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 目的地へは片道一時間半、電車を二回乗り換えると到着した。太陽はまだ頂点まで昇りきってなく、店内の壁に掛けられたアナログ時計はお昼の十二時を指していた。
 カフェといっても温泉だからやっぱりそういう古き良きって具合の外観を予想していたけれど、むしろ洋風寄りな造りで外から見たら温泉に入れるようなお店には到底見えなかった。どちらかというと名前の通りカフェだ。
 自動ドアをくぐり中に入ると、お店の中はペンションのような内装になっているのがわかった。フロントの横ではソファが洋風の囲炉裏を囲って置いてあり、その奥にはカウンターが見えるので、あそこがカフェの部分なんだろう。フロントの若いお姉さんは二十代くらいだろうか。大学生にも見える茶髪のその人と当真くんがプラン内容についてやりとりを交わしているのを斜め後ろから眺めていた。行きの電車で教えてもらったのだけれど、ここは温泉に入るだけじゃなく宿泊もできるらしいのだ。暖かな雰囲気はここにいる時点でリラックスできる気がするので、お泊りもできたら確かにいいと思う。もちろん、ボーダーのお仕事があるわたしたちは簡単に二日間も三門市を空けることはできないのだけれど。





 ハッとして顔を上げる。当真くんが振り返って手提げを差し出していた。慌てて受け取り、中を覗いてみる。ちょうど福袋くらいの大きさでこげ茶色の手提げに、バスタオルとフェイスタオルと、館内で着るあずき色の服が入っている。ちらほら見えるお客さんが同じジンベエのような服を着てるから間違いないだろう。「あとこれな」もう一つ、腕につけるプレートを渡される。温泉によくあるロッカーの鍵をなくさないようにするやつだ。今回のは鍵じゃなくて、バーコードがついたプレートだったけれど。なんでもお会計は全部これでまとめるらしく、絶対になくさないよう、フロントのお姉さんに言い付けられた。


「そんじゃ、まずは温泉だな」


 同じ手提げを肩に背負い、館内の奥へと進む当真くんに頷いてついて行く。フローリングの床に目を落としたり、窓に面したカウンターや、カフェテリアのスペースを覗く。一貫して居心地の良さそうな空間だ。おしゃれだし、今どきの人たちが好みそう。


「こりゃ隊長が俺らに譲ったのもわかるわ」
「あはは、確かに……」
「あの人あれでもまだ二十代なんだけどなー」


 そんなことを話しながら、階段を上って更衣室に着く。奥の男湯の暖簾を左手で避けながら、「出たら下んとこで待っててな」と言った当真くんに頷いて、わたしも女湯の暖簾をくぐるのだった。

 下から三段目の丁度いい高さのロッカーを見つけ、そこにカバンと手提げを入れる。このあと服を脱いで、温泉入って、髪の毛を乾かす時間がいる。あんまり待たせないようにしなきゃ。思いながら枠に両手をかけたまま、ぼんやりと意識と身体を切り離していた。

 周りでは高校生の女の子二人が、クラスのうわさ話をしながら着替えている。他にもご近所さんらしい主婦の人たちが化粧台の前に座って世間話に興じていた。一人の人はわたししか見当たらない。
 それもそうだ。ここの目玉が温泉だとしたら、その温泉を一緒に楽しむためには同性と来なきゃだめだ。じゃないと一番楽しい部分を一人で過ごすことになってしまう。それなのに当真くん、わたしなんかと来てよかったのだろうか。
 大浴場に向かう女の人二人組がわたしの後ろを通って我に返った。……とにかく、早く入ろう。そういえばわたし、一人の温泉って初めてだ。







 ジェットバスや露天風呂を一通り堪能したあと、急いで髪を乾かして外に出るとすでに当真くんが待っていた。「ごっごめん…!」やっぱり露天風呂でボーッとしすぎたんだ、気付いたら周りにいたお客さんが総入れ替えしてて驚いたくらいだもの、相当長い時間いたんだ。申し訳なさに眉をハの字に下げて謝ると、当真くんはへらりと笑ってそんな待ってねーよと返してくれた。


「ほい」
「?」


 渡されたそれは牛乳ビンだった。指ですぼまっている首の部分を挟んで持っていて、二本のビンがぶつかってカチンと鳴る。「コーヒー牛乳飲めんだろ?」「う、うん…」首を傾げる当真くんにおずおずと頷くけれど、もらっていいものかと逡巡してしまう。そんなことにも慣れたものなのか、当真くんはわかったように遠慮すんなってとその手を更に突き出して、受け取れと言わんばかりに軽くビンを逆さにしてみせた。


