何を隠そう、俺たちと兵太夫の部屋は同じマンションにある。俺が一階であいつは四階。大学進学と同時に清八と越してきたら同じ大学の兵太夫とマンションまで被っていたのを知って驚いた。高三の三月末に初めて一階のエントランスで鉢合わせたときゲロを吐きそうな顔で言われた「嘘だろ」は未だに覚えてる。慣れた知り合いへの遠慮を一切しないところは兵太夫らしいけど、ちょっとは喜んだっていいじゃんな。だって小学校からの付き合いだろ俺ら。 高校を卒業したら家業を継ぐ予定だった俺は、まだ勉強しなくちゃいけないことがたくさんあったので進学の道を選んだ。そしたら、なぜか清八もついて来た。俺の実家で住み込みで働いていた兄みたいな存在だが、意気揚々と一人暮らしをするつもりだったのに周りからやたら心配され、押し切られる形で清八と一緒に二人用の部屋で住むことになったのだ。どんだけ信用されてないんだよ俺っていうな! 「若旦那、そろそろ来るんじゃないですか?」 「あ、そうだな!もうできてる?」 「はい。ばっちりです」 ……とか言ってご飯清八に作ってもらってるから文句言えないよなー。や、俺他のことは頑張って手伝ってるし!いろいろ! リビングのテーブル中央に敷いた鍋敷きの上にできたてのそれが乗せられる。フタはまだ被せてあるもののいい匂いが部屋中に広がっていた。それをすんと吸ってから、玄関へと踵を返した。 清八の言う通り二人はもうすぐうちを訪ねて来るだろう。靴入れの向かいの壁に寄り掛かり、ドアの向こうの気配を待つ。 それにしてもさあ、兵太夫大丈夫なのかよ(……ギャグみたいな字面だな)。だって幼なじみと言えど年頃の男女じゃん。気まずくね?ていうかそもそも兵太夫が誰かと共同生活とか全然想像できない。あのミスターマイペースがワンルームにと住む!もう、全然想像できない。家事の割り振りとかどうすんだろう。そこらへん根掘り葉掘り聞かなきゃだな! 考えているとチャイムが鳴った。弾かれたように壁から背を離し、つっかけの青サンダルを足場にドアを開け放つ。「いらっしゃい!」チャイムの音がここでようやく鳴り止む。普通より早い反応だったからか、ドアの前に立っていた兵太夫は目を丸くして驚いたようだった。 「早いな」 「へへ、待ち構えてた。もう鍋できてるぜ」 「あっ加藤だ!変わってないー!」 「うおっ?!」ドアの影から出てきたのはだった。大学でよく女子が着てるような柔らかそうな生地の服と膝まで隠れる紺色のスカートを着て、兵太夫ん家のお盆を持っていた。と最後に会ったのが中学だから、もうかれこれ三年半か。あーそんだけ経つと変わるよなあ、なんか大人びたような……あれ今俺変わってないって言われたよな?あれ? 「俺変わっただろー!」 「あ、ごめん変わった変わった。かっこよくなったー」 「心にもない!」 「、中に清八さんいるからサラダとか持ってって」 「はーい。おじゃまします」 「ん、おう」 遮るような兵太夫の声には二つ返事で了解し、俺の横を通り抜けるように部屋に入っていった。お盆にホッケとサラダが乗っていたのはご飯をごちそうになってばっかじゃ申し訳ないと言う兵太夫なりの礼儀らしく、いいと言っても毎回一、二品持ってくる。慣れた知り合いには一切の遠慮はないくせに、こういうとこは意外と律儀なのだ。面白い奴だよなあ。とりあえず兵太夫も中に招き入れ、ばたんとドアを閉める。そういえば電気つけてなかった。外は共用廊下の照明があったからよかったが、今はリビングからかすかに届く明かりだけが頼りだった。ドアを背に暗がりの中靴を脱ぐ兵太夫が不便だろうと思い、そばのスイッチへ手を伸ばした。パチンと人差し指で押し点灯する。 それから向き直すと兵太夫はすでにハイカットのスニーカーを脱ぎ終えていた。あんま意味なかったなと思いながら、足元に落とした視線をそいつへと戻す。機嫌がよくなさそうな目と合う。全然怖くないけど。 「まじで一緒に住んでんだなー」 「嘘つくことじゃないだろ」 「だよなー」 「……」 「……」 「……なんだよ」 「いや、どうなのそれ」 「べつにもう諦めたし」 「てかいつまで?」 「弟の受験終わるまで」 「受験?ながっ!」 「でも飽きたら出てくらしいし。母曰く」 「へー……飽きて出てかれる兵ちゃん見てみたいな」 「殴るぞ」 「すいません」 「……出てって家帰ってくれるんなら万々歳だよ」 そう言ってフンと鼻を鳴らし腕を組んだ兵太夫は靴入れの棚に寄り掛かった。いつも俺と話すとき不機嫌そうな顔するよな。憎まれ口叩いてるときはおかしそうに笑うのがこれまたなんとも兵太夫らしい。しかし……。 「それつまり自分以外のとこに行かれたらやだってこと」 「はあ?」 「すいません」 やっぱ怖え兵ちゃん。今の目人一人殺してきましたって目だったぞ。てか俺殺そうとした目だったろ、やばい寒気が。なんだよだってそうじゃんそういう意味だろ間違ってなくねえ?やっぱのこと心配なんだなあ。幼なじみだもんなあ。 「ここ避難場所にしていいぜ」 「意味わかんないんだけど」 「かわいくなったよな」 「はあ?」 だから怖えって。 「団蔵、おまえも三年と会ってないだろ?僕もだよ。でも僕からしたら何にも変わってなかったよ」 「ああ、まあ三年も経てばねって感じ?」 「そう。でも人間としてはいろいろアウトだ。常識がない」 「幼なじみの男の家に居候しようとするし」 だからいちいち睨むなよ。 「何も成長してないんだって。中学のときから」 「……兵太夫」 兵太夫が俯いたので表情は長い前髪で隠れてうかがえなくなった。なんだよ、どうしたんだよ兵太夫。おまえらしくねえよ。何て言えばいいのかわからず、とりあえず肩でも叩いて元気出せと言ってやろうと一歩踏み出す。 「笹山ー加藤ー食べるよー」 「っ! おー」 リビングからに呼ばれた。それにぱっと顔を上げた兵太夫が無言のまま俺の横を通り過ぎる。一瞬見えた顔は能面みたく、誰にも表情を読み取らせないようで、やっぱ困ってるんじゃないかと思わせた。仕方なしにあとに続いてリビングへ向かう。 ダイニングテーブルを囲っていただきますと食べ始めるも俺は何となくすっきりしないままだった。やっぱ、いくら幼なじみでも女を自分ん家に住ませるっていうのは、気持ち的に――。 ――幼なじみ? 「笹山、ドレッシング取って」 「ん」 「ありがとー」 いや幼なじみに違和感覚えたんじゃねえよ。そこは間違ってない。そこじゃなくて、今、そういやさっきも、電話のときも違和感はあった。何か変だと思った。何って、今気付いた。 こいつら、なんで苗字で呼んでんだ? 「団蔵、食べないの」 「え、あ、食う食う(あーあー……)」 兵ちゃんのどこか諦めた表情。そうだよ幼なじみだからとかじゃなくて、中学のころお世辞ですら賢いとか鋭いとか言われたことない俺にだってわかったくらい、 兵太夫、のことすきだったよな。 こいつがの話をしなくなったのはいつからだっけ。 |