1.

 わたしの班の調理台は窓側の一番奥だ。お昼に向かう日差しが暖かく差し込んでいて気持ちがいいし、すぐ後ろには食器棚があるので下手に歩き回らなくて済むからいい場所だと思う。今は使わない木製のイスが室内の両脇の壁に沿って積まれているのでそれが少し邪魔かなというくらいだ。黒板から一番遠いから先生の視線も気にならなくていい。思いながら、水洗いしたピーマンを縦に二等分していく。今日の課題はハンバーグだ。細かく刻んだピーマンと玉ねぎを合挽き肉と混ぜて焼く。味付けは各班すきにしていいうえ、ご飯も炊いていいことになってるからお昼ご飯にぴったりだろう。男の子はわからないけど、女の子はほとんど今日のお弁当を持ってきていないはずだ。高校三年生にもなって組み込まれている家庭科はたまにある調理実習だけが楽しみだった。
 友達の指示を仰ぎながら手を進めていく。ピーマンはすぐに終わった。次は玉ねぎだ。すでに皮は剥いてあるので、わたしは迷わずそれに包丁を入れる。途端に、目がヒリヒリと痛くなる。意図せずじわりと涙が浮かんでくるのでぎゅっと目を閉じてカーディガンの肩口で拭ってしまう。玉ねぎで泣くのは匂いが原因なんじゃなかったっけ、でも息止めても意味ないものなんだなあ。


「泣いてんの?」


 近くで聞こえた声にハッと顔を上げる。すぐ隣に当真くんがいたのだ。気付かなかった。全然違う班の彼が来るなんて夢にも思わず、すっかり硬直してしまったわたしは金魚のように口をパクパクとさせた。


「と、当真くん……」
「うわ玉ねぎか。やべー目痛くなる」


 当真くんはけらけら笑いながら、窓際に積まれたイスを一つ床に下ろして腰掛けた。それを見てまたポカンとしてしまう。……ここに居座るのかな、いいのかな。まだ目は痛くて、もう一度涙を拭う。


「当真くん、班の人たち、手伝わなくていいの?」
「いーのいーの。ここいさせてくんね?」


 こくんと、ほとんど無意識に頷いていた。当真くんがいたいというのなら断る理由はない。きっとサボりたい気分なんだろう。調理実習中にも関わらずエプロンもつけず堂々とサボタージュする当真くんの思い切りの良さもすきだった。場所としてもここは家庭科室内で一番先生に見つからないところなので、都合がよかったのだろう。それに、当真くんの座っているところは日なただ。暖かそうでいいなあ。


「当真くん、あんたね…」
「見逃してよ今ちゃん」
「当真くんに言われると馬鹿にされてる気分になるんだけど」


 わたしの向かい側でハンバーグのソース作りをしていた今ちゃんが口角を引きつらせながら言う。男女混合のくじ引きで決まったこの四班のリーダーは今結花ちゃんだ。「も言う通りに頷かないの」しっかり者の今ちゃんはサボタージュする当真くんだけじゃなくそれを止めないわたしにもきっちり指摘する。当真くんはどこ吹く風と適当に流し、わたしはうんと頷く。でもきっと、わたしが当真くんのサボタージュを止めることは一生ないだろうなあ。
 当真くんは大きい身体を隠そうともせず、イスが積まれていない後ろのドアに寄り掛かった。頭の後ろに手をやって目を閉じているようなので、ちょっとお昼寝でもするのかもしれない。当真くんが近くにいてはかなり緊張するけれど、わたしはわたしで玉ねぎと戦う使命があるのだ。止まっていた手を動かし、ザクザクと切っていく。やっぱり目が痛い。ぐしぐしと手の甲で拭い、「」再び呼ばれてすぐに顔を上げる。


「包丁と反対は猫の手ーってやつだろ?」


 寝なくていいのかな、思わないでもなかったけれど、そう言った当真くんが楽しそうに指先を丸めてみせているものだから、わたしはとても嬉しくて、眉をハの字にさせて同じように猫の手を作ってみせるのだ。


「にしても、が包丁持ってても攻撃力3もなさそうだなー」


 やっぱり楽しそうに笑う当真くん。向かいの今ちゃんも堪え切れずといったようにクスッと笑ってわたしだけ置いてけぼりだったけど、あんまり悪い気はしなかった。
 そもそも当真くんといて悪い気になったことなんてないのかもしれない。そんなことに今さら気付いた。いくらすきな人といえど、こんな贅沢者でいいのだろうかと思う。

「やべ、先生回ってくる」自分の班の調理台を見ながら当真くんが立ち上がった。もう戻っちゃうのかあ…。わたしのくじ運はよかった。今ちゃんと一緒になれたし、一番奥の調理台だったから当真くんは来てくれたのだ。


 ああでも、もっと贅沢を言うなら、当真くんと同じ班になりたかったなあ。


「俺もこの班がよかったなー」
「え、」
「今ちゃん頼りになるし」


 ああなんだ、今ちゃんのことかあ。一瞬考えがシンクロしてしまったのかと思ったよ。わたしの後ろを通り抜ける当真くんに無意識に首を向ける。


「玉ねぎ切ってる見てんの楽しいしなー」


 そう言って、さっきと同じ位置で立ち止まって、わたしの目尻を親指で拭う。横顔に這った指先の感覚が脳に伝わる前に、心臓が一層大きく脈を打った。

「そういやこの班のもう一人って誰なの?」「ほら、今日欠席の、」「あー。じゃあマジで移籍しよーかな」「何言ってんの」当真くんと今ちゃんのやりとりを耳に呆然と立ち尽くすわたしは、もう目は痛くなんてないのに、ぽろぽろと涙を零すのだった。