削岩機が非常口のドアもろとも瓦礫を砕いていく。ようやく開け、レスキュー隊と共にロビーに入ると、閉じ込めるための爆発が起こっただけあって惨憺たる状況だった。中にいた客は皆救助にほっとしたり喜んだりしている様子で、幸いにも重傷を負ったような人は見受けられなかった。それを一目で確認し、すぐさま近くで座り込んでいる彼女に駆け寄る。直方体の爆弾と向き合う形で呆然としている彼女の隣に片膝をつき、背中に手を添えて覗き込む。


さん、お怪我はないですか」
「……」


 こくりと、静かに頷く。よかったと零すと彼女はこちらにゆっくりと向き、「はくばくん、」か細い声で僕の名前を呼んだ。ほっとして、思わず笑みが浮かんだ。


「はい。ありがとうございました、さん。あなたのおかげで助かりましたよ」
「……う、」


 ようやく彼女に表情が戻る。残念ながらそれは、笑顔でなく泣き顔ではあったけれど。「うわ゛あ゛あああんん!わああ〜…」緊張の糸がほどけたのだろう、大声をあげて泣き出した彼女を抱き寄せる。肩口に涙が染み込んでいくのを感じながら、背中に手を回ししがみつく彼女の存在を確かめた。お互いの鼓動が速いのはさっきまでの極限状態故だ、それはわかっている。
 彼女が落ち着くよう背中をゆっくりさすりながら、そばの爆弾を見遣る。残されたのは白いコードだった。……やはり。瓦礫に阻まれてすぐ、森谷教授とさんの会話を思い出した。しかし携帯はどこかに落としてしまい連絡手段が絶たれたのだ。万事休すかと思いましたが…やりましたね、さん。黒を選んだ理由は落ち着いてから聞くことにしよう。腕の中の彼女をぎゅうと抱き締める。


「おつかれさまでした、さん」



◇◇



 最後の救助者としてビルを出、彼女の手を引いてマスコミを避けるように人混みに紛れ込む。自分一人ならいくらでも構わないが、今は彼女の保護が最優先だ。怪我もなく爆発によるショックもないようだから大丈夫だとは思うが、一応検査は受けておくべきだろう。現場での応急をしている救急車へ向かい、事情説明をして車の後ろのベンチに座らせる。遠くではマスコミの人だかりができていて、目暮警部が対応しているようだった。あちらは任せていいだろう。
 問診票に記入している彼女を見下ろしたところで、視界に見慣れた人物が映った。顔を上げそちらを向く。「父さん」僕の声でさんも顔を上げたのがわかった。


「探、よくやった。無事でよかった」


 神妙な面持ちでそう言った父に目を瞬かせ、それから自分は何ともないことを告げる。警視総監が現場に出てくるとは思っていなかったので少し驚いた。犯人の犯行動機が犯行動機だったからだろうか。たとえそれが公表されようとも、被害は極力抑えられたはずだから警察の名声が汚れたということもないだろう。僕もべつにそれのために行動した覚えはない。労いは素直に受け取っておくけれど。


「爆弾は探が解体したのか」
「いいえ。解体したのは彼女ですよ」


 そっとさんの背中に手を添えると彼女は背筋をピンと伸ばした。父は少し目を見開いたあと、「本当にありがとう」と手を差し出した。「は、はい…!」恐縮しながら両手をそれに重ね握手する彼女に小さく笑って、それから反対側に顔を向ける。
 パトカーが何台も停まっている中、両手に布をかけた森谷教授が、白鳥警部に何か言われそれに乗り込むのが見えた。彼の悔しそうな表情をじっと見つめる。


「それじゃあ、私は行くよ」
「え?ああ、はい。お疲れさまです」
「さ、さようなら!」


 父を見送り、彼女は近くに来た救急隊員に問診票を渡した。血圧や目の検査をし異常がないことを確認したあと、近くの警官に目暮警部への伝言を頼み一足先に帰路につくことにした。
「そういえばさん、どうして黒いコードを切ったんですか?ラッキーカラーと言っていた白を切るとばかり思っていましたが」呼んだ車へ歩いている途中、先ほど気になったことを聞いてみると、彼女は僕を見上げてきょとんとしたあと、パッと目を逸らして俯いた。何か言いづらそうに口ごもらせている。


「そ、そうなんだけど…」
「?」
「えっと……白馬くんの白は、切りたくなかったので…」
「――、」


 呆気にとられ、それから思わず笑みが零れる。「…そうでしたか」思ったより穏やかな声で返すと、彼女は照れ隠しのようにはにかんだ。


「…あ!」
「え?」
「何も考えてなかったけど、黒といえば黒羽くんだったね。全然気付かなかった」
「ああ…」


 彼女の素っ頓狂な発言にクスクスと笑う。もう調子は戻ったみたいですね。ホッとして進行方向に顔を向けると、ばあやの車も見えてきていた。今日の埋め合わせは後日にするとして、早く彼女を自宅に送り届けてあげたかった。今日は精神的に相当疲弊しただろう。自分の立場が巻き込んだ後ろめたさもあって、ゆっくり休んでほしかった。
 思いながら目を伏せていると、彼女がこちらをじっと見つめているのに気がついた。それに合わせると、彼女はなぜか感慨深げに、口を開いた。「こんなボロボロな白馬くん初めて見た」「……ああ、恥ずかしいところをお見せしてしまってすみません」確かに崩れかけるビルの中走ってきたから服は汚れているし、髪もおそらく乱れているだろう。バツが悪くて肩をすくめる。しかし彼女は首を振って、にこりと笑うのだ。


「全然!白馬くんと親しいの、やっぱり悪くないなあって思っただけだよ」


 その言葉にうまく反応できなかった。たとえ彼女が、今回の事件の犯人も犯行目的も何も知らないとしても、その言葉は僕の心を軽くした。力なく笑って、ありがとうございますと礼を言う。


「わたし、いろんな白馬くんを見たいと思ってるよ。だから、これからも仲良くしてね」
「……こちらこそ」


 そう、随分前から気付いていた。元気よく笑う素直な彼女のことが、僕はすきなんだと。


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