3.

 高校三年生になって初めて同じクラスになった当真くんについて、わたしが知ってることはほんの少ししかなかった。
 ボーダー隊員であることは風の噂で聞いて知っていた。その中でも優秀な人であること。でも頭はあんまりよくない。いくつかのクラスが合同で補講をしたときにときどき見かけていた。あと彼の姿を見るのは廊下ですれ違うくらいだった。彼は長身なのでよく目立っていたけれど、飄々としていて、見た目や身長の割にいかつい人でないことは、友人と話す彼を見て知っていた。

 その程度で人をすきになれるんだから、わたしは単純な人間なのかもしれない。単純だろうが難儀だろうが何でもいいけど。進級してクラスに当真くんがいると知ってから、気付くと当真くんのことしか考えてなかった。でも話しかける勇気はなくて、毎日見てるだけだった。その当真くんと初めて話したのは中間テストの補講が終わったあと、当真くんが話しかけてくれたのがきっかけだった。


、帰ろーぜ」


 ハッとして顔を上げる。ホームルームが終わって教室内は物音と話し声で賑やかになっていた。クラスメイトがぞろぞろと教室を出て行く中、わたしは席に着いたまま考え事をしていたらしい。「うん、」目の前に立つ当真くんは手に持ったスクールバッグを肩に引っ掛け、怪訝な顔でわたしを見下ろしていた。


「おまえってよくぼーっとしてるよなー」
「そ、そうかな…」


 心当たりは色々あるから苦笑いを禁じ得ないな。立ち上がりながら頭を掻く。「いーけどよ」そう言ってへらりと笑う当真くんのあとに続くように教室を出た。

 あのときもそうだった。同じクラスで出席者がわたしと当真くんだけだったから、終わったあとわたしに話しかけてくれたのだ。補講で配られたプリントの問題を解いて再度提出、そういう課題が最後に出されたことについてだった。誘ったわけでも誘われたわけでもないけれど、歩きながら話してたら一緒に帰ってるみたいになって、大きな道の十字路で別れた。

 あのときと違うのは、当真くんの向かう先が自宅ではないところだ。そしてその分、一緒の帰り道が少しだけ長くなる。


「近々またしばらく学校休むことになんだわ」
「え、」


 隣を歩く当真くんが唐突にそんなことを言った。ちょうど校門をくぐったところだった。驚いてしまい彼を見上げるも、調子は普段通りで特別何かを内包しているようには見えなかった。だからたぶん、当真くんにとっては苦でも何でもないことなんだろうと予想ができた。

 前にもそういうことがあった。詳しくはわかんないけど、長い期間でボーダーのお仕事があるらしい。学校にも来れないくらいだから、あの基地の中で缶詰になってるのかなと勝手に考えている。


「どのくらい来れないの?」
「まだ決まってねーけど、一、二週間くらいじゃねーの」
「そっか…」


 わたしはボーダー組織のことはよくわからない。当真くんに興味を持つまでは感謝の気持ちこそあれ深く考えたことはなかったし、彼と関係が始まって今ちゃんたちみたいなボーダー関係者の友達ができてからも、詳しく聞くことはなかった。守秘義務というものがあるのか、向こうがあまり話したそうにしてなかったのがわかったから、わたしも根掘り葉掘り聞こうとは思わなかった。
 だからわたしは物分かりのいい人になった気分で、何でもうんうんと頷く。当真くんとしばらく会えなくなるって言われても、うんうんと頷いて、なんでなんて聞かない。いい子になる。


「ノート取っとくね」
「お、さんきゅー」


 わたしが当真くんの役に立てることといったらこれくらいだ。それに普段やることのないわたしの暇な時間を、当真くんのノートを書くために費やせるのならなんて有意義なことだろうと思う。わたしなんかでよかったら、前のときも任されたかったよ。

 初めて話したあの日から当真くんはわたしに話しかけてくれるようになった。たぶん、当真くんはわたしが当真くんをすきなことを知ってるんだと思う。だってわたし、すごくわかりやすい人だ。今ちゃんたちにだってすぐバレた。当真くんはテストの点数は良くなくても、そういう勘は鋭い人だと思う。
 そう、それで、今ちゃんたちが言ってるのはそのことだ。当真くんはわたしの気持ちを知っていながらわたしに話しかけて、誘って、触れてくる。「思わせぶりよね」今ちゃんが前に言っていた。いいようにされてると何度も言われた。

 いいようにされてたら、嫌だと思うのが普通なのかなあ。

 当真くんをすきになってから、自分がいかに単純構造の人間であるかを身にしみて感じるようになった。横線のないあみだくじのように、複雑な移動もなくストンと結論が出る。あまりいいことじゃないとなんとなくわかっていながらも、わたしは善悪の判断もロクに下さず当真くんを享受するだけだ。いいことと悪いことの境界を限りなくぼかして、どっちがどっちでもよくなってく。当真くんがいいならいい。


「おい?」


 腕を引かれ立ち止まる。気付くと目の前には無機質なシャッターが立ちはだかっていた。……ボーダー組織の連絡口。「なに突進しようとしてんだよ」呆れた声が降ってくる。どうやらいつの間にか当真くんの目的地に着いてたらしい。今日当真くんは学校から直接ボーダー基地に行くのだ。わたしの家は通り道なので、当真くんと一緒に帰れる。


「またぼーっとしてんの」
「ごめんなさい…」
「……あー…」


 当真くんは頭をがしがしと掻いたあと、「ちょい、こっち」掴んだままのわたしの腕を引いて連絡口の裏側に連れて行った。もともと人通りの少ない場所だったし、裏側は建物の陰に隠れて薄暗かった。
 トンと押され背中が壁に当たる。制服越しにひやっとした冷たさが伝わってくる。左手で肩を押し付けられ動けない。「とう、」反射的に顔を上げる、と、至近距離に当真くんの顔が見えた。焦点が定まらず視界がぼやける頃に、くちびるに柔らかい感触をうける。

 数秒間、呼吸も思考も停止する中、心臓の音だけは、やたらリアルに響いていた。


「ごちそーさん」


 屈んでいた背筋を戻し、ぺろりとくちびるを舐める当真くんを、わたしはどこか、別世界のことのように見ていた。






 心臓の拍動回数は一生で決まっていると聞いたことがある。
 だったらわたしはすぐに死んでしまうだろう。死んでしまえたらと思う。当真くんと会えない二週間をどうやって過ごそうかと考えるのも億劫だ。
ほら、もう、なんだっていいのだ。