10.

 朝起きたらベッドの中に当真くんの姿はなかった。先に起きたのかなあ、まだ覚醒しない頭でぼんやりしていると、部屋の外から足音が聞こえてきた。どうやら一階から上がってきたらしい、ドアを開けた当真くんが「お、起きた」と声をかけて、それにわたしもおはようと返した。晴れたいい天気だった。カーテンは当真くんが開けたのだろう、日差しが差し込んできていて、そのせいかあまり寒くは感じなかった。
 一日経つと心にも余裕ができてきて、昨日ほど挙動不審にはならなかったと思う。髪を掻き上げて後ろにやる当真くんは最後まで直視できなかったけれど。朝ご飯は前日に買っていた惣菜パンと、バナナをカットして混ぜたヨーグルトを食べた。そのあと大体の時間を見て家を出る支度を整えると、当真くんに早くねーか?と言われてしまった。彼はまだ灰色のスウェットのままだった。逆算すると丁度いい時間だと思ったのだけど、よく考えると当真くんはいつもホームルームのチャイムぎりぎりに登校してるから、彼的にはまだ大丈夫なのだろう。当真くんのペースでいいよと言って、それから二十分後に二人で家を出た。


「珍しいわね、が遅刻ぎりぎりに来るなんて」「途中で当真くんと会ったの?」今ちゃんと柚宇ちゃんに追及されたけれど、当真くんに口止めされてたのでごまかしを決めた。この日、当真くんは午前中の授業すべてを爆睡していた。ベッドがいつもより狭くて眠れなかったのかもしれない、悪いことをした。それを昼休みの保健室で謝ると、違うから大丈夫だとフォローされてしまったのだけれど。ちなみにお昼ご飯は二人で購買に買いに行った。





 パタリとシャーペンを置き、ぼんやりと天井を眺める。まだ昨日のことみたいに思い出せる。あれからもう一ヶ月も経ってるのに。

 四限終了のチャイムが鳴り、クラスの空気が一気に弛緩する。お昼休みだ。今日は当真くんも今ちゃんも柚宇ちゃんも防衛任務で公欠してるので、ご飯は一人で食べる。他にも友達はいるけど、ちょっと億劫なので仲間に入れてもらうのはやめにした。
 仲のいい友達がみんなボーダーに所属してる以上、こういうことはままある。一人が嫌なわけじゃないけど、疎外感を勝手に感じてしまうのは気持ちが悪かった。今頃みんな警戒区域の防衛を任されて頑張ってるんだろう。わかってるから、こんな、さみしい気持ちがお門違いなこともわかる。
 でも最近、みんなの公欠が多いような気がする。当真くんも仕事が忙しいことをぼやいてたし、気のせいじゃないかも。でも、なんで、

 チカッと、視界の隅に違和感を覚えた。


「……?」


 ほとんど同時にサイレンが鳴り響く。違和感は窓の外だ。背筋を伸ばしそちらを覗くと、遠くの空から黒い糸のようなものが降りてきていた。それも一本や二本じゃない。ボーダー基地を囲う数え切れないほどのそれは、近界民がやってきたことを意味していた。
 けど明らかにいつもと違う。警戒区域の空は真っ暗な雨雲のようなもので覆われているし、『ゲート発生、ゲート発生。大規模なゲートの発生が確認されました。警戒区域付近の皆様は、直ちに避難してください』ボーダーの基地から聞こえてくる警報も内容が違う。警戒区域の異様な光景にクラスメイトもどよめき、すぐに教室に駆けつけた担任の先生からは避難の指示が下される。近界民が警戒区域を越えてくるかもしれないとのことだった。教室内が騒然とする。


(四年半前のときの……)


 あの悪夢が彷彿とされる。わたしは直接的な被害はなかったけれど、当時の不安感と、心の休まらない日々は忘れられない。あのときみたいに人が何千人も死んだり、行方不明になってしまうのか。気付くと身体が震えていた。
 それでもいまは、ボーダーがいる。当真くんたちがいる。そう思うとあのときのような途方もない恐怖には襲われなかった。避難するクラスメイトに続いて教室を出る間際、もう一度振り返り外を見る。依然、基地の方は真っ暗だった。








 同じ高校のボーダー隊員の人たちの指示に従って警戒区域から離れるように走っていく。しばらくしたところで地下堂のシェルターに入り、そこでじっとしてるよう言われた。先生の点呼が済み全員の無事が確認されたあとも張り詰めた空気が充満していて、さすがに心細いわたしはここに来るまで一緒に走っていた友達数人と身を寄せていた。
 心細いのは近界民の危機にさらされてるからだけじゃない。学校からも離れてしまっていよいよ不安になったのだ。わたしの大事な友達がどうしてるのか、無事なのかがわからない。携帯は制服のポケットに入ってる。でもわたしだってそこまで馬鹿じゃないから、安易に連絡を取っていいとは思ってない。地下じゃ電波も通りにくいだろう。いまはただ、ここでおとなしくして、終わるのを待つしかなかった。それしかできないんだ。体育座りで縮こまる。


「やばいよね、大丈夫なのかな」
「警戒区域越えてくるかもって相当じゃない?どうしようここまで来たら」
「怖いこと言わないでよー…。あー、やっぱり三門市怖い!ダメだー…」
「ダメって何が?」
「大学、市大にしようと思ってたけどやめようかなって…」
「ああ……」
「近いし新しいからって理由だけだし、この先もまたこんなのがあるって思うと怖いよー」
「他の併願先どこ出したの?」
「隣町と上の県の私大」
「わたしと同じかも。うーわたしも三門市大やめようかな…」


 二人の友人のやりとりをなんとなく聞きながら、わたしはただひたすら、地上の様子が気になっていた。上がりたいけど先生が許してくれるわけないし、もし近界民が近くにいでもしたらわたしには一溜まりもない。でもここにいるだけでいいのか、いいんだ何もできないんだから、でも、の自問自答がやまない。悪い意味で心臓が落ち着かない。


ちゃんも三門市大第一志望だっけ。どうする…?」


 話を振った子と一瞬目を合わせ、すぐに伏せる。体育座りをして足の前で組んだ手がカタカタと震えていた。寒さと相まってそうさせる感情の正体は、わかってる。


「わたしは……」


こんなところにいたくないよ。