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小学生の終わりにあんなことがあってからも小太郎との縁が切れることはなかったけれど、彼は私立の学校へ行きわたしはそのまま学区で定められた公立中学に進学したので以前よりは疎遠になった。三軒隣の小太郎はバスケ部に入り朝早くに家を出て夜遅くに帰ってくる。近くの学校に通っていたわたしとは時間的に会わなくなるのは当然だった。
ときどき遭遇して話す機会があるときも、やはり小太郎は親しげに接してくれた。あんなことなんてなかったかのように、怒ってもいいはずの小太郎は優しかったのだ。他人と距離が近しい彼のスキンシップも相変わらずで、それにうろたえながらもわたしは、すきだと思う心を押し潰すことに心血を注いでいた。このときはまだ、小太郎をすきじゃないという結論が出ることが正しいと思っていたのだ。

それから三年後、京都の高校に行ってしまった小太郎とは年に一回会うくらいで、やりとりはほとんどメールになっていた。そのメールも向こうは相当多忙らしく回数は多くなかったのだけれど。
中学時代薄々勘付いていたことが確信に変わったのは高一の正月、久しぶりに顔を合わせたときだった。高校にかっこいい人がいなかったとか、クラス仲がそこまで良くなかったこととかも関係してたのかもしれないけど、一月二日、ご近所同士で新年会が開かれた際、帰省していた小太郎と直接会話をして、やっとわかったのだ。わたしが小太郎をすきな気持ちは本当だと。気付いたときには手遅れだったとはよくある話で、その頃には小太郎の態度は一貫して、気心知れた幼なじみとして接しているというのもわかっていた。
四年前あんな身勝手なことを言って確実に傷つけた手前自分からは何もできず、わたしはそれから先、後悔の念に襲われながら生きることになるのだった。あの友人が小学生の頃小太郎のことをすきで、今はもう別に彼氏がいることを聞いたのはそれから一年後だった。


サークルの飲み会に参加するのは新歓以来久しぶりで、授業が終わり友人と一緒にお店へ向かっている途中だった。この間実渕くんとの会話を聞いていた二人だったので世間話の一環として振られる話題はほとんど彼についてだったけれど、そもそもお互いにその気は皆無なのでいい加減実渕くんに申し訳ないなあと苦笑いしていた。
第一校舎の前を通りかかったところで、ふと目を向けると遠くに小太郎の姿が見えた。あ、と思いつつ立ち止まらずに目で追ってみる。人が多くてうまく捉えられない。ようやく視界が開けて、彼を目に収めようと思ったと同時に。

隣に女の子がいることに気が付いた。

あまりの予想外の事態に驚きすぎて頭が真っ白になった。そのあとすぐに早とちりはいけないと冷静さを取り戻し、サークルの集まりでもあるのかと思いよく目を凝らしてみた。しかし二人の周りにはそれらしい集団はなく、嫌な予感は募るばかりだ。サークルの集まりかもしれない、けど、二人で会場に向かうことなんて、あるのだろうか………。


?」


呼び掛けられて初めて自分が足を止めていたことに気付いた。ハッとなり急いで二人に追いつく。…そうだ、ただ学部が一緒で、授業がたまたま同じだったから、二人で向かおうとしてるだけかもしれない。下手な疑いは良くない。そんなこと……。
心臓が痛くて涙が出そうだった。だって小太郎が本当に、わたしじゃない女の子と二人でどこかに行こうとしてるんだとしたら、どうすればいいのかわからない。全然考えてなかった、小太郎に彼女ができることなんて。

あのときどういう意味で言ったのかわからないけど、わたしだって、小太郎はわたし以外家に呼んじゃ駄目だって、思うんだよ。


ヤケ酒というのかもしれない。支部長の音頭と共に始まった飲み会でわたしは何も考えず飲みまくった。友人が止めるのも自分のキャパも気にせずどんどん飲んだものだから、一次会が終わる頃には当然気持ち悪さが最高潮だった。吐き気もするし頭も痛い。団体はそのまま二次会へと行くらしく友人たちとも店の前で別れた。駅まで送ろうかと心配されたけど二人を集団から離れさせるのも申し訳なかったので首を振って断った。ここから駅まで五分といったところだ。送ってもらうほどの距離じゃないだろうと判断し、別れて二分が経ったところで思い出した。駅のトイレが改修工事中だということを。

