第一志望の大学に進学して始めた一人暮らしは順風満帆だった。家族はべつに嫌いじゃなかったけれど、なんせ通学しづらかったから。理由なんてそんなものだし暇な週末は帰るようにしてる。もともと一人で暮らすことに憧れがあったのだ。バイトと大学を両立することは正直大変だけど、それでも楽しい。きゃんきゃんうるさいくせに大雑把な姉にいらつくこともなく、綺麗に整頓されたこのマンションの一角が僕の城だった。

 コンロの火を消す。今日はクリームシチューだ。多めに作ったから、明日の朝ごはんにもなるだろう。
 シチューをよそおうとスープマグに手を伸ばすと、ふと、団蔵にメールを返さなきゃいけなかったことを思い出した。同じ大学に通っている奴とは気持ち悪い縁で、小学校からの付き合いである。その団蔵に明日、夜ご飯を食べに来ないかと誘われていたのだ。まあ暇だし、清八さんのおいしいご飯をご馳走になれるから断る理由はない。回答は決まっていたもののなんとなく面倒くさくて放置していたのだ。リビングに戻り「いく」と簡素な返信を送る。

 さてシチューだ。携帯をソファに放り投げ、また台所へ向かう。お玉を手に取った瞬間後ろで携帯が鳴り出したけれどどうせ団蔵だろうから後回しだ。明日の詳細はどうでもいい。団蔵ん家での夜ご飯なんてこれが初めてってわけじゃない。鍋のフタを開け、


 ピーンポーン


 ……空気読めよ。部屋に響いたチャイムに眉根を寄せる。システムキッチンの前に立ったまま首を左にひねると屋外と繋がる玄関のドアが見えた。こんな時間に誰だ?宅配を頼んだ記憶はない。バレバレの居留守を使おうか逡巡し、しかし追い返した方が早いと判断しお玉と鍋蓋を元の位置に戻した。どうせセールスか何かだろう、ばっさり追い返してやる。そういうのは得意だ。踵を返し、スタスタとリビングの壁に備え付けられた受話機へ移動する。インターホンに画面はあったが、ドア前のチャイムにカメラがついてるタイプじゃないため何も表示されない。ここはオートロックのマンションなので、本来だったら一階のエントランスで任意の家主を呼び出し、ロックを解除してもらってから中に入るのだ。それをショートカットしたということは別の部屋にも訪問したセールスマン。一回一回エントランスで住人に確認を取るもんじゃないのか?
 不躾な奴だと悪態をつきながら二度目のチャイムの音を聞く。最後まで鳴り終わる前にプッと受話ボタンを押す。優雅な夕食を邪魔されたこと、面通しを済ませなかったことに対して僕はにわかに苛立っていた。


「はい」


いたのに、


『あ、久しぶり』


 この声は誰だ?


「……は、どちら様ですか」
『え、うそ、わかんない?笹山忘れた?』
「、誰だよ」
です』
「………は?」


 ?待てよ、?……は?


?」
『うんそう。だから開けて』


 コンコンとドア越しにノックする音が聞こえる。突然の展開に頭が追いつかない。意味がわからない。だって?
 確かに声は、言われてみれば彼女のそれだと思えた。ただ僕の家への訪問者として微塵も候補に挙がっていなかったためすぐに気付けなかったのだ。とりあえずこの間接的な会話を続けている場合じゃない、僕は玄関に向かった。数秒で着くドアへ早足で歩いている間、ふと、こいつはどうやってここまで入ったんだと疑問に思った。

 向こう側にいる人間には配慮せず、鍵とU字ロックを解錠しドアを開ける。


「………」
「やー」


 そこには確かにがいた。利き手を上げて、間抜けなあいさつなんかしてる。記憶にあるそいつとは別人のようで、でも丸っきりの面影が残っていた。成長は、してる。それはそうだ、だってこいつは僕と同い年で、僕がを見たのは三年前、中学の卒業式の日以来なんだから。

 僕が何を言うべきか頭を回転させているうちに、背の高さが頭一個分違うは口角を上げ、こうのたまったのだった。


「家出した。住ませてください」




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