08


 意識が覚醒すると同時に、自分が石畳の上に立っていることを認識する。辺りは明るかったけれど、夜に負けないよう灯された蛍光灯の光ではなく、太陽による自然光のように照らされていた。ただ、見上げても薄紫色の空にそれはなく、首を傾げてしまう。雲が上空を覆っているせいでもなさそうだ。周りには森しかなく背の高い建物があるわけでもないのに、太陽はどこに隠れているというのだろう。不思議に思ったところで、ハッと我に返る。――ここ、どこだ。

 夜でもなく街中でもない場所に立っていることを自覚し混乱してしまう。辺りを見回すも人はおろか生き物の気配はなく、辺り全体の時が止まっているような居心地の悪さを覚える。生きてきて経験したことのない空気感に悪寒が走る。無意識に縮こまっていた身体を抱き込み、地面に目を落とす。
 ……夢?明晰夢ってやつ?意識があまりにもはっきりしているけれど、こんなこともあるのか。
 違和感は残るものの、夢だと納得する他ないため、とりあえず当てもなく歩いてみることにした。石畳は一本の道になっており、森の奥へと繋がっているようだ。道は自分の立つ位置の前後に伸びていたけれど、迷うことなく前進した。

 しばらく歩いていると、ある地点で木々が開けたのがわかった。
 そこはどこか豪邸の庭のようだった。大きな長テーブルが置かれており、金属のフレームとワインレッドのクッションでできたイスが等間隔に並べられ、テーブルにはお菓子と、手前の誕生日席にだけティーカップが置かれている。さながらガーデンパーティのようだ。
 ドラマのセットのような光景に驚き以外の感情が湧くより先に、一人の人物を見とめる。一番離れた向かい側の誕生日席に、男の人が座っていたのだ。


「いらっしゃい、ちゃん」


 ……迅先輩。
 背もたれに寄りかかりリラックスした様子の彼と目が合う。一目見て、営業スマイルに類する笑顔だとわかる。彼のこういう表情には見覚えがあった。孤独な世界で出会った顔見知りの彼に、しかしながら安堵することはできず、むしろ一人きりだったときより警戒を強めてしまう。隠す余裕がなく表情にはっきり出ていたと思うけれど、迅先輩は愉快げに肩を震わせるだけだった。こういうとき彼は目を逸らすイメージがあったから意外だ。いや、意外も何もわたしの夢なんだから、とすぐさま思い直す。


「立ちっぱなしじゃ疲れちゃうでしょ。座りなよ。お菓子もすきに食べていい」
「大丈夫です」


 ほとんど考えずに拒絶してしまう。言った瞬間、こういうところが傷つけてしまうんだと後悔したけれど、彼は予想に反し一層嬉しそうに目を細めた。


ちゃん、俺のこと信用してないね。迅悠一は信用に値しないでしょ」


 背もたれに寄りかかり、両手をポケットに入れた体勢のまま、にこにこと笑みを絶やさない。一瞬目を見開き、それから、テーブルの分離れている彼を睨む。
 彼の発言は、場合によっては事実なのかもしれない。けれど、このときのわたしは図星をつかれたなどという居心地の悪さはなく、むしろ突発的な憤りが沸いていた。この人は自分で、何を言っているんだ。自分で自分を……。
 どう言葉にしようか考えているうちに、ふと思い至る。もしかして、さっき街中で聞いた声は、この人のものだったんじゃないか。迅先輩があんなにあからさまに怯えていたのは、この人に対してなのではないかと。現実に考えたらおかしなことも、夢の中ではまともだと思えてしまう。「迅先輩がもう一人いた」という推察。本当だったら大変なことだ。でも、そうだとしたら、今は納得できる。


「……迅先輩が怯えていました。あなたは迅先輩を脅しているんですか?」
「まさか。自分で自分を脅したって無意味だろう?ちゃんには勘違いしてほしくないな」
「わたしであることに意味があるんですか?」
「君は迅悠一のお気に入りだからね。嘘つきの迅悠一に騙されないよう忠告してあげてるんだ」
「あなたは迅先輩の何なんですか?」
「なんだと思う?当ててみてよ」


