気になっていた映画をようやく見に行くことができた。大人気というわけではなく公開からしばらく経ったそれの人入りは五割といったところで、きっと来週くらいには終わってしまいそうな閑散具合ではあったものの、静かな映画館は心落ち着くので丁度よかった。
映画は小説が原作になっており、読んだ内容と同じく大きな山も谷もなく、登場人物たちが日常の小さな変化に少しずつ順応していくストーリーとなっていた。不幸すぎず、恵まれすぎず、自分たちの持つ価値観を貫き通したり、捻じ曲げたりして生きていく姿は誰かの人生を覗いている感覚になる。媒体が変わっても、魅力的な彼女たちのこれからをもっとずっと見ていたいと思わせる作品だった。
これ、いい映画じゃあないかな。個人的にはヒットなんだけど、世間はそう受け取らなかったらしい。ドキドキハラハラとは縁遠いストーリーだから退屈と思われてしまうのかもしれない。寝てしまってる人もいるし。
ちらりと隣を横目で盗み見る。その男の人は開演ギリギリにやってきて、わたしの隣、通路側の座席に座ったのだった。絶対誰も来ないだろうと思ってカバンを置いてしまっていたので、「すみません、ここいいですか?」と聞かれたときはとっても驚いた。すぐに謝ってどかしたけれど、常識のない人みたいに思われた気がして恥ずかしかった。
言い訳させてもらうならば、わたしだって毎回、開演前から空席に荷物を置くわけではない。劇場の中央の席が軒並み埋まっていたので、わたしはそこから少し離れるように後ろから五列目の左寄りに座っていたのだ。わたしがインターネットで席を取ったときはここら一帯空席だったし、実際来てみてもこの閑散具合だったから、間違ってもここに人が来るとは思わなかったのだ。多分この人はわたしのあとに予約したんだと思う。でも、いい席は埋まってるとはいえ、わざわざ知らない人の隣を取るなんて、余程この位置がよかったんだろう。彼なりのこだわりがあるのかもしれない。わたしも反省したので、これからは開演前に荷物を置くのはやめようと心に誓った。その決意も、本編前の予告が始まってすぐに揺らいだのだけれど。
なんと彼、本編が始まるなり目を閉じたのだ。照明が落ちてからさりげなく盗み見たら、足を組んで完全に熟睡体勢に入っていた。嘘でしょ映画見る気ないじゃん…?!思いもよらぬ行動に動揺したわたしは本編へ集中しつつも隣人が気になって仕方がなかった。船を漕いですらなかったから、頑張って起きてようともしてなかったと思う。話が退屈で途中で寝てしまうならまだしも、まるでこの人は最初から寝るつもりで来たみたいに、一切の迷いなく眠りに落ちたのだ。
「……」自分がすきな作品だからか余計に相手への不信感が募る。とはいえ、見ず知らずの人に起きろなんて言うほど気狂いではないので、わたしは諦めたように映画に集中することにしたのだった。
結局最後まで身じろぎ一つしなかった彼は劇場が明るくなったあとも起きる気配はなかった。観客がぞろぞろと出ていく中、自分の右隣の席に置いていたカバンを肩に掛けたわたしは隣人の横顔をじっと見つめる。……この人は一体、何のために来たんだろう。誰かとの待ち合わせの時間まで暇つぶし?それなら高い料金を払ってまで映画である必要はないでしょ。カフェとかに行けばいいのに。少なくともこの映画を見るために来たんじゃないことは確かだった。
それにしても、と思う。この人、顔綺麗すぎない?最初に声をかけられたとき見惚れたものね。横顔もかっこいいから隣に座ったあとも気になってしまって、だから寝始めたのにも気付いてしまった。歳は同い年くらいだろうか。100人が100人振り返りそうな美人な顔。でも、映画館は明るくてもオレンジ掛かってるからはっきりとはわからないけど、顔色はあんまりよくなかったような。色白であることはよーくわかった。寝顔も綺麗。
左向きに体勢を変え、斜め前から彼の寝顔を観察する。もはや隠れることなく見れるのはちゃんとした理由があるからだ。映画が終わってわたしも帰りたいのに、彼が起きないから通路に出られないのだ。反対側の通路までは十数席ある上、まだ座り込んで感想を話しているカップルがいるから前を通るには忍びないし、どう考えてもこの人が出てくれるのが一番早い。今度こそ起こしていいかな、と完全に好みのお顔に若干の下心を交えながら思う。ああでも、頑張れば前を通ることもできそうだし、寝に来たくらいの人を起こしてしまうのは、何だか罪悪感というか、それにわたしが言ったら嫌味っぽく聞こえてしまいそうだ。
葛藤の末、チキンなわたしは起こすことをやめて前を通ることにした。なるべく前列の背もたれを伝うように、大股でまたごうと試みる。くそう、長い足組みやがって…!なんとか右足を彼の向こう側について、左足を持ってくる。…あ。膝が彼の足に当たってしまった。寝ていた彼の起きる気配。大焦りしたわたしは急いで左足を引っ込めた。
「うわっ…!」
地面に着こうとしたら自分の右足を踏んづけてしまいバランスを崩す。ベタンッと音を立て通路に四つん這いになるわたし。……ば、ばか〜〜!カーッと全身が熱くなる。やばい、きもすぎる、一人で何やってるんだ…!
布擦れの音に後ろの彼が起きたことを確信する。は、恥ずかしい…!起きたら近くで挙動不審な女がいるの、絶対気持ち悪い…!若干泣きそうになりながら急いで立ち上がる。強打した両手が痛い。さっさと消えよう、もう二度と会うことないし、いいんだ、わたしも忘れたい…。
「大丈夫ですか?」
開演前に聞いたのと同じ声。逡巡ののち、くるっと振り返った。思った通り、隣に座っていた彼がわたしを見上げていた。
「は、はい…すみません…」
「いえ、僕こそ。終わるまで寝てしまっていて」
白いワイシャツにスウェット生地の黒いパンツを履く彼はもう何も写っていないスクリーンを見遣り、「いつもはエンドロールあたりで起きられるんですが」と呟いた。その台詞には首を傾げたくなったもののあえて追及せず、いえ、と頭を振るわたし。見間違えじゃなく、やっぱりタイプのお顔だ。直視するには少しばかり、心臓に悪いほどの。盛大にコケたところを見られたのもバツが悪かった。
「お怪我はありませんか?」
席を立った彼はさっきまで熟睡していたとは思えないほど清々しい表情で笑いかける。挙動に不可解なところはあるものの、顔に違わず紳士なようだ。相当モテそうだなあと思いながら大丈夫ですと手を振り、逃げるように劇場の出入り口へと踵を返した。
本当に、すっごく綺麗な人だった。いい映画だったのに見る気一ミリもないことになんだよって思ってたのに、そんな気持ちも吹っ飛ぶくらい好みの顔だった。イケメンは得だなあ!わたしは何だか、不思議な体験をしたみたいにふわふわしていて、心臓はどきどきと高鳴っていた。
「…? ……」
そんなわたしを目で追っていた彼は、姿が見えなくなると小首を傾げた。あとで聞いたことだけれど、このとき彼も、不思議な体験をしたと思ったらしい。
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