移植された心臓にやどっていた」>>



朝から一階が騒がしいと思ったらが来ていたらしい。それを知ったのは彼女が僕の部屋のドアを勢いよく開け放ったあとであり、唐突な登場に机のパソコンに向かい合って座っていた僕は彼女の「おはよー佳主馬!」の挨拶に三秒ほど思考を停止することとなった。


「……おはよ」




休日の朝からは元気だ。にこにこしながらズカズカと僕のテリトリーに踏みこんできたと思ったら回転イスの隣に立ちパソコンの画面を覗き込んだ。彼女の横顔を睨むけれど視界に入っていないのかはたまたシカトを決め込んでいるのか見向きもしない。「すごいね」彼女はそんなありきたりな感想を述べる。きっと何がすごいのかわかってないで言っているのだろう。


「そんなことより、お土産の八ツ橋ね」


キングカズマのスポンサー契約のメールをそんなことで片付けた彼女に憤りは湧かない。彼女の価値観のものさしにかかればスポンサー云々なんてものは取るに足りないものだ。それはそれでいい。
立ち上げていたメールボックスを閉じながら、小包装された八ツ橋を受け取る。「ニッキだよー」彼女の間抜けた声にお礼を言い、ビニールの袋を破って固いそれを口に含んだ。の高校が昨日まで京都への修学旅行だったのは本人に散々聞いて知っていた。僕の方も来週に控えてはいるが行き先が違うからお土産は何がいいかとしきりに聞かれたものの、パッと思いつくものもなく定番である八ツ橋と答えるだけだった。「生の方はおばさんに渡したからね。めっちゃたくさん味あるよ」その台詞で箱に詰まったカラフルな八ツ橋を想像して呆れる。べつにそこまで頼んでないんだけど、何を張り切ったんだか。ガリガリと噛み砕きながらパソコンに向き直り、今度はOZの格闘エリアに行き挑戦状のチェックに入った。


「写真たくさん撮ったんだけど見る?」
「見ない」
「そう言わずにー」


そばのベッドにぼふんと座り携帯をいじり出す。ほらと見せられた大きな画面を仕方なしに横目に見やると、それは金閣寺を背景にしたを含めた男女六人の集合写真だった。


「…メール届いてるよ」
「えっ」


画面が切り替わりのアバターがメールを運んでくる。頭にゴーグルをつけた小さなうさぎのアバターだ。最初はそんなのではなかったはずだけど、見慣れたデザインのそれに変わった理由はわかりきっていた。「あ、…」携帯を覗き込み零した声に内心不思議に思いながら画面に目を走らせる。すると視界の隅でがベッドに倒れこんだ。


「ちょっと」
「昨日こくはくされたの」
「は?」


何て言った?バッと勢いよく起き上がったは、僕を見上げ、なぜか恨みがましそうに僕を睨みつけていた。


「キングカズマがすきって言ったからわたしもって仲良くなったのに、さんのことがすきになっただって」
「……それで何て返事したの」
「びっくりして逃げちゃった」


ああそう。「それなのに普通にメールしてくるんだ」呟いたのはだ。機嫌が悪いらしい。
その男は同じ班の奴だろうか。さっき一瞬見えた集合写真での隣に立っていた奴の顔を思い出す。見た目は爽やかな印象を受けた。との距離がやけに近いと思ったのは気のせいじゃなかったらしい。

ページを消し、また別のを開くとキングカズマを使った広告が流れた。スポンサーに興味はないくせに音声でわかったのかは立ち上がってこちらに来、僕の後ろから食い入るように覗き込んだ。
彼女はキングカズマのファンだ。自分のアバターをうさぎに変えたりキングカズマが使ったことでレア度の上がったゴーグルを頑張って手に入れようとしたりする(残念ながらデフォルメされたうさぎにあのゴーグルは似合っていないのだが)。ボロが出るといけないからと外では必要以上にキングカズマの話はしないようにしているらしいけれど、そのアバターを見ればリスペクトしているのは一目瞭然で、だから同じキングカズマファンに声をかけられたのだろう。いや、もしかしたらそのクラスメイトはに近づくためにファンを装ったのかもしれない。広告が終了し、先週から開催されているイベントマッチのコースを上から確認していく。「やっぱりかっこいいね」楽しそうな声がそばで聞こえる。


「わたし、キングカズマは一生すきだけど、それ以外は保証できないと思うよ」
「……」
「あ、もちろん佳主馬も一生すきだよー」


誤ってクリックしてしまった。一度クリアして今もスコアがトップのままのコースだ。動揺も舌打ちも心の中に留めて何事もなかったかのようにキーボードに手を伸ばす。何でもいい。後ろに立つ思わせぶりな女のことを、意識の外に追いやることができれば。


「あ、やるんだ」
「うるさい」
「佳主馬怒ってるの?なんで?」
「……」


十本の指を動かしながら、頭は言うことを聞かずに回顧を始めていた。小学生の頃の、いじめられていた僕を迎えに平気で男子トイレに乗り込んできたが脳裏に浮かぶ。勇敢なんかじゃない、単に鈍感なだけだ。僕は一度も、こいつに助けられたと思ったことはない。きっとこいつも助けたと思っていない。何も考えてない言葉と行動で、は僕を振り回すだけだ。

怒ってなんてない。おまえがそれを、僕と同じ意味で言っていなくたって、今さら怒ったりはしないよ。心は離さないけれど。


「話しかけないで。集中できないから」


鈍感なが簡単に言ってしまえる言葉をいつまでも伝えられずに、僕は彼女のヒーローであり続けようとする。