明らかにただごとじゃない。「来い!」入り口に立つ彼に誘導され、部屋を飛び出す。そのまま右に曲がり直線の廊下を駆けていく。階段の方から聞こえる、何かがぶつかる音や排気音は次第に大きくなっている。後ろを振り返るとそのタイミングでライトに照らされた。騒音からまさかとは思っていたが、この廃ビルに乗り込んできたのは二台のバイクだった。明らかに僕たちに敵意を持っている。頭にフルフェイスのヘルメットを被っており顔は確認できないが、そもそも全速力で走る僕たちにそんな余裕はなかった。


「このままじゃ追いつかれる!二手に分かれるぞ!」
「ああ!」


頷いた瞬間、ドン、と左から肩を押された。やったのは工藤くんだ。突然のことにバランスを崩しかけた僕は右側によろけ、前方を走っていた服部くんが目の前でドアを開けたのに続き、咄嗟にそこへ入り込んだ。勢いを止められずほぼ正面に立っていた真四角の柱に手を付く。工藤くんは来ていない。それだけを把握し、素早く部屋全体を確認する。


「おまえはそこ隠れとけ!」


服部くんは何か棒状の武器を床から拾い上げ、廊下側の壁沿いに部屋の奥へと走って行った。まさかそれでバイクに乗る相手に対抗するつもりか、と抗議する隙はなく、言われた通り入り口から死角になるよう柱の陰に身を潜めた。それとほとんど同時に一台のバイクが乗り込んでくる。ライトは奥にいる服部くんを照らした。


「おし、どっからでもかかってこいや!」


部屋は割と広く、物もほとんどないようだ。というのも窓もなく明かりは今いるバイクのヘッドライトのみでよく見えない。加えて横長の部屋の中央には等間隔に太い柱が三本立っており、僕のいる位置からでは服部くんの姿は二本目の柱に隠れて見えないほど死角が多かった。辺りに鉄パイプを縛った山を発見し、服部くんが拾ったものがそれであることを予想させる。と、すぐそばのバイクが服部くんへ向けエンジンを吹かせた。「オラァ!!」エンジン音がひと際大きく鳴ったと思ったら、服部くんの掛け声と共に何かを殴ったような衝撃音。ヘッドライトの光が揺れたのがわかった。まさか本当に倒したのか?!柱の陰から覗いてみると、服部くんがこちら側に立ち位置を変えており、奥にいる相手と対峙していた。加えて相手のヘルメットが外れていることに気付く。さっきの衝撃音は鉄パイプでヘルメットを吹き飛ばした音か。


「ふっ。ブッサイクな顔やなァ」


…挑発のつもりか?と思ったら相手が拳銃を取り出した。「ああ、気にしてた?」間抜けな声が聞こえる前に身を隠す。すぐさま発砲音が響いた。同時に鳴ったバチンという金属音は服部くんの持つ鉄パイプに命中し千切れた音だろう。それから発砲音は数発続く。入り口とは反対側からうかがうと、案の定バイクは見えなかったが二本目の柱に隠れる服部くんの姿は捉えられた。


「…相手を逆なでしてどうするんだ!」
「じゃかァしい!黙っとけ!」


言い合いをかき消すように銃声が響く。相手と柱の位置から、角度的に僕に流れ弾が当たる可能性はゼロ。だが……クソ、どうする。弾切れを狙いたいところだが、拳銃なんてものを所持してる相手がそんな悠長に待ってくれるわけがない。
と、銃声が鳴り止んだ。装填しているのか、と顔を出せば、相手は落ちたヘルメットを拾っているではないか。余程顔がバレたくないのか、理由はなんであれ今がチャンスだ。


