わたしたちの他にもIDをつけた人がいるのでは?と気付いたのは午後2時を回ってからだった。
それまでわたしたちは園内にあるカフェテリアの隅っこを陣取りひたすら時間を潰していた。一応本物ではあるらしいフリーパスIDを完全に持て余してる感は否めないけど、爆弾のこれを下手に取り扱ってうっかり爆発なんてことになったら大変どころの騒ぎじゃない。ということを口に出さずとも紅子ちゃんも思ってたらしく、白馬くんとの通話が終わったあとすぐ、カフェにいようと提案された。

そもそも、白馬くんがわたしたちのために頑張って捜査してるときにのんきに遊び呆けるような図太さは持ち合わせてないよ。イチゴの果肉が入ったイチゴミルクを飲みながら、何度目かの思考が終わる。こんなことをしてくれやがった依頼人への当て付けでそこそこ高い飲み物を頼んでやった。パフェスプーンでイチゴを潰すと赤い果汁が薄ピンクのミルクに滲んでいく。おいしい、けど、気分は晴れない。昼食もあまり喉を通らなかった。


「つまらなそうな顔しないの」
「…紅子ちゃんー…」


両腕で頬杖をつく紅子ちゃんが仕方のなさそうに笑う。彼女の左腕には今もしっかりミラクルランドのIDが付いてる。けれど彼女はさっきからわたしほど曇った表情はしてないし、むしろわたしを励ましてくれさえしていた。肝が座ってるなあ…淑女な紅子ちゃんはこんな状況に堂々としてられる心の強さもあるのだ。ああほんとに、わたし一人じゃなくてよかった。こんなこと思うのは性格が悪いだろうか。せめて白馬くんにも、誰か味方がそばにいてくれたらいいなあ。

ふと気付く。白馬くんの話では、依頼を受けている探偵は白馬くん以外にもいるらしいじゃないか。ということはもしかしたら白馬くんはその人たちと協力してるかもしれない。そうだったらいい、何事も一人より二人、二人よりたくさんだ。どうぶつの村の村長になるゲームの謳い文句で見たことある。
ええと、そうじゃなくて、いやそうなんだけど、白馬くんに味方がいるということはつまり、


「……!!」
「な、なに?どうしたの?」


突然ガタンと立ち上がったわたしに紅子ちゃんは驚いたようで身体を縮こめた。当のわたしはというと、両手をテーブルにつき、大きく息を吸う。(……)それから、吐いて、小声で告げた。


「紅子ちゃん、わたしたち以外にも人質、いるんじゃないかな?」
「え?」
「ほら、探偵も白馬くん以外にいるって言ってたじゃん、だから人質も」
「、……そうかもしれないわね」


興奮のあまり大声を出しそうになったのを我慢できたのは褒めてほしい。紅子ちゃんがちょっと考えたあと頷いたのを見て、わたしは残りのイチゴミルクを飲み干した。最後に潰れたイチゴをパフェスプーンですくって口に放り込み、タンッとテーブルに置く。


「探しに行こう!」
「…見つかるかしら」
「それは、微妙かもだけど…」


そりゃーこの広い園内にいる数人を見つけるのは至難の技かもしれない。でもここでじっとしてても時間を無駄にするだけな気がしてならないのだ。わたしは白馬くんを待つ間、少しでも、意味のあることがしたかった。「…まあいいわ」渋々とだけれど了承してくれた紅子ちゃん。少し残ったカフェラテは飲まず、ハンドバッグを手にして立ち上がった。


「でも、いきなりどうして?」


返却口へ向かいながら問いかけられた。前を歩いていたわたしは振り返り、ぐっと拳を作る。


「一人より二人、二人よりたーくさん!」





カフェテリアを出てわたしたちがまず向かったのは出入り口のゲートだった。入場するときIDをゲートの機器にかざして入ったのだけど、その際そばに立っていた係員のお兄さんにIDについて触れられたのだ。そのお兄さんは、このフリーパスIDは特別な方にしか出してないことを言い、ゆっくり楽しんでくださいと送り出してくれた。あの人なら、IDで入場した人のことを覚えてるんじゃないか。そう思ったのだ。山吹色の兵隊服を身につけたその人は、一番左端のゲートの脇に立っていた。


