11.

 第二次近界民侵攻は第一次侵攻の八倍の規模でありながら、被害はその四十分の一だったのだという。八日後、記者会見でボーダーからそう発表があった。結局わたしたちのいた地区は近界民が警戒区域を越えたらしかったけど被害はそこまで甚大ではなく、家や建物が壊されたということはほとんどなかったらしい。それでもその週は臨時休校となり、各自付近の復旧活動に当たったようだった。
 思わぬお休みののち、久しぶりの登校では当真くんや今ちゃんたちの顔を見ることができた。三人とも変わりなく元気で、わたしは心底ほっとしたものだ。休校の間に三人の無事は確認できてたけど、実際会ってみてようやく安心できたのだ。

 記者会見が行われたのは次の日の火曜だった。ボーダー仲間と本部へ向かう当真くんと柚宇ちゃんと、男の子(たぶんあの人がむらかみくんだ)と鈴鳴支部へ向かう今ちゃんに手を振って一人帰宅したあと、なにとなく点けたテレビのニュースでそれが流れていた。正面のソファに脱力したように座り込む。
 ボーダーの職員が六人死んで、訓練生が三十二人も行方不明。その変わりとなるのか、市民の被害はゼロ。真ん中でマイクを通してしゃべってる人の画面下には広報担当という文字とともに名前のテロップが入っていた。その人の淀みない受け答えと、じれったそうなマスコミ側の質疑をぼんやりと眺めていると、突然病院服を着た少年が会場に入ってきた。すぐに音声は切り替わり、女性キャスターのナレーションが入る。彼が何を話したかはわからないけど、ボーダーが、近界民の世界に連れ去られた人たちを奪還しに行く計画を進めてることを発表したらしかった。


「奪還作戦……」


 気付くと呟いていた。曰く、もう無人機で近界民世界へ行って帰ってくることは成功してるらしい。だから、やろうと思えばもうすぐにでも人を乗せて向こうの世界へ行けてしまうのだろう。コメンテーターの男の人がそう言っている。
 でも、ちょっと考えればすぐにわかる。そんなの簡単な話じゃないし、相当のリスクを承知でやることだ。100%帰ってこられる保証は、多分されてない。そして、その近界民世界に行けるのは、A級以上の隊員との明言もなされたようだった。
 ということは、そう、当真くんが。

 記者会見のニュースが終わったあともしばらくテレビの前で呆然としていた。移り変わった話題が目の前で流れてるけど一切入ってこず、ただ頭の中がうねって思考を繰り返してるだけだった。この先当真くんが、向こう側の世界に行くことがあるかもしれない。それで、帰ってこないなんてことが、あるの、か。いままでちゃんと考えたことがなかった。当真くんはよくボーダーの仕事で途中から学校に来たり、早退をしたり、何日も学校を休むことだってある。けど次の日、そうでなくても待ってればいつかは、何事もなかったように変わらない様子で学校に来て、わたしに声をかけてくれる。だから当真くんのしてることに危機感を抱いたことがなかった。近界民と最前線で戦ってるとはわかってるけど、それと繋がってなかった。

 当真くんがある日突然、わたしの前から消えて、二度と会えなくなるということが。

 地に足が付いてない。指先に力が入らない。気持ち悪い。心臓が嫌な脈の打ち方をしている。よくない、どうしようもない不安に襲われる。シェルターの中にいたときの比じゃない。
 そしてこの不安が解消される日はおそらく来ないってことも、この思考の根っこの方で、理解していた。








 寝不足気味の目をこすりながら四限まで耐え、お昼休みの時間を迎えた。ボーダーの人たちは後処理に追われてまだ忙しいらしく、ゆっくり話せるのはこの時間だけだった。昨日印刷した紙をファイルから取り出し、お弁当を持っていつもの席へ行く。


ちゃんなんか眠そう」
「顔色もあんまりよくないけど、どうかした?」


 すでに後ろに向けたイスに座る柚宇ちゃんと、自分の机にお弁当を置いた今ちゃんがわたしを見上げる。それには大丈夫だよと首を振り、柚宇ちゃんの隣の席のイスに座った。実際ちょっと眠れなかっただけだ。顔色が悪いのは、緊張してるからかもしれない。目ざとい柚宇ちゃんがわたしの手にあるコピー用紙に気付き、「それなに?」と指差した。ああ、指摘してくれてありがたいな。口を緩めて、笑うことができた。眉尻を下げて、ちょっと情けない顔をしてたかもしれないけど。


