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 六月頃保健室で知り合った年下の歌川くんと、夏休みにも会うとは思っていなかった。ピークのお昼は過ぎたものの直射日光がジリジリと照りつける中、ドーナツ屋さんから自宅へ一人歩いていたわたしは向かいから来る見覚えのある人物に気付いた途端、ぎょっと驚いてしまった。
 大げさに立ち止まってしまったせいか、それまで風景に溶け込んでいたであろうわたしに彼の焦点が当たる。静かな顔をしていた歌川くんの目があっという間に見開き、小走りで駆け寄ってくる。それをわたしは、ただ待ち受けることしかできなかった。

 歌川くんとは保健室で手当てをして以来、移動教室ですれ違うとあいさつを交わしたり、夏休みに入る前には休み時間に立ち話をする仲になった。普段の高校生活で後輩と絡むとしたら委員会くらいで、それも業務連絡程度のやりとりしかないため、仲のいい年下の男の子ができて純粋に嬉しかった。しかも歌川くんは礼儀正しくて性格もいい、対人関係を築くに当たって百点満点の男の子なのだ。どこに出しても恥ずかしくないいい子と知り合えてラッキーだったなあ。と、思っていたのは、間違いないんだけども。


先輩、こんにちは」
「こんにちはー…」


 目の前で立ち止まった彼に、思わず手にしていたビニール袋を背中に隠してしまう。そんなことしたってバレバレなんだけれども、どうしても知り合いの男の子に今の自分を目撃されたくなかったのだ。なぜか嬉しそうな顔をしてる歌川くんに合わせて下手くそな笑みを浮かべる。
 今日の歌川くんは普段学校生活では見る機会のない私服を召されていて、高校生らしかぬ大人びたシンプルな服装をしていた。おモテになるとは存じていたけれど、なるほどこれは納得だ。そしてわたしの適当な服装よ。完全に油断してた。見ず知らずの店員さんにしか会わないからってほとんど部屋着みたいな格好なのだ。居た堪れなくて、後ろ手で持ったドーナツ屋さんのビニール袋の持ち手をいじる。先輩なのにこの体たらく、冷静に考えて恥ずかしい。さっと目線を逸らし、すぐ下を流れる川に逃げる。家の近くの河川敷はコンクリートで舗装されているため、日光の照り返しが強い。せめて日傘を差すような人間でありたかった。


「う、歌川くん、おでかけ?」
「ボーダーに向かう途中です。先輩は?」
「え、えっと……勉強の息抜きに、三時のおやつを」


 言いながらおずおずと袋をお腹の前あたりに持ってくると、歌川くんはなるほど、と視線をそれへ落とした。居た堪れなさがぐんぐん上昇する。おそらくドーナツ屋さんが用意してる最大サイズであろう、十個入りの箱をして三時のおやつとはこれいかに。


「ぜ、全部一人で食べるんじゃないよ!家族で食べるんだよ!」
「そうなんですか。おいしいですよね、そこのドーナツ」


 う、歌川くん優しい…。一切ドン引きする素振りを見せない彼のできた人っぷりに今度は後ろめたさを覚える。今家に誰もいなくて、十個のドーナツは数日かけてわたしの胃に全て収まるのだと知ったらどう思うだろう。思いっきり嘘をついたのだ。でも、わたしは歌川くんを人としてかなりすきなので、幻滅されたら相当傷つく。だからできれば彼に対しては先輩キャラを維持したいのだ。とか言っておきながら初対面のときにした会話はすでにバカっぽかったなと反省しているのだけど。


先輩の家はこの近くなんですか?」
「え、あ、うん、ほんとすぐそこだよ」
「じゃあ、警戒区域から近いんですね」
「そうだね」


 話題変えてくれた。偶然かもしれないけどとてもありがたかった。歌川くんの言う通り、この河川敷から少し先に行くといわゆる警戒区域と呼ばれる放棄地帯になる。わたしの家は四年前の大事件でそこまで被害は大きくなかったものの、遠くに見えるボーダーの人たちに守られているという自覚はあるので、彼らへの感謝は日々忘れていない。そういえば歌川くんは精鋭って言われてるA級なんだっけ、すごいよなあ。
「気を付けてくださいね」そう言ってくれる歌川くんに頷く。本当に、歌川くん、こんなダメな先輩にすごく優しいや。


