その人と再び顔を合わせたのは二週間後のことだった。
日々をアルバイトに費やすわたしは今日も今日とてお昼から夕方まで店のカウンターに立っている。繁忙期なこともあり、時間は瞬く間に過ぎていく。ついさっき見たときは二時だったのに、この一瞬で一時間が経ったらしい。
体感時間が秒でこそあれ、身体の疲労は着実に蓄積していく。立ち仕事による腰や足裏の怠い痛みを感じながら一人大きく息をつく。と、自動ドアが開いた。お客さんが来店したのだ。「いらっしゃいませー…」声かけと共にそちらを見、そして見事、固まった。
「やーちゃん」
入店した人物は、なんと迅先輩だった。迅先輩はまるでおなじみといった風態で、もしくは親しい友人に声をかけるように、レジカウンターに立つわたしに向けて手を振っていた。
またもや開いた口が塞がらない。こ、こいつ、どのツラ下げて…?!二週間前の仕打ちをはっきりと覚えているわたしがにわかに戦慄するも当の相手は気にした様子もなく、愛想だけは上等な笑顔を浮かべこちらへ歩いてくる。そんな挙動を、硬直したまま凝視していた。
いや、違う、迅先輩だけじゃない。より深刻な問題が、目の前で発生しているのだ。彼の隣に、一緒に入店した男の人が並ぶ。
「。お疲れ」
「……あ、」
「あらしやませんぱい……」口にした名前はほとんど吐息だった。目を疑ってしまう。でも、本物だ、本物の嵐山先輩がいる。うちのお店に来てる。大学以外で会うの初めてだ。え、夏休みの嵐山先輩もめちゃくちゃかっこいい。今日の服装すごく似合ってる。かっこいい。写真欲しい、助けて、誰か、歌歩ちゃん。
「のおすすめはどれだ?」
「ひっ……は、はい、えっと……」
ロボットよろしくぎこちない動きで横移動しショーケースの前に立つ。この数秒で手汗がすごい。嵐山先輩に聞かれたことが答えやすい内容だったからまだ応対できたけれど、これで突飛な質問を投げられていたら完全にショートしていただろう。二週間前に迅先輩に教えたのと同じアイスを指差し、嵐山先輩がじゃあ、と即決して選んだ二種類のアイスを慎重に復唱する。レジへ戻り、会計を済ませ、背中に汗をかきながらなんとかダブルサイズのカップをお渡しすることに成功した。嵐山先輩のためにする行動のなんと永遠なことか。一瞬のようにも思えるから不思議だ。
「ありがとう」
「きょ、恐縮です……!」
こちらがお金を払いたくなるような笑顔だ。カップを受け取る嵐山先輩が眩しくて身を縮こめてしまう。嵐山先輩の注文を受けて、嵐山先輩のためにアイスを盛り付けて、嵐山先輩に提供した。もうこのまま休憩に入りたい…!自分の目に録画機能がないことをここまで悔やんだのは初めてだ。
「席空いてるな。先行ってる」
「ああ」
――あっ。
すんと現実に引き戻される感覚。嵐山先輩がイートインコーナーに移動していくのを目で追う。有頂天になっていた気分は、もう店の床に着地していた。わたしと嵐山先輩を一歩引いたところで見ていたらしいその人を見上げる。この数分間、すっかり存在を忘れていた。
「ちゃん、この間はごめんね」
「……」
「急用が入ってさ。連絡手段もなくて。ドタキャンしちゃってごめん」
来店したときとは一変してしおらしい態度の迅先輩に、何と返すのが正解なのかわからず困惑してしまう。罪悪感で胸が痛むような、怒りたいような、致し方なく思うような気持ちが混ざり合ってマーブル模様になってしまう。最後は何色になるのだろう。
「う……」身体をほんの少し仰け反る。迅先輩から距離を取ることで、冷静になれる気がしたのだ。そう、そうだ、流されちゃだめだ。
「卑怯ですよ…!嵐山先輩を使ってご機嫌取りなんて!」
強めの語気で言う。間違ったことは言ってないはずだ。わたしは迅先輩を責めたっていいはずだ。だから、迅先輩がそんな、驚いたような顔をしたって騙されてやらない。
「やっぱりあからさまだったよね」
「……はい」
はっ、と唾棄するように笑みを浮かべる迅先輩。自嘲のようにも見え、たやすく勢いが削がれる。意志が弱いわたしは、目の前の男の人がなぜか可哀想に思えてしまい、自分が加害者に転じたような錯覚さえ覚える。これ以上責めてはいけない、という気にさせられる。まるで、迅悠一という人間は、普段の飄々とした態度は演技で、本質はこうなんじゃないか、と直感めいたものを感じ取った気分になる。
そもそも迅先輩の見込み通り嵐山先輩と話せたことでしっかり喜んでいるのだから、強く言える立場じゃないのかもしれない。言い過ぎたかもしれない。もはや善悪の判断に自信が持てず苦い顔をしてしまう。
「でも、ちゃんと仲良くなりたいと思ってるのは本当だから」
ぐ、と顎を引く。今までの人生でこう何度も求められたことがないので戸惑ってしまう。胡散臭い人だとは思いつつも、そう言われては悪い気はしないのだ。一度カウンターに目を落とし、それから、おずおずと見上げる。
「……じ、じゃあ、連絡先交換しときます…?」
迅先輩がおもむろに目を丸くする。それはあまりにもわかりやすく、驚いた、と言っていた。
「うん」
表情を変えないまま、頷く。それが、和解の合図のようで、自然と肩の力が抜けた。自分に正当性があろうがなかろうが気まずいことには変わりないのだ。ほっと胸を撫で下ろす。
とはいえ、よく知りもしない先輩相手に軽率だったろうか。一抹の後悔がよぎりつつも撤回する度胸はなく、言った通り注文用のメモ用紙にメッセージアプリのIDを書き、先輩に差し出す。ありがとうと嬉しそうに目を細める彼から手早く注文を聞き逃げるようにアイスを盛り付けていると、その間に登録したらしくカップを受け取る際に「メッセージ送ったよ」と報告された。肩をすくめ、休憩のときに確認しますと答える。
「じゃあね、ちゃん。ありがとう」
イートインコーナーへ踵を返す迅先輩が手を振る。すっかり調子が戻ったようだ。来店時と同じマイペースな姿を見送りながら、どこか安堵している自分がいる。これは、ようやく去ってくれたから、ではない。
嵐山先輩が待っているであろう席へ向かう背中を見送りながら、ある一つの見解を得る。……もしかしたらあの人、不器用な人なのかもしれない。思って一人得意げにふんと腕を組んでみせる。なんだか、迅先輩の新たな一面を知れたと思ったら、気分がよかったのだ。
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