「さん?」
白んだ視界が明け、ハッと気付くと眩しい陽の下にいた。何度か瞬きをしてようやく、目が覚めたんだと理解した。ベンチに座りながら、目の前のコートで大盛り上がりを見せるバスケットのミニゲームに息を一つ吐く。そうだ、体験入部の見学中だったんだ。
大学に入学して一週間が経った今日、友人に連れられてバスケサークルの見学に来ていた。普段は大学構内の体育館で活動してるらしいけれど、毎週火曜は屋外のコートを借りてミニゲームをするらしい。降水確率0%の青空の下、スクールカースト上位を生きてきたような男女がバスケを通して親睦を深めていた。先輩らしき誰かが得点を決めてハイタッチする光景から逸らし、名前を名簿に記入した際もらった膝上のチラシに目を落とす。……来なければよかったな、少し後悔した。
「あれ、マジ?聞こえなかった…?…さーん」
「!」
ガバッと顔をあげる。そして固まる。すぐ右側に男の子が立っていて驚いたからだ。しかもそれが、
「きせくん…」
黄瀬涼太。夢にまで見た彼だったからだ。
「やっぱ同高のさんっスよね?大学同じだったんだー」
さっきまで夢の中で接していた人物と寸分違わぬ本人を目の前に、わたしは混乱してしまいどう返事をしていいのかわからなかった。口を開けたまま凝視してしまう。無邪気に話しかけてくる黄瀬くんに、おかしなところはどこにもない。けれどさっきまで一方的にいじめられた気分にすらなっていたわたしはぎこちない笑顔しか浮かべることができず、肩をすくめて縮こまるばかりだった。
知らなかった、黄瀬くんもバスケサークルの見学に来てたんだ。確かに運動神経いいって話だったし見るからに良さそうだから納得だけど、さっきの今で黄瀬くんと上手に話せだなんて無茶だ。わたしが勝手に夢に見ただけだとしても、普通に気まずい。大体高校でさえちゃんと話したこともないのにいきなり…。暑くもないのに汗がにじむ。冷や汗だ。そんなわたしにお構いなしの黄瀬くんは意気揚々とベンチの空いていた右隣に腰掛けた。
「さんバスケサークル入るんスか?インドアっぽいイメージあったから意外」
「友達に誘われて来ただけなので…」
気さくに話しかけてくる黄瀬くんにだんだんと申し訳なくなってくる。わたしはなんて夢を見てたんだ。というか見学中に寝るってすごいな。黄瀬くんは寝てると思って声かけてくれたのかな、もしそうならありがたいなあ。あははと苦笑いで頭を掻きながら考えていると、黄瀬くんは目をパチパチ瞬かせたあと、「ふーん」と薄い反応をした。
「俺も張り合いねーからやめよと思ってたんスよ」
「張り合い…?」
「みんなヘタクソ」サラリと吐かれた毒に固まる。黄瀬くんは至って興味のなさそうにコートに目をやりつつ背もたれに寄りかかった。その横顔が整ってるのはわかる。風になびくと左耳に光るフープピアスが見えた。
サークルで張り合い求めるんだとか帰宅部だったのに上手いんだとか思ったことはいろいろあったけれど、このときわたしはまさに、高校時代のこの人のことを思い出していた。
そういえば、高校のときの黄瀬くんもときどきこんな、つまらなさそうな顔をしてるときがあった。
「……」
黄瀬くんの冷めた一面に何とも言えない気持ちになって目を逸らす。わたしがどうこうできるものでもないし、どうこうしたいわけでもない。こういうことは首を突っ込まないに限る。
黄瀬くんがわたしみたいな(それこそインドアな)人間に近寄ってきたことは意外だけど、それも今回限りだろう。膝上にはまだサークル紹介のチラシが乗っていた。こんなもの、今日のうちに古紙回収行きだ。
「あっ…!!」
バシンと激しい音がする。間近で聞こえた音に瞠目していると足元にバスケットボールが転がってきた。テンテンと跳ねるそれを目で追う。どこから飛んできたんだろう。今なにが、
「キャー!!黄瀬くん大丈夫?!」
「黄瀬ごめん!!」
コートからぞろぞろと人が集まってくる。彼らの矛先である人間の名前を聞いてようやく理解した。黄瀬くんにボールがぶつかったのだ。「よりによってモデルの顔面に当てるとか!!」「ごめん〜熱くなりすぎた!」「おまえのパスカット激しすぎ!」「大丈夫?」わいわいと黄瀬くんの周りにたかる大学生たちに気後れするもここで消えるのは人として良心が痛む、ので隣を向いて黄瀬くんをうかがう。みんなの労りっぷりからどうやら被弾箇所は額辺りだということがわかり、大丈夫かとか冷やすのを持ってこようかとか立て続けに問われる彼を呆然と見ていた。……あ、マネージャー。マネージャーってこういうとき世話するのが仕事なんじゃないかな。入る気はないとはいえ今日の自分の立場を思い出して急に居た堪れなくなる。取りに行ったほうがいいかな、氷、誰に聞けば…。
「大丈夫っスよ!全然平気」
席を立とうと目を離した瞬間、聞こえた声に背筋がゾッとした。黄瀬くんの声だ。至って普通の声音だった。なのに、わたしの頭では、なぜか夢で聞いた彼の言葉がリフレインしていた。あんまり思い出したくない言葉だった。おそるおそる振り返る。
「ほんとか〜?」
「思いっきり当たってたよ?救護室行く?」
「平気っスよ!そりゃちょっと痛いけど、問題ないっス」
笑顔で元気そうに振る舞う黄瀬くんの姿を信じたのかみんなは安心したようによかったと口々に言い、マネージャーの女の人が持ってきた氷嚢を彼に預けるとぞろぞろとコートへ戻って行った。黄瀬ごめんな〜と最後まで謝る先輩に笑顔でひらひらと手を振る黄瀬くん。その隣でわたしは、金縛りにあったみたいに動けないでいた。
おそるおそる目を動かす。黄瀬くんの右手には氷嚢が握られていた。それをじっと見つめていた黄瀬くんは、それからおもむろに額に当てた。すぐに外し、首を傾げながら両手で氷嚢をいじる。まるで手持ち無沙汰みたいに氷嚢をもみくちゃにする彼。その様子を目の当たりにして、自分の心臓がドッドッと脈打っているのがわかった。「俺、痛覚ないから」夢の中の黄瀬くんの声。あれは何だったんだ。ただの夢のはず。でも、まさか本当に…?
気付くと黄瀬くんがわたしを見ていた。
「………あ、……」
とっさに逸らす。やばい、変な目で見てたかな。黄瀬くん、驚いたみたいに目を見開いてた。
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