爆発音がまたどこかで聞こえる。結構遠くから聞こえたし、白馬くん曰くこのビルの外の建物でも起こってるらしいから、たぶんそれなのだろう。
 レスキュー隊を待つ間、今日の白馬くんの身に起こった出来事を聞いていた。のん気にお買い物やおしゃべりを楽しんでいたわたしは、まさかそんなことが起こってたなんてまるで知らなかったし、白馬くんが大変な目に遭っていたにも関わらず約束を断らないでいてくれたことがとても嬉しかった。犯人が誰かは聞いても仕方ないだろう。今までもときどき、白馬くんの解決した事件の話を聞くことはあったけれど、犯人の名前まで気になったことはなかった。きっとプライバシーの問題もあるから、白馬くんも積極的に言おうとしていなかったんだと思う。
 そんなことをぼんやりと考えていると、扉の向こうで白馬くんが静かに切り出した。「さん、ハサミのようなものを持っていませんか?」「え?持ってないけど……誰かから借りてくるよ。使うの?」「ええ」立ち上がりながら、やけに静かな白馬くんの言葉の続きを待つ。


さんに、爆弾の解体をお願いしたいんです」
「……え?!」


 ぎょっとして白馬くんがいるドアを振り返った。聞き間違いか、いま白馬くん、「もう時間がありません。僕が指示するのでその通りに…」「え、え、」聞き間違いじゃない!突拍子もない申し出にわたしは混乱した。落ち着いていた心臓がまたバクバクと騒ぎ出す。待って、そんな、無理だよ。脳に口が追いついていない。ロクな言葉にならず声だけが漏れる。むりだ、言わないと、「さんしかいないんです」白馬くんの、真摯な声が。


「……」


 ゆっくりと、視線を落とす。爆弾についている時計は残り十八分を示していた。「さん…?」レスキュー隊はまだ来ない。きっと、爆弾処理班がこのあと来ても、間に合うかわからないんだ。そういうの全部考慮した上で。
 白馬くんが、わたししかいないって、言ってる。


「……わかった。ハサミ探してくる!」


 急いで駆け出し、ロビーにいる人たちに声を掛ける。近くにいた人に手当たり次第聞いていくと、何人目かで、さっき彼氏さんに慰められていた女の人がソーイングセットのハサミを持っていると言って貸してくれた。お礼を言って受け取る。よし、これで…。
 踵を返そうとしたところで、彼女は怖々とわたしに問うた。何に使うんですか。震えていた声は、この状況的にも、きっと少なからず予想しているんだろうと思わせる。座り込む彼女に向き直り、口をぎゅっと噤む。教えていいのか隠すべきなのか、わからない。言ったら、安心するのかな。でも知って何かできるわけじゃないし、助けがいつ来るかわからない上に時間制限まであるなんて知ったら、わたしだったらパニックになると思う。
 ……そうだ、パニックだ。今わたしそれに陥ってる。落ち着かないと。「なんでも、ないです、すみません」目を伏せた彼女の表情は何を思っているのかわからない。あとは、彼氏さんに任せよう。小さなハサミを握り締め、白馬くんの元へ戻った。


「借りて来たよ」
「ありがとうございます。ではまず、外側のカバーを外しましょう。持ち上げれば外れると思います」
「うん」


 このままだとやりにくいので紙袋を破ってしまう。それからデジタル時計の下のフタに手を伸ばし、パカリと取る。案外、簡単に外れた。中は色んな色のコードが密集していて、いかにも、という感じだった。フタをそっと横に起く。落ち着かないと、落ち着かないと…。置いていたハサミを取ろうとしたら、手が震えてるせいで床に落としてしまった。「大丈夫ですか?」音は聞こえなかっただろうに、気に掛けてくれる声がありがたかった。大丈夫と返し、改めてハサミの持ち手に指を通す。


「準備できたよ」
「……はい。ではこれから、中の配線を切っていきましょう」
「うん」
「落ち着いて、慎重に」
「うん、」


「最初は、下のほうにある黄色いコードです」下のほう、と覗き込むと、すぐに見つかった。よくよく見てみると中のコードはピンクや緑など全部違う色で発色もいいから、よっぽどのことがなければ間違えることはなさそうだった。もちろん、それでも安心なんてできない。爆弾の解体なんてやったこともなければ見たこともないけれど、適当に切ってはだめなやつだというのくらいわかる。下手したら一本間違えただけでドカン、とか、あるかも。黄色のコードを取り、ハサミをそれへ持っていく。緊張で心臓がバクバク鳴っている。「…切るよ」ええ、と張り詰めた声が聞こえる。大きく息を吸って、止める。手に力を入れる。刃がコードを断つ、感触。



◇◇



 それから十分以上、わたしは極度の緊張状態で気が飛びそうになりながらも、慎重にコードを切り続けていた。暖房の切れたロビーが寒いのも合間って手はひやりと冷たい。けれど額には汗が滲んでいた。浅い息を繰り返している。それももう少しだろうか、コードは残りわずかとなっていた。ピンクのコードを切ったことを白馬くんに伝えると、向こう側からも安堵の息が聞こえてきた。


