秘書の高田という男が両開きのドアの鍵を掛けた瞬間、部屋の空気が変わるのを感じた。「邪魔をされたくないもので」あくまで人のいい笑みに眉をひそめる。その台詞が矛盾していることに、この男は気付いていないのか。探偵の僕以外の介入を阻止したいのなら、始めから友人も連れて来いなどと言わなければ済む話だ。このフリーパスIDもそう簡単に用意できるものではないだろう。何のためにさんたちを。
彼はジャケットのポケットから小型のスイッチのようなものを取り出し、赤いボタンを押した。途端、室内のカーテンが音を立て一斉に閉じる。赤紫色のそれが窓を覆い隠し部屋は簡単に光を失う。そしてすぐ、テーブル正面に設置された巨大モニターに映像が映った。


「来て頂いてありがとう。私が依頼者です」


モニターには男性と思われる人物が映っていた。どこかから中継されているのだろう、リアルタイムの映像だというのはすぐにわかった。しかし暗い室内にいるのか、肝心の依頼人の顔は判別できない。かろうじて、赤い上着に黄色いスカーフを巻いているのがわかるくらいだった。「事情があって顔を公にできない無礼をお許しください」声はややくぐもっているが、変声機を通して大幅に変えた声音ではない。ということは相手はやはり男性で間違いなさそうだ。


「今日お呼びしたのは、ある事件を解決してほしいからです」
「ええ、こちらもそのつもりです。それで、その事件とは?」


ただならぬ雰囲気に警戒心を強めて問うと、モニターの向こうで依頼人は嘲るかのように小さく笑った。


「それを掴むのもあなたたち探偵の仕事なんですよ…」
「え?」
「これからいくつかのヒントを出します。それを元に推理し、事件を解決してください」


いよいよ眉間にしわを寄せる。解決してほしい事件が何なのかから調べろというのか。依頼人の目的は何だ?事件の解決がそれならなぜ回りくどいことをするんだ。しかもそれをなぜ僕に……、いや、さっき依頼人は「あなたたち探偵」と言った。ということは。


「僕以外にも依頼した探偵がいるのでしょうか?」
「ええ…実はあなたで六人目なんですよ。依頼した探偵は」
「前の五人は?」
「二人はまだ調査中。二人は止めてもらい、もう一人は事件を解決できずに、ここにいます」


モニターが切り替わり、十字に四分割された画面になる。四つの画面はそれぞれ同じ一人の男性を映しており、どうやら一つの部屋に設置された四台のカメラから送られてきている映像だというのがわかった。窓は確認できる限り存在せず、コンクリートで四方を固めたその部屋には灰色のテーブルとパイプイスしかない。地下室だろうか?取調室か独房のような殺風景な部屋で、パイプイスに座る男性はイライラした様子で腕時計……いや、僕がつけているのと同じIDの時計を見、それから天井の隅に設置されてるらしいマイクに向かって声をあげた。


『調査報告書は渡したろ!いつまでこんなところに閉じ込めておく気なんだ!早く出せ!』


その男性に見覚えはなかった。顎に髭を生やし、体つきはたくましそうだ。服装は完全に私服で、探偵と知らされなければ見た目での職業の判別はつかなかっただろう。


「竜探偵。あなたは事件を解決できなかった」
『なんだと?!』
「無能な探偵は生きている資格がない」


依頼人の声が響くと、竜というらしい探偵のIDに変化が起きた。時刻を表示していた小窓が60秒のカウントダウンを始めたのだ。「大丈夫。痛くありません。一瞬で楽になる」「!」依頼人の言葉に嫌な予感が走る。まさかあのカウントダウンは。

竜探偵がIDを外そうとするもベルトは固く閉じたまま開く気配はない。『ま、まさか、茂木や槍田が姿を消したのも…』茂木や槍田?すぐさま男女二人の記憶を思い起こす。黄昏の館で会った二人の探偵だ。一人はアメリカでも名の知れた茂木遥史。もう一人は元検視官の槍田郁美。あの事件の際も、二人とも真相をすぐさま見抜き、僕や毛利探偵に扮した怪盗キッドと共に、犯人を出し抜くためコナンくんの持ちかけた芝居を打った。彼らは優秀な探偵だった。その二人がこの事件を解決できなかったのか?


