04


 個室から出てきた迅先輩には歌歩ちゃんも気付いたらしく、窓際のカウンター席に戻っていくところを確認したそうだ。わたしたちとは真逆の位置のため、会話の内容は聞こえていないだろうとの見解だった。ほっと胸を撫で下ろしたものの、以後周りにはよくよく気をつけようと自戒した一日だった。

 この一件で冷静になったけれど、迅先輩が自分に気があると思うなんてとんだ自意識過剰だ。あの人はそんなこと一言も言ってないのに、まるで早とちり、浮かれているみたいで恥ずかしい。歌歩ちゃん以外には絶対に言えない。身に沁みたわたしは、迅先輩との出来事を他言しないことを心に決め、むしろ忘れようとすら思っていた。


 だからまさか、たった二日後、バイト先に張本人が現れるとは思ってもみなかった。


「へえ、ちゃん、ここで働いてるんだ」


 レジに立つわたしを笑顔で見下ろす迅先輩に、開いた口が塞がらなかった。アイス屋の店内は冷房がガンガンに効いており、アップテンポの洋楽が微小の音量で四六時中流れている。時節柄大盛況で、イートインコーナーはカウンターもテーブルも若いお客さんで賑わっている。そんな周囲から隔絶されてしまったわたしの心などには見向きもせず、元凶の男の人は物珍しげにショーケースの中のアイスクリームを覗き込んでいる。


ちゃんのおすすめはどれ?」


「朗らか」と形容するのが正しそうに、悪意など一つもありませんとでもいうかの如く笑顔を向けてみせる迅先輩。一方、背中に変な汗が伝うわたし。謎の緊張感が走る。次第に、なぜか身体が火照ってくる。涼しいを通り越して寒い店内に耐え得る厚手の制服が災いして、無性に暑く感じる。


「えっと……これとこれと……」


 努めて何でもないように振る舞おうとするも、バイト始めたての四月の頃みたいにぎこちない。慌てるなと念じながら、お気に入りの五種類をカウンターの内側から指差しで伝えると、迅先輩は腰を屈めて目で追いながら、なるほどねと頷いた。そのタイミングで男女二人組が来店したため、逃げるようにそちらへ気を向ける。彼らはショーケースを一通りさらうと即決したようで、すぐに注文の声をかけられた。今の時間はカウンターにわたししかいないため、会計とアイスクリームの盛り付けを手早く行う。迅先輩のほうは見ないよう努めたけれど、お客さんへの応対も、コーンにアイスを二つずつ盛り付けていく手際も、何もかもつぶさに見られている気がして落ち着かなかった。


「ありがとうございました」
「俺もいい?」


 コーンを受け取った二人組がお礼と共に踵を返すと、間髪入れずに迅先輩が声をかける。「はい」負けてたまるか。狼狽えてばかりじゃないことをわからせてやる。対抗心を内に秘めながら毅然とした営業スマイルを向けるも、迅先輩は気にしていないかのような笑顔で一つずつアイスの名前を読み上げた。
 釈然としなかったものの、彼の注文内容がわたしのおすすめの二つだったものだから、何かを言う気がまんまと失せてしまう。営業スマイルは剥がれ落ち、苦虫を噛み潰したような変な顔になる。そりゃあ、聞いたからにはその中から選ばないといけなくなるものよ。冷静なつもりの思考で会計を済ませ、ダブル用のカップを取りショーケースを開ける。意識しないようにしていたけれど、やっぱり迅先輩に一挙手一投足見られている気がする。ほとんどのお客さんがそうするんだから気にすることじゃない。思っても、身体が妙に緊張してしまった。


「お待たせしました」
「ありがとう」


 カウンター越しに受け取った迅先輩にぎこちない笑みを浮かべる。よくよく考えると、先輩がどうして一人でここに来たのか、理由はよくわからない。まさかわたしのバイト先を知っていたわけじゃないだろうから、偶然だろうとは思う。一人行動を好まない人に見えていたけれど夏休みではそうもいかないのだろう。おとといのことを思い出して、この人もこの辺りが行動範囲なのかと推察する。


「なんか、よく会いますね」
「え?」
「おとといカフェにいましたよね。斜向かいの…」
「ああ……あれ?ちゃんいたんだ」
「はい。歌歩ちゃんと会ってて」
「三上ちゃんか」


