「なるほど……確かに偶然にしちゃ出来すぎてますな」


 マッチでパイプに火をつける森谷教授の向かいで警部らがソファに腰を下ろしている。「そのようなことをする人物に心当たりはありませんか?」目暮警部の問い掛けに森谷教授が考え始めてからも、僕は促されたソファには座らず立ち歩いて森谷邸の応接間の観察をしていた。暖炉の上に飾られた家族写真に映る夫婦と子供はおそらく森谷教授の両親と彼自身だろう。彼の父親もかなり有名な建築家であることは、ここに来るまでの車内で白鳥警部から聞いていた。

 ふと、鼻をかすめる匂いに気付き、振り返る。……まさか。いやしかし、そうだとしたらなぜ…。

 一つの可能性について調べるため、お手洗いに席を外すことを告げ部屋を出る。向かう先は二階のギャラリーだ。
 電気をつけ、向かって右側の壁のパネル写真に目を滑らせる。爆破されたのは三十代の頃の建築物のみ。黒川邸、水嶋邸、安田邸、阿久津邸、橋。写真に沿って歩いて行き橋の前まで来ると、あることに気が付いた。戻って隣の邸宅四軒もよく見てみる。やはり、どうやら被害にあったこれらには共通点があるようだ。そして先週、彼の言っていた台詞を思い出す。「若い頃はまだ未熟でね。あまり見ないでくれ」あの言葉の真意。


「……なるほど」


 その瞬間、すべてが繋がった。踵を返すと部屋の隅に、この間も見た黒い布が掛けられたケースがあるのに気がついた。それを取って見てみる。『我が幻のニュータウン西多摩市』。模型の中の道沿いに設置されているガス灯は、記憶に新しかった。
 間違いない、犯人はあの人。しかし証拠がない。部屋を見回し、目ぼしいものはないと判断した僕は一度ギャラリーを出て一階に降りた。応接間とは階段を挟んで反対側の部屋を開けるとそこは書斎らしく、電気をつけてみると本棚や甲冑などの置物が置いてあった。手っ取り早く変装道具か、僕への着信履歴が残った携帯があればいいが、さすがにそこまで不用心ではないか。――?


「ライター?」


 テーブルの上にポツンと置かれた金塗装の立派なライターを手に取る。しばらく思考したのち、それに手をかけた。



◇◇



 応接間に戻ると目暮警部と白鳥警部がソファから立ち上がっていた。どうやらもう帰るつもりのようだ。


「おお白馬くん、どこに行ってたんだね」
「すみません。森谷教授に犯人のお心当たりがあったんですか?」
「いいや。特に思い当たらないそうだ。とにかく長居する理由もないし一旦戻るつもりだよ」
「そうですか……でしたらすみませんが、もう少しお時間いただけませんか」
「ん?どうしてかね」
「今回の放火犯と爆弾犯の正体がわかったんです」


 目暮警部と白鳥警部が驚きの声をあげる。対照的に一人落ち着いている様子の森谷教授に向き、「ご説明したいのでギャラリーをお借りしてもよろしいでしょうか?」彼の了承を得て三人を連れ出した。


「ちょっと書斎に寄っても構いませんか?」
「もちろんですよ」


 ギャラリーに向かう途中、森谷教授は階段を通り過ぎ書斎に向かった。僕たち三人は入り口で待ち、彼が暗い部屋の中テーブルの上のある物をジャケットの内ポケットにしまったのを確認した。

 ギャラリーに着き電気をつけると、むき出しのショーケースが真っ先に飛び込んでくる。それを見た森谷教授が顔を険しくさせたのを横目に部屋の奥へと進む。「で、何者なんだね。犯人は」目暮警部の催促に振り返り、小さく笑みを浮かべ三人を見据える。


「単刀直入に言います。この一連の事件の犯人は、最近放火された四軒の家、そしてあの橋を設計した――森谷教授、あなたです」


 指を差し宣言する。「なっ?!」驚いたのは警部二人で、当の本人に動揺は見られない。「ほう。どういうことかご説明願おうかな?」挑発的なその台詞に頷き、僕は己の推理を、彼が犯行に至った経緯と共に話し始めた。
 幼い頃から建築家として父親の才能を受け継いだ森谷教授が、三十代始めという異例の若さで建築界にデビューしたこと。環状線の橋の設計で、日本建築の新人賞を獲得したこと。そして森谷教授があるとき、若い頃の作品の一部を抹殺したくなったこと。


「あなたはティーパーティのときにおっしゃっていましたよね、「最近の若い者の多くは自覚が足りない。もっと自分の作品に責任を持たなければならない」と。つまりその言葉を実行したんですよ」


 警部にパネル写真を見るよう促す。「まず黒川邸、水嶋邸、安田邸、阿久津邸、そして橋。いずれも英国古典様式風の建築ですが……何か気付かれたことはありませんか?」問い掛けると、近くに立っていた白鳥警部が水嶋邸をじっと見たあと「あ!完全なシンメトリーになってない!」壁に勢いよく手をついて声を上げた。頷き、これらの建築物がすべて微妙に左右対称とはなっていないことを指摘する。
 おそらく建築主の注文か建築基準法などの関係で妥協せざるを得なかったのだろう。しかしそれは、完全主義者の森谷教授にとって我慢のならないことだった。時を同じくして、それまで順風満帆だった建築家としての人生に初めて影が差した。長い時間かけて完成させた西多摩市の新しい町づくりの計画が、市長の逮捕によって突然中止になってしまったのだ。


