馬車道に着いたのはIDの時計で12時10分だった。車内で懐中時計と照らし合わせ、この時刻表示が正確なものであることは確認済みだ。少なくともこの時計が22時になるまでがタイムリミットであることには違いないため、今日一日はこれに従って行動することを決めていた。
車を縁石に待機させ、降車する。辺りを見回すがこれといって変事はなさそうだった。ガス灯や歩道のレンガの石畳などは明治を匂わせ、博物館や昭和時代の歴史的建造物がいくつか目立つ他、コンビニエンスストア、ファストフード店、銀行が立ち並んでいた。一体ここに何があるというんだ…。あてもなく歩道を歩き進んでいく。夏季休暇中なのもありそれなりに人が見かけられ、家族で昼食を取りに来たのであろう客がファストフード店に入っていくのが見えた。


「白馬?」


後ろから声をかけられハッと振り向く。立っていたのは愛想のいい黒髪の男だった。紺のパーカーに黒いスラックスを着、爽やかな笑みを浮かべる彼は僕と同じ歳の頃に見える。…が、記憶を巡らせても面識は、ない。


「…すみません、どこかでお会いしたことありましたか?」


一瞬、男は笑顔のまま固まった。


「あーワリーワリー!同じ高校生探偵だから一方的に知ってたんだ。俺、工藤新一。よろしくな」


その自己紹介に合点が行き、それなら納得だとこちらも警戒心を解く。「君が!話には聞いてます」以前探偵甲子園という偽のテレビ番組で出演依頼を受けた際、僕を呼び出す口実として名前を出されたのが彼だ。それ以前もちらほら名前を耳にしたことはあったがそれも数える程度だったため、もう探偵の世界から姿を消したものとうっすら思っていた。だから顔を見たこともなかったし調べようとも思わなかった、のだが。
失礼と思いつつも彼の顔を凝視してしまう。…彼、黒羽くんにそっくりじゃないか?髪型は違えど顔立ちが似ている気がする。それに声も。そう僕は先ほど無意識に、黒羽くんに声をかけられたと思ったのだ。他人の空似だろうか。半ば好奇心で携帯を取り出し、インターネットで手早く工藤新一の画像検索をしてみた。が、出てきた写真たちと目の前の彼は完全に同じであった。本物で間違いない。確かにそう言われてみれば、そこまで似てないのかもしれないな。自嘲気味に肩をすくめる。どうやら僕は黒羽くんのことを記憶の中で美化していたようだ。


「どうした?」
「いえ、知り合いに似ていたもので。ですが気のせいでした。君の方が数倍賢そうな顔つきをしてます」
「へー…」


工藤くんが白けた相槌を打つ間に携帯をしまい、それで、と本題に入る。彼が偶然見かけた同じ高校生探偵に声をかけたのが、何も世間話をしようとしたからではないことくらい気付いていた。スッと目を伏せる。彼の左腕には、僕のと同じIDがはめられていた。


「…君も依頼されていたんですね」
「ああ、人質も取られた」


一転して真剣な表情を見せる彼に、やはりと得心する。僕と同じだ。ということは彼もヒントを得てここに来たのだろう。僕は依頼人の言葉を思い出し、調査中の探偵二人のうちの一人が工藤くんなのだろうと決め打った。それから、探偵同士の協力がタブーということは言っていなかったと思い、彼に向き直る。


「では、目的も同じことですし、共同戦線と行きましょう」
「だな」


不敵な笑みを浮かべた工藤くんを見据える。「まずはここで得られる情報が何なのか、調べましょう」





有力な情報に出会えたのはそれから30分が経った頃だった。馬車道周辺の店に片っ端から聞き込み調査を行っていたところ、街頭に構えている占い師の女性から興味深い話を聞くことができたのだ。


「ここ最近馬車道で変わったこと…?そうねえ、四月の初めにあった現金輸送車が襲われた事件くらいかしら…」
「現金輸送車?…あの銀行でですか」


丁度占い師が構えている通りの目の前には銀行があった。輸送車が入る車庫も見える。なるほど、あそこで襲撃されたのか。ここからだとよく見えるし、反対にそれ以外の店から目撃することは難しいだろう。


「その話、詳しく聞かせてください」
「ええ…午後2時過ぎだったかしら…車庫に入れようとしてガレージが開いた途端、一台の車がやってきて…銃で脅しながら現金の入ったケースを奪っていったの。そのとき警備員が一人撃たれてしまってね…」


「ほんの一瞬に思えたわ。夢か現実かわからないくらいのねえ…」つまり手際がよかったのだろう。相当計画的な犯行だったと推測できる。…依頼人が解決してほしい事件というのは、これのことか?
顎に手を当て何か考え込んでいる工藤くんを横目に、占い師の女性には礼を言ってあとにする。念のため銀行にも話を聞こうと横断歩道を渡り、向かい側の歩道の地を踏んだ。
邪魔にならないよう銀行の壁際に寄り、携帯で現金輸送車襲撃事件のことを調べてみると案外すぐに見つかった。四月四日、14時半頃、白の乗用車が現金輸送車を襲い現金を持ち去った。その際止めに入ろうとした警備員一人を射殺。…四月四日といえば、僕がさんと京都に向かった日だ。神奈川ではこんな事件が起こっていたのか。


「……」
「ん?どした?」
「いや、四月四日は怪盗キッドが深山美術館でダイヤを盗んだ日だと思って」
「……オメーよく覚えてんなンなこと…」
「彼の動向は逐一把握してるつもりだよ」


それにあの日、キッドは誰かに一方的に発砲されている。しかもそれ以来命を狙われているという話だ。幸いキッド自身が負傷したことはないが、民間人に被害が出たと聞いている。ここ最近のキッドに関する出来事として特に大きな事件だった。またもや白けた顔をしている工藤くんには首を傾げ、それから簡単にここの地理を思い起こした。


「そういえば、深山美術館はこの付近でしたね」
「あ?そうなのか?」
「30分もかからないんじゃないかな」


怪盗キッドの予告も昼頃だったはず。キッドと現金輸送車襲撃事件。ほとんど同時刻に行われた二つの犯行は、単なる偶然なのだろうか。念のためメモ帳に書き記しておき、ふうと溜め息をつく。


「…とにかく、やはり依頼人が解決してほしい事件というのは現金強盗のことなんでしょうか」
「一人殺されてるみてーだしな。依頼人は遺族とか」
「だが、そうなると顔を公にできない理由はわかりませんね…」


その可能性も視野に入れ、本格的にこの事件について詳しく調査していくことを決める。おそらく馬車道で得られる情報はこれで終了だ。…しかし。「四ヶ月も前の事件を自力で調べるのはなかなか厳しそうですね」つい苦い顔で呟いてしまう。ネックなのは主に時間制限だ。時間をかければいくらでも手段はあるが、現時点でもう13時になる。残り9時間で犯人を特定するまでに至らなければいけないのだ。まずここでは被害者の名前を銀行で聞き、警備会社には事件に居合わせた他の警備員に話を聞きたい。
難しい顔をしていたのだろう、唸る僕に工藤くんは不思議そうに首を傾げた。


「自力っつっても、どうせ警察も調べてんだろ。聞いてみりゃいいんじゃねえ?」
「…僕らのIDにGPSが組み込まれていることを聞かなかったのかい?」
「いや、だから電話とかで」


工藤くんはポケットから右手を出し、真ん中三本の指を折り曲げ電話をかけるジェスチャーをしてみせた。それを見た僕は思わず、ポカンと口を開けてしまう。


「…なるほど」


どうやら僕はまだ頭が固いらしい。


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