 先輩はショーケースの上に置かれた小ぶりのクリアケースからプラスチックのスプーンを取り、自分のカップに差しながら「相変わらず仲良しだね」と笑う。その様子に他意は見受けられない。素直に頷く。


「声かけてくれたらよかったのに。俺もちゃんと話したかったな」
「……」


 臆面もなく口にされた台詞にはかろうじて苦笑いを浮かべる他なかった。歌歩ちゃんへのアプローチかとも思ったけれど、彼女の名前を出しても食いつきはさほどよくない。まだ先輩が警戒してるからなんだろうか。迅先輩の警戒をわたしが警戒するのも変な話なのだけれど。何なんだろうな、これ、本当に意図が読めない。

 先輩を見遣ると、カップを片手に目を逸らしたと思ったら、ふっと、息を吐くと同時に表情を消した。思わず硬直してしまう。さっきまで上がっていた口角は力が抜け、伏せた目は暗く、まるで、真闇を覗いているようだった。――なに?


ちゃん、あとどれくらいでバイト終わる?」


 自分の目を疑った次の瞬間には、先輩は先ほどと同じ愛想を浮かべていた。内心動揺したまま、しかし見てはいけないものを見てしまったような気がして指摘することはできなかった。


「え、っと……一時間くらいです。四時までなので……」
「じゃあ、これ食べたらおとといのカフェで待ってるから、終わったら少しおしゃべりしない?」
「え、まあ、はい……?」


 言われるがまま了承してしまう。迅先輩はやっぱりわたしの疑念なんて気にしていないようで、朗らかな笑みを浮かべたまま、じゃあね、と踵を返した。
 ……店を出ていく。一度も振り返らない後ろ姿を、わたしは呆然と見送るしかできなかった。

 頭の中の疑問符を消せないまま残りの勤務時間を務め、四時になると夕方のシフトのスタッフに引き継いだ。身支度を整え、いつもは素通りする控え室の鏡で、ちゃんと立ち止まって顔の調子を確認する。この時間のシフトだと終わったら帰るだけだから、化粧直しの道具は持ってきていない。大丈夫かな、いや、気にする意味もないんだけど。若干不安になったものの、すぐに気を取り直して姿勢を正し、鏡に映る自分自身を見つめる。
 迅先輩に対してどういう態度で接するのが正解なのか、いまいちわからないからいけないんだ。人生経験のなさが悪いんだろうか。男の先輩と会うって、普通どうするのがいいんだろう。
 当然ながら答えは出ず、溜め息をつき控え室を出る。外に出るなり夕方のこもったような熱気に包まれ、さらに顔をしかめてしまう。店との寒暖差が激しすぎるんだ、熱中症になってしまう。

 気が進まないまま、二日前にも行った約束のカフェへと向かう。そこはかとなく重い足取りで、ぼんやりと考える。
 迅先輩はわたしのすきな人の友人だ。協力しようかと持ちかけられて、断った。曖昧な理由のまま、仲良くなりたいとも言われた。こう考えると、迅先輩との関係はすでに他の先輩とまるで違ってしまっている。だから、他の人はあまり参考にならないかもしれない。


◇◇


「……あれ?」


 カフェに入って席を見回すも、先輩の姿は見えなかった。二階にいるのかな。空席は何個かあるけど、タイミングの問題だろうか。思い、階段を上がって探すもやはり尋ね人は見当たらない。すれ違ってしまったのかと一階に降り、レジの前やトイレを確認し、また二階に上がって同じくトイレまで確認するも、全部空室だった。ここまでくると、嫌でも一つの可能性が頭に浮かんでしまう。


(……バックれられた…?)


 さすがに想定していなかった仕打ちに立ち尽くしてしまう。会うこと自体には全然乗り気じゃなかったけれど、すっぽかされるのは話が別だ。嘘でしょ、酷くないか?文句の一つや二つ言ってやりたいのに伝える手段がない。途方にくれ、数秒後、むかむかと怒りが湧いてくる。次会ったとき覚えてろよと憤怒に燃えるも、二ヶ月後に大学で顔を合わせたところでこの怒りが持続しているとは思えず、わたしの緊張を返せ…!と心の中で地団駄を踏みながら一人虚しくカフェをあとにするのだった。




modoru / tsugi