「あの、今ちゃん、柚宇ちゃん」
「うん?」
「オペレーター…って、難しい、ですか…」


「え、」今ちゃんが思わずといったように声を漏らす。反対に柚宇ちゃんは、何も言わずにわたしの手からピッと紙を抜き取った。それを上から下まで見たあと、上目遣いでわたしと目を合わせる。


ちゃん、オペレーターなりたいの?」


 今ちゃんも身を乗り出してその紙を覗く。紙には昨日調べて印刷した、オペレーターとしてのボーダー入隊の手続き方法が載ってる。そう、柚宇ちゃんは正解だ。わたしは、オペレーターとしてボーダーに入りたいって考えてる。
 これしか方法がないと思った。この先当真くんがどこか遠くへ行ってしまうことになって、そのときわたしは何も知らないじゃ嫌なのだ。ボーダー組織は秘匿事項が多いのはよくわかってる。それらを共有するには、自分もボーダーの人間にならなきゃいけない。

 わたしは当真くんの近くにいたい。本当に、それだけが理由だった。

 こくんと頷くと、柚宇ちゃんはにやっと笑って、いいじゃんと返してくれた。今ちゃんも頷いて、反対したそうには見えなかった。二人の反応にホッと息をつく。


「戦闘員よりずっとオペレーター向きだしね」
「どこ所属にするの?本部?鈴鳴?」
「え、あ、まだよくわかってなくて…」
「そうよ、そういうのは合格してオリエンテーションで説明されるんだから」
「不合格なんて滅多にないじゃん、大丈夫だよ〜。もう申し込んだ?あ、というかそういうの支部でもやってるんだっけ」
「受理?してるよ。もう親御さんの許可はもらってる?」
「うん、一応…」
「じゃあ放課後一緒に鈴鳴行こっか」


「うん、ありがとう…!」よかった、今ちゃんが受け付けてくれるなら気が楽だ。頼りになるお姉さんのような今ちゃんはきっとボーダーでも重要な戦力なんだろうと思う。柚宇ちゃんもA級のオペレーターだし、二人はとっても優秀なんだろう。思って、すっと心臓が重くなる。


「柚宇ちゃん、」
「んー?」
「柚宇ちゃんも、その、近界民の世界に行くかもしれないの…?」
「え、…あー、行くかもねえ」


 そうなのか……怖くないのかな、帰ってこられないかもとか、思わないのかな。無意識に俯いてしまう。「そんな心配そうな顔しないでも、ボーダーの技術すごいからね、大丈夫だよ」にこにこと笑う柚宇ちゃんは、わたしを励ましてくれてるんだろう。ありがとうと感謝の気持ちもこめて、笑い返す。


ちゃんも早くオペレーターになってほしいなー」
「あんまりプレッシャーっぽいこと言わないの」

「何がプレッシャーだって?」


 後ろから聞こえた声にハッと振り返る。当真くんだ。スクールバッグを肩にかける彼は、今日は防衛任務があるから午前で早退するって、朝担任の先生に言ってた。
 オペレーターになることを考えたのは、何も昨日今日のことじゃない。前から、自分がオペレーターだったらいいのにって考えてた。ボーダーという枠組みで当真くんと同じになりたい。それから、オペレーターは決まったチームだけじゃなくて、状況によっては他の隊員のサポートもするらしいから、もしかしたら当真くんの力になれるかもしれないと思った。その気持ちに後押しする形となって、奪還計画のことがあったのが実際のところだ。


「当真くん、ちゃんがオペレーターになりたいんだって」


 柚宇ちゃんがずいっと紙を差し出す。邪魔にならないようにと身を屈めると、それを当真くんはわたしの頭上で受け取ったようだった。「よかったねー」柚宇ちゃんのそんな声が聞こえ顔を上げたけれど、視線は当真くんへ向けられたままだったので心の中で首を傾げた。わたしに言ったんだと思ったのだ。そうじゃなかったら、どうして当真くんに。よかったのはわたしで、当真くんじゃないよ。
 でも、もし当真くんが嬉しいって思ってくれてたなら、わたしも嬉しいなあ。思って、振り返る。後ろで紙に目を落とす当真くんを見上げる。


「へー……」


 しかし当真くんの反応は、薄く笑みを浮かべるだけでそこまで芳しくはなかったし、よかったともあまり思ってなさそうだった。