「服部くん!」


駆け出し、彼を手で誘導しながら入り口へと一直線で向かう。「おお!」服部くんが相手の前に姿を現したときには銃声が聞こえたが、廊下に出て振り向いても被弾した様子はなかった。ほんの一秒ほど彼を待ち、すぐに奥へ走る。この部屋にもう一つドアがあることはさっき見て気付いていた。その後ろのドアへ行き、前のドアからバイクが出て来たタイミングで再び部屋へ入る。「……」バイクの音が階段の方へと遠ざかっていくのを確認し、僕たちはようやく一息つくことができた。


「撒けたようだね」
「何やったんやあいつら…」
「さあ…工藤くんは大丈夫だろうか」


この奥は部屋が一つと突き当たりの窓だけの行き止まりだ。「せや!あいつ工藤ちゃうで!」思い出したように食いついてきた服部くんに訝るように目を向ける。暗がりにまだ目が慣れてないせいで顔はよく見えないが、声音で大体の表情は想像つく。


「…そういえば、怪盗キッドなんて言っていたね」
「あ、いやまあ、怪盗キッドっちゅーんは直感やけど…いや、あそこまでうまく変装できるんはキッドくらいやろ」


「だから、」その理由を示せと言っているんだ。言おうとしてすぐ、廊下を猛スピードで走り抜けていくバイク音が聞こえた。それもさっきと同じように階段へ降りていく。こちらに来なかったもう一台のバイクだろう。おもむろに、服部くんと目を合わせる。それからすぐさまドアを開け、右奥へと目を凝らした。奥に見える明かりは窓だろう。無意識に駆け出していた。


「おい?!」


服部くんもついてきたらしい。待っていてくれて構わなかったんだが。思うだけで口にはせず、僕は右手にある最後の部屋の前で立ち止まった。ドアが開け放たれたままのそこを覗き込む。中の様子は段ボールが何百個と積まれているだけで、完全に倉庫となっているようだった。一体何の部屋だったんだ、と思うも充満する塗料の独特の匂いに思わず鼻と口を覆う。…ペンキ?二、三歩進むと、段ボール箱でできた壁の一部が崩れた痕跡があり、その内のいくつかから黄色いペンキの缶が見えていた。辺りを見回してみるが、僕たち以外に人の気配はなかった。


「……」
「おらんのか」
「ああ」


部屋を出て右手の一部屋分奥に、突き当たりの窓がある。廊下に出てまともな空気で深呼吸したあと、見遣る。


「……」


そこは全開になっていた。まるで、何者かがそこから飛び立ったあとのように。


「怪盗キッド…」


本当に彼が怪盗キッドだったのか。だとしたらなぜ彼がここに。そしてなぜ僕と行動を共にしたのか。彼はフリーパスIDを持っていた。依頼のことも知っている風だった。なぜ…。
ハッとして、ボディバッグを肩から外す。大きい口ではなく手前の小さなポケットの中をまさぐり、手を止める。「……」朝出かけるときには何も入れなかった。空の状態だったはずだ。しかし、今左手の中には、小さな箱のような感触が、あった。取り出してみれば、案の定。


「盗聴器、やな」
「……クソッ…」


手のひらのそれを力任せに握り込む。やられた。あれは本当にキッドだった。僕はそれに気付かず彼と行動していたというのか。盗聴器を仕込まれたのはおそらくレッドキャッスルホテルを出てすぐ、人とぶつかったときだ。あの青年も怪盗キッドだったのだ。それから、車での移動中にさんたちに話した依頼内容を盗聴していた彼は、IDを入手し、僕と接触を図った。…いや、だが、何のために。そもそもなぜキッドはレッドキャッスルにいたんだ。

服部くんの「戻ろか」との呼びかけに応じ、廊下を歩きながら思考を始めていた。ふと、先ほどまで僕らがいた部屋の入り口が目に入り、床に落ちている薬莢が見えた。
そういえば、怪盗キッドと謎の人物との銃撃戦の現場には二種類の薬莢が残っていたらしい。一つはガバメント、もう一つは、ライフル。

……ああ、見えてきた。事件の真相が。どうしてキッドが、僕と行動を共にするなどというリスクを冒してまで、首を突っ込んできたのかも。


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