次に迅先輩と会えたのは二日後のキャンパス内でだった。いつも通りシンプルな無地の洋服を身にまとい、肩の力を抜いた普段通りの様子で食堂へと歩いていく後ろ姿を見つけたのだ。目に留めた瞬間は、やっと会えたという安堵だけが湧いて、声をかけるべく駆け寄っていた。
「迅先輩!」
先輩は振り返ると、「ちゃん。やあ」軽く手を挙げ、にこりと目で弧を描いて笑った。変わらぬ様子に、先輩の笑った顔を前にしてつられるように頬を緩める。次は四限?と問う先輩に頷き――かけてようやく、いや待て、と気付く。先輩の反応が変だ。顔を上げる。きょとんと目を丸くしている、見たことのある表情。
「先輩」
「ん?」
首を傾げてわたしを見つめる先輩は、いつもと変わらぬ様相だ。見慣れてすらいる、普段通りの彼は、だからこそ違和感があった。
二日前に先輩と約束をし、彼の急用により結果的にすっぽかされたのは事実だ。この二日間、こちらから何度メッセージを送ろうとも、彼から返信が来ることはなかった。見ていることはわかっていたけれど、見ただけで済む内容ではなかったはずだ。
それがあっての現在、先輩が一言も言及する様子がないことがおかしかった。口を噤み、彼を見上げる。
「おととい、急用って聞きましたけど、大丈夫でしたか?」
ここでバツを悪くするのが迅先輩だと思っていた。実際、前にバイト終わりの待ち合わせをすっぽかしたことに対して、彼は大層申し訳なさそうにしていた。わたしだって二日も経てばもう怒っていないので、ごめんねと謝ってくれたらそれで終わらせようと思っていた。
「……ああ…」
けれど目の前の先輩は、表情筋を動かすのをやめたように口角を下げたと思ったら、目を左下へ動かして、まるで呆れるように、小さく声を漏らしたのだった。予想外の反応に硬直してしまう。こんな先輩は見たことがなかった。悪びれる様子もない、むしろ相手を見下げるような眼差しをする迅先輩など。
――違う、あの世界の迅先輩だ。
思い当たった瞬間、無意識にビクッと肩が跳ねた。純粋に恐怖したのだ。恐ろしいことに気がつく。いや薄々感じていた。そうでなければ何なのかとすら思っていた。けれど現実に繋がり、目の当たりにしてしまったら、ただただ、恐ろしかった。
あの世界の迅先輩は、正真正銘、迅先輩なのだ。
急速に体温が奪われていく。背筋が凍る。あれが迅先輩だとしたら、なぜあんな世界にいるのか、なぜわたしは会うことができるのか。わからない。そもそもあの世界の先輩と目の前の先輩には面識があるはず。先輩はあれのことをどう認識しているんだ。
「ちゃん?」
「! はい、」
「大丈夫?具合悪そうだよ」
わたしを案じるように背筋を曲げて肩に手を置き顔を覗く迅先輩。眉尻を下げ、至極純粋に心配そうな瞳で見つめる彼にほっとする反面、混乱してしまう。見間違いではなかった。あの世界の迅先輩と重なる。はっきりと、怪訝な眼差しで見てしまっていたと思う。それに気付くや否や、彼はパッと手を離し一歩距離を取った。
「いや、ごめん。一昨日のこと。あれからずっとバタバタしてて、連絡できなかったんだ」
「そ、……」
「もう直接会って謝ったほうがいいと思ってたんだけど……ちゃんを蔑ろにして、本当にごめん」
そうですよ、本当に。言ってやりたかったけれど、迅先輩はしっかり反省しているように見えて、これ以上塩を塗ることが躊躇われてしまった。だからもう、「大丈夫です」と口走ってしまう。言ってから、逆に冷たいかもしれないと思い、顔を上げる。
「次は連絡してもらえるとありがたい、です」
「うん。わかった」
明確な了承に、ほっと安堵する。続けて、「早速明日、お茶しない?埋め合わせさせて」とのお誘いに喜んで頷く。普段通りの先輩の笑顔は、やっぱり安心した。
じゃあ、四限終わりにね。先輩はポケットから取り出したスマホに何かを打ち込んだ。すぐに、わたしのポケットに入っていたスマホが振動する。見ると迅先輩からのメッセージだった。待ち合わせの時刻と場所だけが簡潔に記載されており、共有の意図が受け取れた。二人の約束に対する前向きな姿勢に口角が上がる。
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
携帯をジャケットにしまった先輩は、朗らかに笑う。それから、細めた目でわたしを見下ろした。
「ちゃんは本当に優しくて、信用に値するね」
「え」思わず漏れた動揺の声を気に留めることなく、迅先輩は満足げに微笑んだ。
|