やばいかもしれない。まだ我慢できると思ってた吐き気が無理だと思うと急激にひどくなった。ますます頭がガンガンしてきた。どうしよう、隣の駅に行くよりも大学戻るか……いやもう開いてないかもしれない。それより引き返してお店に、むしろこの近くコンビニとかないかな……、と痛む頭のまま地理を思い起こそうとしてると、向かいから見知った人物が歩いてくるのに気が付いた。


「…、……みぶちくん…」
?なんでこんなとこに…ていうか顔真っ青じゃない!大丈夫?」


相当参っていたわたしは恥じらってなんていられなく、駄目かもしれない、気持ち悪い、と泣き言を漏らした。もうほとんど涙目だった。事態を察してくれたらしい実渕くんは逡巡したのち「あと二、三分歩ける?」と問い掛けた。実際今の状況からそれは微妙だったけれど考える余裕もなく頷くと、じゃあ付いてきてと言って歩きだした。


「ウチ来なさい。トイレくらい貸してあげるから」
「……ありがと、…みぶちくん…」
「つらいならしゃべらなくていいわ。…困ったときはお互いさまでしょ」


実渕くんはそう言ったけど、彼と知り合ってから困った状況に陥ったことがあるのはわたしだけだったし、お世話してくれたのも実渕くんだけだから、本当に悪いなあと思う。
お言葉に甘えてそこからは一言もしゃべらず、実渕くん家に着いた途端トイレに駆け込み胃の中のものを全部吐いた。この間の宅飲みでも気持ち悪くなってトイレで吐いたことを思い出して、女としてどうなんだろうと情けなくなる。もう当分お酒はいらないと身に沁みた。
しばらくしてトイレから出ると部屋で実渕くんが水を用意してくれていて、差し出されたそれをありがたく頂いた。冷たい水が喉を通る感覚が伝わって、今自分が生きていることを実感する。そして実渕くんのありがたさには感謝してもしきれないと改めて思った。


「実渕くん、本当にありがとうございました…」
「いいのよ。それにしても、あんたどれだけ飲んだの?前より酷い感じだったけど」


そう言われいろいろ思い出したわたしは、丸テーブルに頬杖をついた実渕くんの目から逃げた。顎を引いて、肩をすくませる。どうしてこんなことに至ったのか、その理由はさすがに実渕くんにも話せそうもなかった。もしかしたら彼はわたしが小太郎をすきなことに気付いてるのかもしれないけど、それに関して口出ししてこないのなら彼はそういう姿勢で接する人なのだろうし、わたしもその方がありがたいと思ってる。
ああでも、そう思ってたってもう全部意味ないのかもしれないけど。


「…ちょっと嫌なことがあって、つい」
「ふうん…?」


苦笑いを浮かべながらそう言い訳をすると、実渕くんは今度も追及しないでくれた。やっぱりわかってそうだなあ。
頭はまだ痛かった。脳が心臓になったかのようにバクバクと脈打ってるみたいだ。「とりあえず、帰らないとね。駅まで送るわ」そう言った実渕くんを先ほどの友人たちのように断ろうと思ったけれど、あの醜態を晒しておいて一人で帰れるというのは説得力に欠けるどころの騒ぎじゃないだろう。そういえば実渕くんと会った場所は駅からこの家までの道のりだったなと今さら気が付いた。
おとなしく帰りの同伴を頼み、実渕くんの家を出た。気分はさっきよりもだいぶ良くなっていて、外の風を涼しいと感じる余裕も出てきていた。


「あんな時間にあんな人通り少ないところ一人で歩いたら危ないわよ。サークルか何かの集まりでしょう?誰かと一緒に帰ってくればよかったのに」
「みんな二次会行くって言ってたし、ほら、うち、男いないから」
「…ああ、そうだったわね、手芸サークルだっけ?」
「そうそう、悪いかなと思って」


友人に気を遣ったつもりだったけど、こうして実渕くんにお世話になってしまっては本末転倒だろう。苦笑してごまかすしかなく、ごめんなさいと謝ると彼はハアと溜め息をついた。夜道はだんだん明るくなってきている。もうすぐ駅だ。


「私はいいけど、……あ」
「え?」


彼の視線を辿り進行方向に顔を向けると、さっき実渕くんを見つけたみたいに、その人がこちらを見て、ひどく驚いた様子で突っ立っていた。