「あの、すいません」
「はい、何でしょう」
「このIDなんですけど……あれ?」


腕についたそれを見せようと肘を曲げて前に出すと、その機器の異変に気付いた。斜め後ろにいた紅子ちゃんもそれに気付いたようで、眉をひそめたのがわかった。


「何、その点滅…」


そう、デジタル時計の上にある小さな赤いランプが点滅してるのだ。紅子ちゃんのも見てみると同じように点滅している。さっきまでは黄色のランプが点いてた気がする。…直感だけど、色のイメージからもあまりいい予感はしない。答えを求めるように係員のお兄さんに聞いてみても、不思議そうに、初めて見ますねと返されてしまう。いよいよ背筋が凍る。…本来のIDじゃ有り得ない作動なんだ、ということはこれは人質仕様。表情筋が固まって言葉を発せないわたしに対しお兄さんは逡巡したあと、ああ、と合点がいったように手を叩いた。


「退場ですか?フリーパスIDをお持ちの方は自由ですよ。あちらの退場ゲートからどうぞ」
「…ちっ違います!出ません!あの、わたしたち以外にも今日これで入場した人っていますか!」


とんでもない勘違いだ。そう思われても仕方ないかもしれないけど、今のわたしたちにはちっともシャレにならない。未だ点滅するIDに後ずさり気味に問うと、彼は不思議そうに目を丸くしながらも頷いた。


「ええ、いますよ。女性が一名、そのあとにまた二名…お客様を含めて五名の方が現在園内にいらっしゃると思います」
「…!」
「ちなみに、その方たちの容姿や特徴を覚えているかしら」


紅子ちゃんがずいっと一歩前に出るとお兄さんの顔がちょっと赤くなった気がする。こんなところでも紅子ちゃんはモテモテなようだ。さっきカフェにいたときも男の人にナンパされてたもんなあ。ついでに君も一緒に遊ぼうよって言われたけど、うるせっ!て感じだったよ。

とにかく、記憶力のいいお兄さんが言った人物像を頭の中にインプットする。最初の女性は黒髪のポニーテールで黄緑色の服。次の二人客は黒いロングヘアに白のジャケット、茶髪のおかっぱにオレンジ色の服。三人ともわたしたちくらいの高校生だったという。


「ありがとうございます!あの、もしその人たちを見かけたら、探してる人がいるから園内で待っててもらうように言ってください!」
「え、ええ…」


どう考えても怪しい発言をしてるのはわかってるけど四の五は言ってられない。訝しむお兄さんにはもう一度お礼を言って、わたしたちは小走りで一度ゲートを離れた。


「…あ、ランプ戻った」
「やっぱりゲート…というよりセンサーかしら?それに近付いたからみたいね」
「……」


ごくんと唾を飲む。気のせいか口の中が渇いているようだった。怖い。爆発の目の前にいたんだ。赤く点滅するランプが、爆発するぞって脅してるみたいだった。自然と身体が震えて少し気持ち悪い。真夏なのに両手が冷たくなってるのがわかり、手を合わせて指先を揉む。暑さのせいだけじゃない、緊張で汗をかいていた。


「でもゲートを通らなければ大丈夫なのはわかったわ。一応他の係員にも確認とった方がいいわよね」
「うん、そうだね…」
「……」


完全に怖気づくわたしを励ますように、紅子ちゃんはわたしの両手を包み込んだ。彼女の手も少しひんやりとしていた。…紅子ちゃんも、緊張してる。そりゃそうだ、わたしたち今同じ状況に置かれてるもの、紅子ちゃんだけ怖くないなんてこと、あるはずない。ゆっくりと顔を上げると、眉をハの字にした紅子ちゃんと目が合った。ああ、ほら、一人にしちゃダメだ。


「私のこと、任されてくれるんでしょう?」
「……うん!」


ほとんど泣きそうだったわたしは、なんとか堪えて頷いた。その通り、白馬くんに堂々と言ったじゃないか、紅子ちゃんのことは任せてって。それだけは、放棄しちゃいけない使命だ。
「行こう!」なけなしの勇気を振り絞って、紅子ちゃんの手を取る。紅子ちゃんは、ええ、とほっとしたように笑った。


(6/17)