10


 校舎に響き渡るチャイムの音を耳にすると同時に、スマホに落としていた視線を上げる。戯れにスピーカーの位置を探すも見える範囲にはどこにもなく、一体どこから聞こえるんだろうと暇の思考を巡らせる。スマホの待ち受けを確認すると、確かに四限の終了時刻を表示していた。突っ立っていた足の片膝を曲げてストレッチまがいのことをしながら、目の前の教室から出てくるであろう人の流れを待望する。この講義は時間一杯までやる教授なんだな。
 自分の講義が十分ほど早く終わったため、迅先輩が受けている教室の前で待っていた。待ち合わせは校門前という話だったけれど、人通りの多い外より教室前の方が間違いなく早く見つけられるだろう。着きましたよ、とかメッセージを送ればよかったと思った頃にはこの時間になっていたので、まあいいか、と気を取り直しスマホをカバンにしまう。

 教授が出てきたあと、続くように二つ上と思しき学生が大勢、教室からぞろぞろと出てくる。前後に二つある入り口のうち、階段に繋がる前の方に陣取っているため、もし迅先輩が後ろから出てきたとしても絶対に会えるだろう。今まで歌歩ちゃんと会うときは現地で落ち合うことが多かったため、こういう待ち合わせは久しぶりのように感じる。肩にかけたカバンの持ち手を握り込む。階段へ流れていく人の顔を目だけでさらっていく。


(あっ)


 いた。後ろから出てきたらしく、一人でこちらに歩いている。友人の姿はない。やっぱり一人でも大丈夫なタイプなんだな。関わるようになってから、先輩の印象はどんどん更新されている。第一印象で苦手に思ってしまって悪かったな、いやでも、最初は確かにそこはかとなく意味深で怪しかったんだよなあ……。
 迅先輩はこちらに目を向けることなく、いつも通り進行方向の地面に目を伏せながら歩いている。わたしがいるのとは反対側の壁沿いを歩いているせいか、こちらにまったく気づいていないようだ。そのまま目の前を通り過ぎそうになり、慌てて人の間を縫うように駆け寄る。


「迅先輩!」
「!」


「……あれ、ちゃん」わたしを見下ろす迅先輩。目はまん丸に見開かれている。ここで会うとは予想だにしていなかった様子だ。やっぱり連絡入れればよかったな、と少し申し訳ない気持ちになりながら、講義が早く終わった旨を伝えると、彼はなるほどと肩をすくめた。それから、斜め下へ目を逸らし、口を一度つぐんでから、おそるおそるといったように開く。


「……来てくれるなんて思ってなかったから驚いた」
「え、……勝手してすみません…?」
「いや」


 いいんだよ、と目を伏せる迅先輩。その表情は、眉をひそめ、まるで何かを堪えているようにも見えた。なんでそんな顔を……。内心動揺しながらも追及することはできず、空気を変えるように、じゃあ行きましょう!と先導するしかできなかった。迅先輩も異論を唱えることなく隣に並んで歩いてくれたため、それ以上は気にしないことにした。

 駅に直結しているデパートで洋服屋さんをひやかしながら、点在する喫茶店の中からちょうどいい店を探す。大学終わりに洋服を買うつもりはないけれど、ネックレスや髪留めなどのアクセサリーは気に入るものがあれば買うこともやぶさかじゃない。女性向けの雑貨屋さんに立ち寄り、店内の奥の方にあるアクセサリーの陳列棚の前で一つ一つ目で見ていく。迅先輩はこういうお店に来慣れていないらしく、落ち着かない様子でわたしの後ろをついてくるばかりだ。迅先輩なら違和感なく女性客に馴染めると思って来てもらったのだけれど、振り返った先、困り顔でわたしを見下ろしていたときはさすがに申し訳なかった。


「じ、迅先輩はこういうお店入らないですか?」
「入るように見える?」
「イメージとかけ離れてはいなかったです…。可愛いアイス屋さんにも一人で入れるし」
「あそこにはちゃんがいるからなあ」
「え」


 はは、と自嘲気味に笑った迅先輩は、それから何かを見つけたようで、「これは?」と棚へ手を伸ばした。フックから外して取ったそれは、柘榴がモチーフになったネックレスだった。ゴールドのチェーンの中央に下がる小さな赤い柘榴はガラスでできているらしく透き通っている。ころんとしていて可愛い。透明な赤ってこんなに綺麗なんだ。


「えー可愛いですね!」
ちゃん、こんな感じのすきそう」
「すきです!」


 迅先輩がチェーン部分を持ってくれているのをいいことにぶら下がった柘榴に手を添える。モチーフのあるアクセサリーがすきでつい手に取ってしまいがちなことをこの小一時間で察したのかと思うと先輩の観察眼が末恐ろしいけれど、言い当てられて恥ずかしい好みでもないのでそれ以上は気にならない。それより、いいなこれ、買おうかな。今月はまだ何も買ってないし、いいかもしれない。


「合わせたいので借りていいですか?」
「どうぞ」


 お椀の形にした手のひらに迅先輩がネックレスを垂らす。鏡を探そうと辺りに目を向けると、ちょうど真後ろに移動式の姿見があった。近くがエプロンや帽子のエリアだったのでそのためだろう。誰も使っていないので、せっかくなので使わせてもらう。
 前に立ち、首元の前にネックレスを重ねる。チェーンの流さもちょうどいい。なによりやっぱり柘榴が可愛い。透き通った赤いガラスは見方によってはピンクにも見え、チラチラと光を反射していて綺麗だ。わたしの中ではもう、これは買いだ!と決まったも同然だった。


「どう?」


 後ろから覗く迅先輩が右側に映り込む。頭一つ分背の高い彼が興味深そうにわたしを見ている。自分と迅先輩を客観的に見たことがなかったので、なんだか不思議な感覚だ。並ぶとこんな感じなんだ。迅先輩って身長何センチなんだろう。鏡に映る迅先輩を見つめる。鏡越しに目が合う。にっこりと、笑う。


「うん、似合う似合う」


 ――え。
 一瞬にして背筋が凍る。鏡の中の自分の表情が固まったのが視界に映る。焦点は、自分ではなかったけれど。

 迅先輩、いま口動かしてない。

 鏡に映る彼は深く笑みを浮かべているだけだった。次の瞬間には、背後にいた迅先輩が勢いよく距離を取ったため鏡からも消えてしまった。つられるようにそちらを見ると、二歩ほど離れた場所で目を見開いた彼が立ち尽くしていた。わたしも言葉が出てこず、沈黙してしまう。
 ……見間違い?それとも耳元で聞こえた声が幻聴だった?いずれにせよ、これこそ追及はできなかった。追及するには、自分の指先が冷たすぎた。手に持ったネックレスを握り込む。


「あ……わたし、これ買ってきますね」
「……うん、外で待ってるよ」


 そそくさと、逃げる様に背を向ける。迅先輩もすでに後ろにはいないだろう。早足でレジへ向かう。ふわふわと地に足がついていない感覚だ。
 移動する最中、先ほどの状況を思い起こす。見間違い、聞き間違い、どちらの可能性もあった。じゃなければ、何だというのか。
 口の中が渇く。だってあれは、でも、じゃあ……。鏡に映った笑顔の迅先輩に既視感を覚えた。……いや、あれは、わたし、間違いなく見たことがある。




modoru / tsugi