「そうか、これも森谷教授の設計だったんですね!」
「教授は今回の騒動で目的の一つである警察への復讐を果たし、同時にもう一つの目的である四軒の放火と環状線の橋の爆破をカモフラージュしようとしたんですよ。……僕に狙いを変えたのはティーパーティに出席したのがきっかけ。警視総監の息子であるという理由だけですね。
 そして、キャリーケースの爆弾のタイマーを止めたのは児童公園にあったガス灯のためです。あれはニュータウン西多摩市のシンボルになるはずだったもの。教授は壊したくなかったんでしょう。こよなく愛する、ロンドンのそれに似せてデザインしたあのガス灯を。……違いますか?」


 彼を見据えて問い掛ける。しかしやはり、余裕の表情が崩れることはなかった。それもそうだろう、ここまでの推理はすべて推論でしかなく確たる証拠が一つも挙げられていないのだから。スッと目を細め、肩を震わせて笑う教授を捉える。「面白い推理だ白馬くん。だが残念ながら君の推理には――」「そういえば、森谷教授」けれど僕だって、切り札なしに勝負を仕掛けるような人間じゃないんですよ。


「先ほど書斎から持ってきたライター……起爆装置か何かですか?」


だからその証拠は、あなたから提示していただきましょうか。


「?! ……何を言ってるのかね?」
「おや、違いますか。てっきり僕たちを脅す最後の手段かと思っていたのですが」
「何をでたらめなことを……」
「では点けていただけますか?」
「何?!」
「お、おい白馬くん?!」
「できますよね。ただのライターでしたら。……もっとも、火すらつかないそれをなぜわざわざ持ち出したのか、ご説明願いたいところですがね」


 明らかに動揺を見せた森谷教授が、ゆっくりと懐から金のライターを取り出した。スイッチに指を掛ける。それに警部たちが身構えると、「フッ……なぜこれが起爆装置だとわかった?」ようやくそう零した。実質的に自認だ。しかし挑発的な表情はまだ僕に屈していないことを表していた。「!」「動くな!動くとこの屋敷に仕掛けた爆弾を爆発させる!」取り押さえようとした白鳥警部に向かってライターを突き出した教授に、はあ、と溜め息をつく。


「爆発しませんよ。わかっていてそのままにしておくわけないじゃないですか……抜いておきましたよ、電池」
「なに?!」


 ポケットから出した単一電池を二つ、指に挟んで見せる。教授が慌てた様子でライターの下のフタを開けるが、もちろん胴体は空だ。


「馬鹿な、なぜ……」
「簡単なことですよ。森谷教授、あなた、ライターお使いにならないでしょう。パイプに火をつけるのも長いマッチでしたし」


「ああそうそう、ラジコンを渡された少女の言っていた甘い匂いというのは、パイプの匂いのことです」返す言葉なしといった森谷教授に白鳥警部が手錠をかける。「十七時五十九分五十秒、犯人確保」ようやく終わった。けれど、やはり間に合わなかったか。懐中時計の長針が十八時を指した。

 突如、遠くから強烈な爆発音が轟く。


「?!」
「なんだ今の音は?!」


 窓に駆け寄り外を見遣る。暗い街中の向こうで不自然に赤く光る箇所が目に付く。火が燃えているのだ。後ろで肩を震わせて笑う森谷教授に振り返る。


「フフフ……これですべて解決したと思ったら大間違いだ。私が抹殺したかった建物はもう一つある」
「――まさか、米花シティービル?!」


 橋のパネル写真の隣にあるそれに顔を向ける。完全な左右対称じゃないのか…?!「営業不振で建築予算がなくなるというバカバカしい理由のためにね!私の最大にして最低の作品だ。君たちに私の美学はわかるまい」堂々とのたまう彼を思わず睨みつける。
 まずい、今の時間はさんが――。心臓が嫌に脈打ちだす。すぐさま携帯で彼女を呼び出すが、コール音が延々と鳴り続くだけで一向に出る気配が感じられない。そんな僕を嘲笑うように教授が追い打ちをかける。


「まだあそこのロビーへの出入り口と非常口を塞いだだけだ。お楽しみはこれからだよ。早く行かないと大事なガールフレンドがバラバラになってしまうぞ?」
「なに…?!」
「フン、哀れだな。建築に愛は必要ない。人生にもな」


 まさかこの男、僕らの待ち合わせの時間に合わせて爆発させたのか。本当だったら今の時間米花シティービルには僕もいたはず。クソ、気付くのが遅かった…!


「! まだ何か隠し持っているのか!」


 ハッと顔を上げる。白鳥警部が森谷教授に掴みかかり、内ポケットから何かを奪おうとしていた。教授の抵抗によって床に投げ出されたそれは三枚ほどのコピー用紙だった。拾い上げ、中身を見る。紙全体に大きく印刷された簡素な図面。


「これは……爆弾の設計図?!」


 そうか、教授の口振りからしてまだ爆発していない爆弾がある。今行けばまだ間に合うかもしれない。


「目暮警部、現場へ急ぎましょう!」
「待ちたまえ!今爆弾処理班を出動させるから君は…」
「それはもちろんお願いします。ですが…」


また爆発音が響く。心臓が一層脈打つ。一刻も早く、彼女の元へ向かわなければ。


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