「ありがとうね」
「いえ。……でも、ラッキーでした。夏休みに先輩に会えると思ってなかったので」
「わたしも思ってなかったよ、びっくりした。歌川くん毎日充実してそうでいいなあ」
「やっぱり三年の夏休みは勉強で忙しいですか?」
「受験勉強は大変だよー。でもわたし暇人だから勉強しかすることないだけで、他の人は、こう、メリハリをだね」
「なるほど」


 はは、と口を横に広げて笑う歌川くん。歌川くんは聞き上手だからかいつも嬉しそうに笑ってくれるイメージがある。愛想笑いとかしないのかな。もしかしたらあまりの完成度の高さに、わたしが愛想笑いを本物の笑顔と誤認してるだけなのかもしれない。なんでもちゃんと聞いてくれるし話題出して会話繋げてくれるから考えたことなかったな。歌川くん、わたしと話してて楽しいのかな。


「……先輩」


 今考えることでもないけど気になってしまう。歌川くんが黙ってるのをいいことに俯いて考えていると、呼び掛けられた。それがまるで、何かを探っているようで、漠然と、いつもと違うなと思った。まっすぐわたしを見る歌川くんと目が合う。


「連絡先交換してもらえませんか?」
「えっ、いいよー」


 なんだそんなことか。すごいうかがってるみたいだったから身構えてしまった。連絡先、もちろんオッケーだよ。肩にかけていたポシェットから携帯を取り出すと、歌川くんもありがとうございますと言ってズボンのポケットからそれを取り出した。
 歌川くんはこんな感じで人と連絡先を交換するのだろうか。きっと彼の携帯には大勢の友達のそれが入ってるんだろう。
 あっという間に完了した交換の結果、わたしの携帯にも歌川遼の名前が表示された。女の子の名前が並ぶ中、一人だけ目立ってる気がする。歌川は可愛い苗字だと思うけど、遼はまさにかっこいいからなあ。ちらりと目線だけで盗み見ると、彼は伏せ目で携帯の画面を見ながら、じんわり笑みを浮かべているようだった。連絡先を交換しただけでこんな嬉しそうにしてくれるなんて、いい気になっちゃうなあ。


「歌川くん、やっぱりフルネームだよねー」
「え?」
「歌川遼、って」
「……」


 自分で登録できるニックネームは名前だけやひらがな、ローマ字表記など人によってバラバラだ。でも君は絶対フルネームだと思ってたよ。ふふふと笑っていると、歌川くんが目線を逸らして苦笑いを浮かべたのに気が付いた。それがどう見ても下手くそな笑顔で、わたしはついに、これが愛想笑い!と察してしまった。察すると同時に焦る。


「えっと、なんかごめん…」
「いえ、なんでも…」


 手で口を隠し、一つ息をつく歌川くん。バカっぽい話に呆れてるのかもしれない。先輩の威厳とは何だったのか、己の軽率さに後悔すら覚える。頭いい会話をできるようになりたい…。内心とほほと項垂れ、そろそろお暇しようかと考える。そういえばすっかり忘れてたけど、チョコがかかったドーナツも買ったんだ。溶けてしまう。


「……先輩、何かあったら連絡してもいいですか?」
「えっ、うん!」


 パッと顔を上げる。うわあ、やっぱり歌川くん、できた人だな…!その台詞はきっと社交辞令だろうけど、変な空気になったのを察して気を遣ってくれたんだ。おかげさまで心が軽くなったよ、ありがとうねえ。ホッと胸をなでおろしながら携帯をポシェットにしまう。一方歌川くんも、よかったですと安心したように笑った。


「じゃあ、また…」
「うん、また学校でね」
「……」


 お別れのあいさつだ。次会うのは九月だと思ってそう返すと、なぜか歌川くんが苦笑いしてしまった。また変なことを言ってしまっただろうかとにわかに不安になったものの、歌川くんはそこから肩をすくめて笑ったので、大丈夫だろうと思い直した。


「勉強、大変でしょうけど、頑張ってくださいね」
「ありがとー。歌川くんもボーダー頑張ってね」


 二人で激励の言葉を交わし、じゃあとすれ違う。背後で歌川くんの足音が遠ざかっていくのを耳に、もう一度、脇を流れる川へ目を落とす。歌川くんのお家ってどこら辺なんだろう。来月まで覚えてたら聞いてみようかな、とぼんやり思った。



お題:15:00 / 河川敷 / 黙る / うしろめたい