「さようなら、竜探偵」
『お、おい待て!まて、クソ、』


時計の数字がゼロになったのをかろうじて目で捉えた瞬間、部屋が閃光に包まれた。爆発音が轟く直前で四つの画面は砂嵐に変わる。……。顔はしかめられているだろう。嫌悪感はこのとき最高潮に達していた。人が殺されるのを見て平然としてられるほど、僕は冷徹な人間じゃない。


「コンポジション4。…つまり、プラスチック爆弾が組み込まれていたんです。竜探偵が腕につけていたミラクルランドのIDにね」


画面が切り替わり、元の依頼人の画面に戻る。淡々と述べる彼を睨めつけ、それから自分の腕につけられた忌々しい小型機器に目を落とす。十中八九、性能は同じものだろう。「あなたに与えられた時間は今夜10時まで。それまでにある事件の真相を掴んでください。もし時間までに解決できなければ、あなたのIDも爆発して、竜探偵のあとを追うことになる。また私が解除しないうちに外してしまえば、すぐさま爆発してしまいます」僕のタイムリミットは22時。約11時間。ポケットから懐中時計を取り出し確認する。10時45分16秒。22時までに解決できなければ即死というわけか。なるほど、絶対逃げないよう、いわば自分の命を人質として、……。

そこまで考えて背筋がゾッとした。まさか、まさか僕に友人を連れて来いと言ったのは、…。


さんたちがつけたIDも…」
「友人たちのIDも、あなたのものとほぼ同じものです」
「…ほぼ?」
「彼女らのIDには一つ機能が追加されてましてね」


画面が再び切り替わる。「これはミラクルランドの見取り図です」先の折れた歪なフォークのような形のそれは、確かに以前さんが眺めていた園内の全体図を簡略化したものだった。埋立地のため直線で描かれており、その周りは海になっている。その園内を囲うように、緑色のランプが点灯し、両端から伸びる同色の線同士が繋がり、ミラクルランドの敷地を一周する。


「ミラクルランドを縁取るようにいくつかのセンサーが設置されています。彼女らのIDがミラクルランドに入るとセンサーが感知して起爆装置がオンになり、ミラクルランドを出ようと再びセンサーの間を通ると同時に爆発する。…彼女らの分までいちいち追跡するのは面倒なんでね、こうさせてもらったんですよ」


聞くや否や、僕はポケットから携帯を取り出し、発信履歴の一番上の彼女へ再発信した。立ち上がり、依頼人から隠すように背を向ける。彼の言ったことが本当ならば、園内に入らなければ起爆装置はオフのままだ。彼女たちを危険な目には遭わせまい、僕の人質になんて以ての外だ。心臓がバクバクと鳴っていた。


『もしもし?』
さん!ミラクルランドには入らないでください!危険です!!」
『え?……ごめん、もう入っちゃった…』


困惑したような彼女の声にハッと息を飲む。…遅かった。


『え、何かあったの?戻ろっか?』
「いえ、大丈夫です。…ミラクルランドからは絶対に出ないでください。お願いします」
『え??どっち?』
「詳しいことはあとで話します。なので絶対に園外へは出ないでください。アトラクションに乗るのも、僕が連絡するまで控えてください。紅子さんはそこにいますか?」
『いるよ。代わる?』
「いえ。離れないよう二人で待っていてください。では」


通話を切り、ポケットにしまう。…これで事件の解決は至急だ。彼女たちにはあとで事情を説明して待っていてもらわなければならなくなった。
罪悪感で胸が潰されそうになりながらも、頭を働かせるのはやめない。センサー感知機能が彼女たちのIDのみにある機能。「追跡するのが面倒だから」と依頼人は言った。


「僕のIDにもGPSが組み込まれているんですね?」
「ああ、そうだ。だから警察に駆け込んでも無駄だよ。君の父親にもね」
「そのつもりはないのでご安心を」


冷たい物言いになってしまうのも無理ないだろう。少なくとも今の僕はこの依頼人に対し礼を尽くした態度では向き合えなかった。


「他に質問はないようなので、ヒントを与えよう。一度しか言わないからよく聞いてくれ」


キッとモニターに映る彼を見据える。こんなことをしている時点で彼は罪人だ。解決してほしい事件が何であれ、必ず彼の正体も突き止めなければならない。なぜこんなことをした、こんなことをしてまで解決したい事件とは一体何なんだ。


「…ーー」


告げられたヒントをメモ帳に書き留めたタイミングで、部屋の時計が荘厳な鐘の音を鳴らす。午前11時ジャスト。タイムリミットまで残り11時間だ。


「さあ、謎を解決してもらおうか。私のため、そして、友人たちのためにね」


嘲笑の含まれた台詞を最後に、モニターの接続が切られた。





高田氏から受け取ったスライド式の携帯を背負っていたボディバッグにしまいながらホテルを出る。ばあやには既にロビー前で待つよう伝えてある。自動ドアを通り抜けると予想通り車が停まっており、僕は急いで駆け寄った。


「いてっ!」
「っ!」


あまりに急いでいたものだから横から走ってきていた人物と接触してしまった。倒れそうになる身体を腕を掴んで引き寄せられ、相手の方へ寄り掛かってしまう。


「すみません…」
「いや」


すぐに離れ謝ると相手は低いバスの声で軽く手を上げた。帽子を深く被っているため顔はよく見えなかったが歳は少なくとも自分よりいくつか上の男性のようだった。応酬はそこそこに立ち去り、僕は目的のばあやの車に乗り込む。「大丈夫ですか?探ぼっちゃま」「ああ、何ともないよ」答えながら、僕はポケットから再び自分の携帯を取り出すのだった。


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