白馬くん家の車に乗せてもらって約二時間、着いたのは海に面したホテルだった。レッドキャッスルという名の通り外観は立派なレンガ造りのお城のようで、お礼を言って車を降りたあとすぐ近くの自動ドアの向こうを見ると、ロビーはキラキラと豪華な内装になっていた。しかもここはミラクルランドの目の前ということで、立地も上の上。わたしなんかには一生縁のなさそうな一級ホテルだ。


「それじゃあばあや、連絡するまで駐車場で待っていてくれ」
「かしこまりました」


外から助手席のドアを開け告げた白馬くんにばあやさんは丁寧に答えたあと、案内板に従って地下の駐車場へと車を発進させた。感謝の気持ちを込めてお辞儀をして見送る。隣の紅子ちゃんも姿勢よく同じ動作をしたようだった。それから上体を起こし、つい、と目的地のホテルを見上げる。


「このホテル、昨日ニュースでやってたわね。もうすぐ宿泊客が10万人を突破するって」
「そうなの?」
「まだオープンしてそう経ってないのに、随分繁盛してるみたいね」


へえーと間延びした相槌を打つ。確かにこのレッドキャッスルの名前を聞くようになったのはかなり最近のことな気がする。なるほど、上流階級の皆さんはここを好んで泊まるのか。いよいよ遠い世界だと唸っていると白馬くんが腰を曲げて、右手はズボンのポケットに入れたまま、左手を地面へ伸ばすのが見えた。理由もなくやりそうにないその挙動に驚いたわたしは目を丸くして彼を見やった。何かを摘み上げたらしい白馬くんの左手を凝視する。「…何それ?」1センチ四方程度の黄色い紙に見える。こちらを向いた白馬くんと目が合う。


「紙吹雪です」
「紙ふぶ……あっ!」
「ええ。どうやら、突破したのは今日のことらしいですね」
「おおー!」


得意げに笑う白馬くんにつられてわたしも興奮気味に拳を二つ作った。10万人突破を祝してくす玉でも割ったんだろう。それか誰かが紙吹雪を舞わせたのか。地面を見下ろしてみると確かにちらほらと紙吹雪の名残が残っており、そこに目ざとく気付いた白馬くんはやはりすごい高校生探偵だと思う。今回の依頼人も賢い判断をした。白馬くんに頼めば万事解決だ。
そう、ここには、白馬くんの依頼人に呼ばれて来たのである。


「あの、失礼ですが、白馬探偵でいらっしゃいますか?」


ハッと振り向くと、自動ドアを通って屋内から現れたのだろう、黒縁メガネをかけた黒スーツの男の人が歩み寄って来ていた。服装はそういうかっちりした様式だったけれど、細い目に笑みを浮かべた表情は温和な印象を受けた。「ええ」白馬くんがスラリと答えると、彼は一層笑みを深くしたようだった。


「お待ちしておりました。私、依頼人の秘書をしております、高田と申します。早速ですが、どうぞこちらへ」


わたしたちが挨拶する隙も与えず、ホテルの中へ促される。時間通りのはずだけど、急いでるのだろうか。そもそも今回の依頼って何なんだろう。白馬くんも聞いてないって言ってたし、でも友人も連れてきて構わないと言われたからと、わたしを誘ってくれて、わたしが紅子ちゃんにも声をかけた。依頼人が捜査に立ち会わせてくれるのかなと予想しているのだけど、もし邪魔になりそうなら二人でミラクルランドで遊ぶという最終手段も用意してある。白馬くんには悪いかなと思ったけど、彼はちっとも気を悪くした様子もなく、終わったら迎えに行きますねと笑ってくれた。
だからどんな事件なのか早く知りたいのに、もちろん質問を口に出す隙もない。そんな感じでちょっと落ち着かなくて、わたしはそわそわしながらも高田さんの先導におとなしくついて行くのだった。





「どうぞこちらです」


エレベーターでホテルの最上階まで登り、予想に反さず豪華な廊下を歩いたあと、高田さんは両開きの扉を押し開けて言った。そこは何のための部屋なのか、ブルジョワ版の会議室を連想させる広さの一室だった。大きなシャンデリアが二つぶら下がり、中央には縦長のテーブルがもったいぶるように一つだけ置いてある。その上には四つのガラスの灰皿が、ピカピカに磨かれたまま置かれている。背もたれまであるペールピンクのソファーチェアはそのテーブルを挟んで両脇に六つずつ並んでいた。地面から天井までの大きな窓は南側の壁全てにはめ込まれており、日の光をたくさん取り入れていた。まだ朝の10時すぎだ。シャンデリアは仕事をせずインテリアとしてぶら下がっているだけだった。
「イスに座ってお待ちください」完全に場違いな部屋に尻込みしたのはわたしだけだったらしく、高田さんが下がったあとすぐさまスッと足を進めた白馬くんに続くように、紅子ちゃんも動き出した。床は絨毯になっているので足音はそんなにしないけど、もしツルツルのタイルなんかだったらカツカツとかっこいい音が響いてたんじゃないかと思う。二人とも歩く姿でさえ様になるんだもんなあ。思いながら、彼らに遅れを取る形でついていく。座る場所に一瞬困ったけど、向かいのイスとの距離はテーブル幅が割とあるので結構離れている。三人しかいないし、一人だけ向かい側なのはさみしいな。思い、同じ並びに三人座ることに決めた。とはいっても、言うまでもなく白馬くんは一番奥のイスに座り、紅子ちゃんが一つ空けて座ったので、おのずと空いたそのイスにわたしが座ることになったのだけれど。紅子ちゃんそんな気つかわなくていいのになあ。


