を垂れる。実渕くんは言動が女性に近いからか普通の男の人よりも気楽でいられる。あの帰り道も、居心地は良かった。なんとか、なるだろう、か。……あ!バッと顔を上げ、また腕時計を見る。大学からここまでは十分もかからない。小太郎がどのタイミングで電話を掛けてきたのかわからないけど、すぐに実渕くんは到着してしまうだろう。急いで飲み干し、カバンを持って返却口へグラスを返してから外に出た。話題は、そうだ、小太郎について何か質問でもしてれば間は持つだろう。小太郎早く来い…と、まだ実渕くんすら来てないのに幼なじみの到着を念じることにした。だいたい、初対面が苦手って知ってるのにそうさせるとか…男の人の場合が更に苦手って知ってるくせに、……。

そこまで考えて、気付いてしまった。途端に体の内側が冷えていく感覚がした。
小太郎にとってはもうその程度でしかないのだと。わかってたけど、今までどこか目を逸らしてた。





すきだと真正面から言われたとき、わたしは素直に嬉しかったけれど、やっぱりあの子の言葉が頭から消えず無視もできず、ただの一時の気の迷いだとすら自分を疑ったわたしは、彼の言葉に応えることはしなかった。


「…?」
「わたしは、多分すきじゃない、と思う」


煮え切らないわたしの返答に小太郎は眉をひそめた。当然の反応だろう。けれどその反応がわたしの後ろめたい気持ちを焦らせて、思わずきつく当たってしまったのだった。


「多分ってなに?」
「…すきじゃない!だからもう、そういうこと言わないで、迷惑だから」


あの子に言われた通り、小太郎に好意をぶつけられることが恋心を錯覚した要因の一つであると思っていたわたしは確かにやめるよう言うつもりではあったけど、まさかこんな風に言うつもりもなかった。
このときの小太郎の悲しそうな表情と言ったらない。堪らずごめん嘘だよと言いそうになったくらいだ。わたしはもう、罪悪感という罪悪感に見舞われて、けれどそう感じることがかえって、やっぱり小太郎に影響を受けてただけだったんだと思えて、いやに冷静になれてしまった。


「…わかった。言わない」
「……うん」


そして、俯きしばらく沈黙が流れたのち顔を上げた小太郎はやはり悲しげだったけれど、どこか腹をくくったような表情だった。


「それでも、俺はずっとがすきだよ。絶対だ」


「あ、今ので最後ね!」まっすぐであるその言葉に思わずたじろいだわたしはつい頷くことしかできなかったけれど、数年後に恋心を自覚したあとはおまじないのようにみっともなくその言葉にすがりつくようになったのであった。





喫茶店の外の壁に寄り掛かり、ゆっくりと息を吐く。あの頃は本当に、いろいろ馬鹿すぎたなあと思う。あんなこと言ったんだし、自業自得だよ、幼なじみの関係がなくならなかっただけマシだ。

小太郎は、もうわたしのことをすきじゃなくなってしまった。