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「そーだ。、土日オフの日ある?」


 ラウンジのテーブル席で向かい合って座っていた当真くんがそんなことを聞いてきたのは、二月も終わりそうなとある水曜日だった。最近ようやく中央オペレーターから転属して防衛任務のサポートに当たる仕事を担当できるようになったわたしは、今日もそのために放課後ボーダーに来て、防衛任務までの時間を当真くんと過ごしていた。当真くんの方はお昼からの防衛任務が終わったあとだからもうここには用はないんだけれど、わたしの任務の時間まで時間つぶしに付き合ってくれているのだ。
 ぐるんと目を上に向ける。頭の中でスケジュール帳を開いて、どこに何が書き込まれてるのかを思い起こす。残念ながらわたしの脳みそは高性能じゃないので、どこに予定があるかくらいしか書き込めない。とはいっても、普段予定が入るとしたら防衛任務くらいだからたかがしれてるのだけど。土日の縦二列を注意して思い出し、間違えないように一つ一つ丁寧に答える。


「今週の土曜日と、来週の日曜日と、再来週の日曜日…は、休みだ」
「お。じゃあ今週の土曜出かけよーぜ」


「! うん!」ほとんど脊髄反射で頷いたと思う。大きく頭を下げて賛成の返事をしたら、当真くんはソファ席の背もたれに寄り掛かりながら、へらりと首を右に傾けて笑った。あ、当真くんも嬉しそう。笑顔からそれが伝わってきて、わたしも気が抜けたように笑ってしまう。
 当真くんも明々後日は休みなんだろう。学生ではあるけれど優秀なA級チームなので、わたしより任務は多く組まれてるはずだ。その彼と予定が合うことはきっと珍しい。
 二週間前、当真くんの作戦室でのことがあってから、わたしは当真くんと、お付き合いをしている。「じゃあこれからそういうことだから」と、お昼ご飯を食べている最中に言われたことはそういう意味だった。わたしの頭はソファの上で当真くんに言われた四文字でさえうまく処理することができなくて、お店で言われたその言葉もどう解釈していいのかわからなかったけれど、次の日今ちゃんが両肩をガシッと掴んできて、「当真くんと付き合ってるの?!」と言ってきたので初めて、本当に付き合ってるって思っていいんだと安心できたのだった。
 どうやら聞いたのは村上くんからだったらしく、その日以降同い年の男の子たちに度々、そういう意味で声をかけられるようになった。「あ、当真の彼女」そう言われることにまだ慣れなくて、呼ばれるたび挙動不審になってしまうのを、男の子たちだけでなく当真くんも軽い調子で笑っていた。


「お、これこれ」


 ハッと顔を上げる。気付くと当真くんはいつの間に取り出したのか、携帯を片手にスイスイと指を滑らせていた。「ほい」そしてテーブルに置きわたしの方へ見せた、その画面を覗き込む。


「おふろカフェ…?」
「そ。ここ行こーぜ」


 映っているのはそのお店のホームページらしく、名前とともに暖かい雰囲気の店内の写真が代わるがわる移り変わっていた。同じように身を乗り出して当真くんが画面を覗き込む。携帯に影がかかる。さっきよりぐっと近くなった距離にわたしは戸惑ってしまい、すぐさま下を向いた。当真くんの顔を見てしまわないように。
 気付いてるのかわからないけど、当真くんはわたしには何も言及せず、ここは温泉とカフェが合体したようなとこで、ご飯も食べられるしお昼寝もできるしゆっくりできるところらしいと説明してくれた。彼の言葉に合わせて操作されたホームページには確かに、温泉と、ご飯を食べるスペースと、お昼寝できるスペースがあることが写真付きで書いてあった。
 最初にパッと思い浮かんだのは一番最近行った大浴場の記憶だったけれど、普通の温泉とは全然違うようだ。出かける先として意外だったので目を丸くしてしまったけれど、当真くんが誘ってくれるのならどこでも行くなあと思う。