「ここ、何の部屋なのかな」
「この広さなら大人数で何かをすることもできますね。よくいう多目的室のようなものなんじゃないでしょうか」
「え?じゃあこのテーブルとかイスは…」
「依頼人がこのためにセットしたんでしょう。テーブルはともかく、このイスはどう見ても部屋と合っていませんし」


そう言われて改めて見てみると、確かに部屋の内装やホテルのそれと比較してこのイスはシンプルすぎるかもしれない。「確かにそうね」カツンと音がして右隣を見る。紅子ちゃんが手元を見下ろしていた。腕は肘掛けに置かれてあり、指の爪で肘掛けの黒い部分を叩いていた。それを見て気付いたけれど、肘掛けは先の部分だけ黒いプラスチックのようなものになっているのだ。わたしも気になって腕を肘掛けに置きながらその部分を指で撫でてみた。何だろう、ここだけこんな風にする必要どこにあるんだろ。べつにオシャレってわけじゃないのに。
考えていると両開きの扉が再び開いた。身を乗り出してそちらを覗くと、高田さんが何やらカートを押して入ってきたではないか。


「お待たせしました。これを渡すために、ご友人にも来て頂いたんですよ」


そう言いわたしたちの後ろに来た高田さんは、カートに乗せた物を脇から一人一つずつ、テーブルに置いていった。手はお行儀よく膝に乗せたまま、触らず身を屈めてそれを観察してみる。小型の機器らしく、小さな画面にはデジタルで現在の時刻が表示されていた。……これ、腕につけるやつじゃないか?温泉とかでよくあるロッカーの鍵みたいだ。鍵をしまう、ナンバーの書かれたゴム板は小型機器で、腕に通すバネの部分はしっかりした灰色のベルトになっている。


「それはミラクルランドのフリーパスIDです。白馬さんが仕事をしている間、ご友人にはミラクルランドでたっぷりと楽しんでもらおうと思いまして」
「えっ!」


その話にはびっくりだ。そんな理由でご友人もと言われていたとは。ということはわたしたちが捜査に立ち会うことは最初から予定されてなかったのか。ただの高校生をそんな簡単に巻き込むとは思えなかったとはいえ、素直に残念な気持ちになってしまう。人知れず肩をすくめた。しかし、ただでも白馬くんを置いて遊ぶというのに、その上フリーパスIDなんて(名前だけで既にすごそうな)ものを頂くのはさすがに申し訳ない。断ろうと背筋を伸ばす。と、先に白馬くんが、後ろを通り終えた高田さんに切り出した。


「依頼人の方はレッドキャッスルのオーナーですか?」
「いえ、そうではありません。このスイートは年間契約で借りていますが」


どうやら依頼人は相当のお金持ちらしい。そんな人が白馬くんに一体どんな依頼を…とドキドキしていると、「さ、腕につけてください。落とさないようにしっかりと」と、高田さんに促された。落としてしまうと再発行はできない、とも。


「あの、」
「はい、何でしょう」
「やっぱり悪いので、これ、大丈夫です」
「遠慮なさらずに。このIDは今日一日、ミラクルランドの閉園時間まで、食事も飲み物もすべて無料になるんですよ」
「で、でも」
さん、僕のことだったら気にしないでください。紅子さんと、楽しんできてくださいね」


白馬くんはにこりと微笑む。それに下手くそに笑い返して、頷いた。テーブルの上のIDを手に取り、左腕に装着する。隣の紅子ちゃんも、わたしがつけたのを確認してから自分もつけたようだった。


「白馬さんもどうぞ」
「いえ、僕はミラクルランドには行きませんので」
「そんなことおっしゃらずに。早く仕事が終われば、ご友人の方たちと一緒に楽しめますから」


「はあ、」笑顔で言う高田さんに押し負け、白馬くんも苦笑いをして右腕につけた。


「では、ご友人の方たちは、どうぞ思う存分楽しんできてください」
「は、はい。ありがとうございます」
「ありがとうございます」


送り出されてるのがわかり、わたしと紅子ちゃんは高田さんにお礼を言いながら立ち上がる。「白馬くん、お仕事頑張ってね!」隣の白馬くんに激励を送ると彼はわたしを見上げながら、自信満々にはいと頷いた。


「行きましょ、
「うん!」


本当は、立ち会えないとしても依頼内容くらいは聞きたかったんだけど。しかしそんなわがままを通すのは恥ずかしいので、おとなしくこの多目的室を出た。申し訳ないと思うけど、白馬くんのおかげでせっかくもらえたIDなんだから、楽しまなきゃもったいないだろう。廊下を歩きながら紅子ちゃんを見上げる。「紅子ちゃん、スーパースネーク乗ろうね!」ミラクルランド名物であるそのジェットコースターは二時間待ちが普通なんだそうだ。


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