「なんとか間に合いそうですね。あとは青いコードを切ればタイマーは止まります」
「青いコード…」


 二本に切れたコードたちをかき分け、それをパチンと切る。すぐにタイマーを見て、数秒間固まる。……あれ、「は、白馬くん、」


「切ったけど、タイマー止まんないよ…」
「?! そんな馬鹿な、」
「ほ、ほんと、ほんとに…」


 な、なんで、設計図と違うのかな、でもここまで正しく解体できてるはずなのにそんなこと、あるの…。タイマーは五分を切った。どうしよう、と中をじっと見る。「さん、コードは全部切れてるんですよね?」やや焦りをはらみながら、確認するように白馬くんが問いかける。そんな彼は珍しい。もちろん、それをじっくり味わう余裕はないのだけれど。
 彼の問いかけには頷けなかった。全部言われた通りに切ってきたのは間違いない。ここまで爆発させずに来れたのだから、白馬くんの指示とわたしの手順がぴったり一致していたのは言うまでもないはずだ。でも、全部言われた通りに切ったのと、全部切れているのはイコールでは結べない。わたしの目には、まだ半分になっていないコードが、見えていた。


「全部は切ってないよ…」
「え?」
「二本残ってる……白と黒」
「本当ですか?!」
「う、うん…」


 扉の向こうから明らかな動揺が伝わってくる。もしかして、ここだけ設計図と違ったのだろうか。そしてここに来てようやく、最初に中身の写真を撮って白馬くんに送ればよかったとの考えが浮かんだ。それはすぐさま後悔に変わる。……いいや、終わったことを嘆いても仕方ない。とにかく今は、残りのコードをどうするか考えないと。と言っても知識の皆無なわたしがどうにかできることじゃないのは確かだった。


「いっそ二本切っちゃう…?」
「だめです!片方はおそらくブービートラップ……切った瞬間爆発します!」
「う…」


 時計に目をやる。もうあと三分しかなかった。レスキュー隊はまだ来ない。このままここにいたら確実に間に合わない。それに、白馬くんの持ってる設計図に答えがないのに爆弾処理班の人たちが来たところでできることって、あるのだろうか。あっても、間に合うのか。だって、あと三分、しか……。
 後ろを向いてロビーにいるお客さんたちを見る。さすがに何をやっているのか、気付いているらしい彼らは遠巻きにわたしをうかがっているようだった。
 それから正面に向いて、見えない白馬くんを想像する。さっきから声は聞こえてこないけれど、そこにいるのはわかる。心臓がうるさい。ほんとに口から出てきそうだ。頭もくらくらしてきた。走ってもないのにさっきから息が上がってる。ごくんと唾を飲み込む。……このあとできることといったら。


「は、白馬くん」
「、なんですか?」


 ああ、こんなこと言ったら、さすがの白馬くんも、怒るかな。


「切らなきゃいけないの、どっちかなんだよね、じゃあ切るよ」
「?! 何を言って、」
「どうせ時間が来たら終わりなんだし、それなら…」


 白馬くんが答えを導けてないということは、考えてわかることじゃないんだ。一か八か、どっちかに賭けないといけないんだ。根拠もないそんな選択を白馬くんにさせたくない。それに、「だから白馬くんは、できるだけ遠くに逃げて」もしかしたらまだ逃げ道があるかもしれない。今からじゃ外までは無理かもしれないけど、せめて遠くにいけばまだ…。縋るように言うと、白馬くんはしばらく沈黙したあと、かすかに溜め息をついた、気がした。


「いえ、いますよ」
「! なんで、」
さん一人に背負わせるわけにはいきません。必ずヒントはあるはず……僕もぎりぎりまで考えます」
「で、でも…」
「ですが…それでももし僕がわからなかったら、そのときはさんのすきな方を、切ってください」
「……わかった!わたしもぎりぎりまで考える!」


 ハサミの準備だけしておき、白と黒のコードをじっと睨みつける。自分であんなこと言っておいて、白馬くんが一緒にいると言ってくれたことが嬉しくて堪らなかった。吐き出す息が震えているのは、緊張からじゃない。諦められない。白馬くんを死なせたくないよ。
 直感は信じられない。何か、自分が納得する理由が欲しい。


 走馬灯のように駆け巡るのはファッション雑誌に載っていた星座占いだ。それから白い星がモチーフのネックレス。それを――。


 突然、上の方で爆発音が聞こえた。と思ったら上から天井の一部が崩れ落ちて来た。――やばい!咄嗟に爆弾を抱きかかえてその場を離れる。ロビーの受付近くまで逃げたところで元いた場所を振り返ると、非常口のドアが瓦礫でほとんど埋れてしまっていた。ひゅっと息を吸い込む。白馬くんの方は無事なのか。そばまで近づいてみる。白馬くん、と大きな声で叫んでみても何も返ってこない。もしかして、はくばくん……。
 じわりと涙が滲んで、すぐに袖でごしごしと拭う。だいじょうぶ、そんなはずない、天井が崩れたのはこっちだけで向こうは大丈夫だ、絶対そうだ。ゆっくり息を吐き出して、その場に座り込む。
 爆弾をそっと床に置くと、タイマーの音じゃない音が聞こえてきた。ハッと顔を上げ、埋れてしまった扉を見る。瓦礫の向こうから、扉を叩く音が聞こえた。白馬くんだ!もう一度大きな声で呼びかけると向こうからも声が聞こえる。距離ができて障害物が多いせいで言葉として聞き取れないけれど、でも無事だ、よかった。わたしは心の底からホッとして、それからタイマーに目を落とした。
 あと三十秒だ。白馬くんから答えは聞けない。もう自分で決めるしかなかった。わたしが勝手に、決める。落ち着かせるように、できる限りゆっくりと、深呼吸をする。選択はもう、決まっていた。


 思い出すのはファッション雑誌に載っていた星座占い。それから白い星がモチーフのネックレス。――それを褒めてくれた、白馬くん。


 いけない、また涙が滲んできた。

 残り八秒、ハサミを持ち直す。六秒、コードを刃で挟む。四秒、ぎゅっと目をつむる。二秒、刃を下ろす。


  パチン


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