「隊長が優待券もらったらしーんだけど、興味ねえってんでよ。なんかもらった」


 なるほど、と下を向いたまま頷く。場所は三門市の隣町だ。電車で一時間くらいかなあ。放課後には行けないし、そもそも見る限りでは一日過ごせそうな場所だ。休日を使って出かけたいと思う。当真くんは前のめりな態勢を元の位置に戻し、どさりと再びソファに寄りかかった。「真木ももらってたから土曜には来んなっつっとくわ」依然楽しそうに笑う当真くんをようやく見ることができて、それからありがとうとお礼を言いながら携帯を彼の方へ直した。


「あ、もう時間?」
「え、……あ、ほんとだ」
「行くか。時間とかは明日決めよーぜ」
「うん」


 隣に置いていたスクールバッグを持って立ち上がる当真くんを待たせないようにあとを追う。当真くんはもう帰るのだろう。付き合ってくれてありがとう、と言おうとして、なんだか違う意味の言葉に聞こえたので、「一緒に残ってくれてありがとう」と伝えた。隣に並んでくれた当真くんはわたしを見下ろして、どーいたしまして、と、笑った。

 当真くんとボーダー基地で会えると決まってから今日の目的はそれになった。なので、ラウンジを出て当真くんとさよならをしたらわたしの今日の目的は終了するだろう。わたしはまだ無所属でどこかのチームの担当というわけじゃないので、同じく無所属の隊員何人かを一時的にまとめたチームのオペレートをすることになってる。まだ今日が二回目だけれど、前回のことを思い出すととてもじゃないが楽しみとは言えなかった。溜め息をついてしまいそうになるのを飲み込んで、スッと背筋を伸ばす。間違っても当真くんに、ボーダーに入ったことを後悔してるなんて思われたくなかった。だってわたしは本当に、そこの後悔はしてないのだ。
 当真くんがボーダー本部に缶詰になってると思っていたあの期間、なんと彼や柚宇ちゃんは、近界民の世界に行っていたのだという。無人機なんていうのは城戸司令の嘘で、ボーダーではすでに何度も近界へ隊員を送る任務を遂行させていたらしい。それを聞いてわたしはひどく驚いたし、次の遠征の話ももう出ていると聞いて不安に襲われた。それと同時に、知れてよかったとも思った。知らないままだったらと思うとぞっとする。
 だからいいんだ。わたしはここで頑張るぞ。気持ちに伴って視線が前を向くと、向かいから歩いてきている人に気付いた。「よー穂刈」当真くんが軽く手を挙げて立ち止まる。そう、同じ学校の穂刈くんだ。


「当真。と、彼女」


 思わずハッと息を飲む。身を縮こめて、うまく呼吸ができなくなる。心臓が余計忙しなくなって、頬にも熱が集まる。彼女、って、わたしのことなんだ…。未だに実感が湧かないよ。

 当真くんと穂刈くんが何か、わたしにはわからない話をしたあと、お互いまた明日なと言って別れた。わたしにも会釈してくれた穂刈くんに対して軽く同じことを返す。けれど当真くんの方は立ち止まったままで、変だなと思いながら顔を上げる。と、彼は何か言いたげにわたしを見下ろしていた。


「まだ慣れねーんだなー」


 そう言って、伸びてきた手はわたしの左頬を包んだ。伝わってくる熱は確かに感じるけど、たぶんわたしの頬の方が熱いんだ。それがわかるくらい、心臓は鳴っていた。


「なれ、?」
「俺の彼女って言われんの」


 どきんとまた一層跳ね上がる。苦しくていよいよ息が震える。何て返せばいいのかまるでわからなくて、わたしはバカみたいに口を開けたまま、当真くんを凝視するしかできなかった。


「いーけどよ。他のことで頭いっぱいにされるくらいなら」


 そう言った当真くんの真意は掴めず、離れた手がわたしの左手を軽く引いた。それがまたするりと離れると、当真くんが歩き出したので、わたしもかろうじて彼のあとを追うのだった。