12.

 オペレーター専用の制服に身を包んだまま、講習室から伸びる通路を歩いていく。もうすぐでカリキュラムは終わって、次から実践形式の訓練が始まるらしい。座学ではトリガー技術からオペレーターの仕事まで一通り学んだと思う。今ちゃんたちから事前に教わりはしてたけど、ボーダーについて本当に初心者のわたしには覚えることが多すぎて、講習のあとは毎回頭がパンクしそうになる。門外不出のテキストは講習室の外には持ち出せないし、メモを取ったノートも更衣室のロッカーにしまうことを義務付けられてるので家で見返すことも叶わない。トリガーの技術が特殊であるがゆえの措置らしいけど、そのせいで勉強中のわたしは復習をボーダー基地内ですることを余儀なくされていた。
 これだけ厳重な箝口令が敷かれてるんだから、そりゃあ当真くんたちは部外者だったわたしに何も言えないだろう。わたしも聞かなくてよかったとしみじみ思う。でもこれも全て市民を守るためなんだから、文句は言えない。

 ボーダー入隊の試験を受け、見事合格してから二週間が経った。本部所属のオペレーターとして、わたしはいま勉強中の身だ。今ちゃんに聞いた話だと、戦闘員は決まった時期に全員一斉に訓練生として入隊するらしいのだけれど、オペレーターは志願者の数も戦闘員ほどじゃないため随時入隊させてく方針なんだそうだ。


「あの記者会見以降ボーダー入隊希望者がかなり多いみたいでね、その分オペレーターも必要になってくるから」


 おととい、学校でお昼ご飯を食べながら今ちゃんが言った。「あのメガネくんのやつか」柚宇ちゃんが卵焼きを摘んだ箸を口へ運びながら繋げる。それを聞いて、テレビに映っていた会見会場の様子をぼんやりと思い出した。わたしが見たのはニュースだったけど、どうやら編集なしの記者会見もどこかのテレビ局では放送されてたらしく、それを二人は見たらしかった。もしくは生中継を録画してたのかもしれない。とにかく、戦闘員が増えるということはその分チームも増え、チームごとに一人必要なオペレーターも必然と数が必要になってくるんだそうだ。じゃあわたし、タイミングがよかったんだなあ。でもあの会見で奪還計画が発表されたのが最後の一押しだったんだから、わたしもなるべくしてこのタイミングだったんだろう。

 勉強する場所を探すも、まだ基地内をよく把握できていないわたしは必然的にラウンジへ足を向けるしか案がなかった。二週間という期間は経っているものの、放課後の短い時間と土日だけで、しかもほとんど講習室にこもりきりなので基地に何があるのかよく把握できていないのが実際のところだ。観葉植物が散らばる中テーブルやイスが並ぶそこにやってき、空いてる席を探すためきょろきょろ首を回すと、すぐに見覚えのあるシルエットが目に入った。まっすぐ伸びた綺麗な黒髪を肩につかない長さで切りそろえた髪型と、これまたまっすぐ伸びた姿勢。迷わず駆け寄り、テーブル席に座る彼女に声をかけた。


「今ちゃん」
「あら、。講習は終わったの?」


 手元に緑茶を置き資料か何かを片手に目を通していた彼女はわたしに気付くと顔を上げた。「うん、今日で最後だった」答えながらテーブルの上に目を移すと、そこはいろんな風景の写真がプリントされたコピー用紙で埋めつくされていた。なんだろう、と思考して、それから思いつく。


「B級のランク戦、だっけ」
「そう。作戦立てるから他のみんなと待ち合わせてるの」


 今の時期やってるらしい正隊員同士の試合はチーム戦なんだそうだ。というか正隊員になるとチームを組むのが普通らしく、そうすると自動的にランキング戦に参加することになる。これは支部でも本部でも変わらないらしい。ここに村上くんや他の隊員の人たちが来るのか、それなら邪魔はできないし、そもそもわたしも勉強しにここに来たのだ。おしゃべりの時間はまだ早い。
 そういえば、同じ美術の授業を取ってる生徒に加賀美さんという女の子がいるのだけど、あの人もオペレーターなんだそうだ。しかも思った以上に世間は狭いらしく、当真くんと仲のいい穂刈くんと同じチームらしい。たまたまラウンジにいたときあらふね隊?のその人たちに声を掛けられて、穂刈くんはそこでようやく顔と名前が一致した。

 そうだ、あのときも、一緒にいた当真くんはあんまりいい顔してなかった。わたしがオペレーターになりたいって言ったときみたいに、笑ってるけど笑ってないみたいな、そんな表情だった。


「当真くんは?」


 思い浮かべていた名前が出てハッとする。今ちゃんらしかぬ言葉の少ない問いかけだったけど、それがわたしに向けられた質問なら聞きたいことはすぐにわかった。それで、いまのわたしじゃ答えられないことも。