 仰々しく腕を広げてみせる、まるで舞台に立っているかのような振る舞いには違和感を覚える。普段の、のらりくらりと、けれど自分も相手も傷つけようとはしない迅先輩とは大違いだ。わたしは深層心理で迅先輩をこんなに憎らしく思っていたのかとショックを受けてしまうほど、目の前の迅先輩には少しも心が惹かれなかった。
 本当の迅先輩は、こんなふうに人を煽ったりしない。真にそう思っている。じゃあこの人は、わたしの頭の中の、どこから来たんだ?本当にここは夢なのか?


「あなたが迅先輩だというのなら、あなたこそ迅先輩を信用しないといけないと思います。……迅先輩を貶めるようなことを次々と口にするのは酷いです」
「迅悠一はそういう人間だからね。仕方ないよ」
「迅先輩が信用に値するかどうかはわたしが見て決めます」


 勢いで口にしてから、背筋が凍る。もしこの人が夢の産物じゃないとしたら、わたしが今いるここはどこなのだろう。もしずっとこのままだったら。ようやく、現状に危機感を覚える。
 しかし相手はわたしの警戒には気付いていないようだった。迅先輩の形をした何者かは、散々なことを言われたにも関わらず、やっぱりずっと薄ら笑いを浮かべて、ついには肩の力まで抜いたようだった。


「……嫌だな。すきじゃないな君のこと」


 一瞬動揺した心臓に、いや、この人に何を言われたって、と持ち直す。何と言い返すべきかと頭を巡らせていると、次第に意識が遠のいていくのを自覚する。気付いたときにはもう、口を動かすことはできなかった。


◇◇


 次に意識がはっきりしたときには、近くに迅先輩が立っていた。驚いて、一本後ずさる。迅先輩のほうも驚いたように目を瞠っていて、二人揃って間抜けな絵面になってしまう。目を白黒させたあと、我に返って恥ずかしくなる。取り繕うように目を伏せ、手で口を隠す。
 今、わたしは駅にいた。まさしく夢から覚めたようだった。でも夢というには違和感ばかりで、頭が追いつかない。わからない。今のは夢じゃなかったのかもしれない。
 ……とにかく、早く帰ろう。思い、戸惑う様子の迅先輩を見上げる。


「すみません。じゃあ、失礼します…」
「え、」
「え?」


「まだ何も答えてないんだけど…」先輩は困ったように首裏に手をやった。そしてようやく、夢を見る前に彼に問いかけていたことを思い出した。「わたしにこういうことするの、深い意味はないんですよね」ものすごく返答に困ることを聞いてしまった。今がチャンスと思ったけれど、客観的に見ると恥ずかしい。顔が熱くなる。


「す、すいません。やっぱり大丈夫です」
「……」
「……わたしも、迅先輩と仲良くなりたいので」


 自分の心の形をなぞるように言い、見上げる。戸惑うような表情の迅先輩と目が合う。やっぱり、あの人とは重ならない。
 さっきの夢で見た迅先輩をはっきりと覚えている。遠くで高みの見物をしているようだった。あの人がどこから来た人物なのか、わからないけれど、上等だ。一泡吹かせてやりたくてたまらない。彼に宣言したことに後悔はない。迅先輩が信用に値するのか、この目で確かめてやる。


「じゃあ、わたしこっちなので、さようなら」
「あ、うん……」


 内心の威勢をそのままに踵を返し、ずんずんと改札へ歩いていく。迅先輩の家の方面は知らないけれど、何も言われなかったから同じではないのだろう。雑踏に紛れ、背後の迅先輩の気配はすぐにわからなくなる。


「……それなら好都合だけど…」


 ぼそりと呟かれた声だって聞こえない。




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