「ありがとう…」
「ん。……俺が飲みたかっただけだっての」


 申し訳なく思いながらも受け取り、ハッと顔を上げると「金もいらねー」と釘を刺されてしまった。ラーメンをおごってもらったときと同じ感じだ。きっとどうしようもできないだろう。両手で包んだビンはひんやりと冷たかったので、当真くんの言う通り彼はそんなに長い時間待ってないのかもしれない。手提げは肩にかけ、空いた手で前髪を掻き上げた当真くんを一瞬だけ見遣って、すぐにコーヒー牛乳に目を落とした。そばのテーブル席に腰掛け、ぺりぺりとカバーを外してフタも取る。ぐっとあおる当真くんにならって一口飲めば、甘くてほろ苦い味が口に広がった。ああこれぞコーヒー牛乳だ。コンビニとかで買うよりもビンに入ってる方が断然おいしく感じるのはどうしてだろう。自然と笑みがこぼれた。


「女湯は泥パックあったんだろ?」
「うん、あ、でもやってない。食べそうだったから」
「食べそうって。そりゃやべーわな」


 当真くんがおかしそうに笑う。彼の言う通り、外の露天風呂の隣には泥パックコーナーがあって、鏡の前に無料でつけていいパック用の泥が置いてあった。ペタペタつけるのは楽しそうだったけれどなんだかうまくできなさそうで、わたしは一生懸命に塗っている彼女たちから目を離して、静かに肩までお湯に浸かっていた。

 あっという間にコーヒー牛乳を飲み終えたあとは、お昼に丁度いい時間だったのでご飯を食べた。同じ服を着た人たちに混ざって座った木のイスとテーブルはキャンプ場に来た気分にさせた。
 そのあとはマッサージチェアを試したりうたた寝スペースでゴロゴロした。四時くらいになると囲炉裏近くのソファに並んで座り、ドリンクサーバーのお茶を飲みながら談笑していた。実にのんびりとした時間を、過ごしていた。


「いいなあここ。ゆっくりできて」
「ね、冬島さんにお礼しないと」


 だな、と目を細める当真くん。午後になってお客さんが増えてきたと思う。ソファに座りたい人も多くて、「、こっち詰めな」と当真くんに手招きされた。ハッとしていそいそ腰を動かすと、微妙に空けていた隙間はほとんどなくなってしまう。それにうろたえるのは毎度のことながらわたしだけで、当真くんは長い足を持て余すようにソファの上に乗せるだけだった。


連れてきて正解だったなー」
「ほ、ほんと?」
「ほんとほんと。なんで?」
「え、あ、ここの目玉は温泉だと思ってたから、当真くん、わたしでよかったのかなって思ってた…」


 さっきも考えてたように、必然的に一人になってしまう温泉にわたしと二人ではつまらないんじゃないかと危惧していた。実際は、目玉と言えるのかわからないほど他の部分も魅力的な場所だったのだけど。肩をすくめるわたしにそんなことかと呆れたように笑う当真くん。両手に持っていた紙コップはもう少しで空になりそうだ。と、落としていた目線を上げる。


「まあ俺も単にのんびりできっかと思って来ただけだけど。温泉が目玉でもおまえ連れてきてたぜ」


 曲げたひざに乗せた腕に、こてんと頭を傾げる。そうして穏やかに笑う当真くんを、わたしは紅潮した頬で見ていた。


「一応今日、の転属祝いだからな」


 どっどっと痛い心臓は目を潤ませるらしい。こぼれはしないそれは眼球を覆い、きっと泣きそうに見えたんじゃないだろうか。
 だってわたし、全然慣れなくて。ずっとすきだった当真くんと付き合えても、彼女らしいこと何もできなくて、うろたえてばかりで情けないって思ってたんたけど。それなのに当真くんは愛想尽かずにこんなわたしの相手をしてくれて、わたしのためにお祝いまでしてくれるのだ。


「あ、ありがとう…」
「おー、こんなとこで泣くなよー」


 わさわさと頭を撫で回される。大きな手の感触は相変わらず心臓を痛めつけるけれど、同時に心地よかった。


「わたし、ちゃんと当真くんに見合う彼女に、なりたいなあ」
「ははっなんだそりゃ」


「じゃあ楽しみにしてんなー?」わたしの顔を覗き込んでなだめるように笑う当真くんに、いよいよ零れてしまいそうだった。この先も、わたしはもっと当真くんに近づいていいんだと思うと、泣きそうなくらい嬉しくてたまらなかったのだ。