「わ、わかんない」
「そうなの?なんか、せっかく同じボーダーに入ったのに本部ではあんまり一緒にいないんだね」


 同情してくれたのか、今ちゃんは申し訳なさそうに肩をすくめるので、わたしもどうしていいかわからず苦笑いを浮かべる。今ちゃんの言う通り、ここで当真くんに会うことはほとんどなかった。偶然会うには当真くんの行動範囲とわたしの行動範囲が大きくかけ離れている。放課後一緒に本部へ向かうときは時間があれば二人でそのままラウンジや当真くんの作戦室で過ごすこともあったけれど、今日みたいな休日で顔を合わせることは、少なくともこの二週間では一度もなかった。さみしい気持ちはあるけど今のわたしにそんなことを口にする権利はないので、正式なオペレーターになるため黙って講習を受けるのみだ。
 でも、入隊する前に考えてた通り、一緒の帰り道が伸びたり、共有できる話題が増えたり、嬉しいことばかりだ。不満はいまのところ一つもない。思いながら形式美として携帯を確認してみると、そこにはいつもの待ち受けは写っていなかった。代わりに、新着情報を表示する暗い画面、が。


「え、メール来てた…!」
「よかったじゃない」


 すぐさまパスコードを打ち込みロックを解除し、メール画面を開いて確認する。短い一文。当真くんからのメッセージはいつもこのくらい簡素だ。目に入ってきたそれを読み終えたわたしは、「ご、ごめん今ちゃん、またね!」「えっ、ちょっと?!」すぐに今ちゃんに別れのあいさつを告げて踵を返した。彼女の動揺の声にも後ろ髪は引かれず、腕に抱えていた荷物を落とさないようにだけ気を留めて駆け出す。オペレーターの制服は走るのに向いてないことを、今日初めて知った。

[講習終わったら作戦室来て起こして(-_-)zzz]こんな短い文章でわたしは走りたくなる。走らざるをえなくなる。わたしを動かす原動力は、そう、いつだって、当真くんでしかなかった。



 ラウンジから当真くんの作戦室への道順は完璧に覚えている。迷わず辿り着いた扉を目の前に、深呼吸して心臓を落ち着かせる。日曜日に会えると思ってなかった。いいや、ボーダーに入る前は思ってた。でも現実はそう上手くはいかなくて、会えないものだと諦めてた。
 センサーに通行証をかざし、シャッター型の扉が開く。入るとすぐ見える大きなソファに、当真くんが横になっているのが見えた。向こう側を頭にして、アイマスクをして仰向けに寝ているようだ。お腹にはクリーム色のブランケットも掛けられている。

 一歩一歩ていねいに、二日ぶりの当真くんへ歩み寄る。熟睡中の彼は静かな寝息を立て、起きはしない。そばまで近寄りローテーブルに筆箱とノートを置いてから、当真くんの顔の前で床に膝をついた。


「当真くん、」


 呼びかけても反応は返ってこない。これ以上の強行突破はできない。でも、起こしてってメールをくれたってことは、わたしが講習を終える時間に合わせて起きたいっていう意思表示だったんじゃないか。気付くのが遅かったからすでに時間は二十分くらい過ぎてる。スナイパーの合同訓練があるのかも、防衛任務があるのかも。でも当真くんは合同訓練をサボりがちだって聞いた。防衛任務は、ここに冬島さんも真木さんもいないから、違うんじゃないかと思う。となると、……当真くんは、どうしてわたしに起こすようメールを送ったんだろう。どうして、わざわざ。おそるおそるといったように、手を伸ばす。外に投げ出された腕に触れる。


「……当真くん、」


 わたしは当真くんに、見返りを求めたことはないと思う。その代わり当真くんの期待に応えるようなことも一切してこなかったから、当真くんにすかれてることはないだろう。そもそも、ただでさえ当真くんに話しかけてもらえる贅沢者なのにそこまで望むのは図々しいとも思う。わたしは今のままの関係で十分満足していたし、今より充実することをあまり考えたことはなかった。だから、何もしようとしなかった。変わろうとも思わなかった。
 そうやって何も考えてなかったから、二週間前、柚宇ちゃんが言った「よかったね」が、当真くんに見事に当てはまる可能性なんて、わたしの中では青天の霹靂だった。結局当真くんの反応を見る限り、わたしのオペレーター志望はあまり歓迎してる様子でもなかったけれど。

 こてんと、ソファに頭を傾ける。目を閉じて、身体の力を抜く。無音とゆっくりとした空気はわたしの心を落ち着かせた。……歓迎されてないってことは、オペレーターになるなって言われてることなのかもしれない。当真くんがはっきりそう言ったわけではないけれど。少なくともここやラウンジで一緒にいたときは、そういうことは一言も言ってなかった。普段通りの彼だった。だから、わたしもそのことをあんまり考えなかった。
 当真くんは環境や人によって態度を変える人じゃないから、ボーダー基地にいるときの当真くんも大学生の人と話す当真くんも、調子は変わらない。でも見たことのない場所で見る当真くんはとても新鮮で、わたしはここに入ったことも一ミリも後悔してなかったし、できることならちゃんとオペレーターになりたいと思ってる。

 でも、もし当真くんが、嫌だって思ってたらどうしよう。

 脱力した手が座り込んだ太ももに落ちる。オペレーターになるな、おまえのことが嫌いだって、言われたら。そうしたら、わたし、……。心臓が浮く感覚が気持ち悪い。ぎゅっと目をつむる。それでもわたし、当真くんのそばで、いろんなこと共有したいよ。随分欲張りになった。なりたくないはずの図々しい人間になってた。いよいよだめなのかもしれない。静まり返る作戦室で、わたしの呼吸だけが震えていた。