建ち並ぶ茶屋のうちの一軒である桜屋の引き戸を開け、中に入る。騒がしいのは地下のようだ。奥の階段を降りて行くとすぐに何人かの大人が部屋の前で立ち尽くしているのが見えた。「ちょい、どいてや!」彼らを押しのけ、立ち止まった服部くんに続いて中を見る。
目を瞠った。男性が頸動脈を切られ血塗れになって倒れていたのだ。


「この部屋には誰も入んなや!女将はん、警察には?」
「あ、ま、まだどす」
「なら早よ通報してくれ。そんで警察来るまでそこの人らはどっかの部屋におってくれへんか?」
「え?!待ってください、そもそも君たちは何者なんですか…?」
「あ?」


坊主の男性が問いかける。そりゃあいきなり現れた高校生に指揮されたところで素直に従うわけにはいかないだろう。ガンを飛ばす服部くんとの間に入り礼儀正しく名乗る。と、着物を着た男性は動揺をはらませながらも「二人の名前なら聞いたことあるわ」と納得してくれたようだった。そして彼の先導の元、店の客と思われる男性たちと舞妓を現場から離れさせ、かつ妙なことをしないよう待機させることに成功した。

警察に連絡し戻ってきた女将を落ち着かせながら話を伺いつつ、現場の捜査を始める。被害者の名前は桜正造。寺町通で古美術商を営んでいたのだそうだ。凶器は鋭利な刃物、そして切り口の鋭さから、犯人は剣の達人であることをうかがわせた。…まさか、桜氏を殺害したのは……。
決めつけるのは早いか。浮かんだ可能性はひとまず横に置き、被害者の上着のボタンが全て引きちぎられているのを確認する。そばでしゃがんでいた服部くんが手を動かしているように見えたが気のせいだろうか。「見てみい白馬」その声に、遺体を挟んで同じようにしゃがみこむ。


「札がぎっしり詰まった財布は無事や。物取りの犯行やないな」
「ああ…」


財布は遺体の腹の上に置かれており、不自然に開かれた状態ではあったが中身の金銭その他に手をつけられた形跡はなかった。わざわざこれ見よがしに財布を置いたのは金目当てでないことを知らしめるためだろうか。それにしても妙だ。


「客である桜氏がなぜここに?」
「さ、さあ…8時15分頃、下で寝る言わはって、一階の部屋に案内したんどす。9時に起こすよう言われ、その時間に部屋に行ってみたらおらんくて、地下を探したら…」
「なるほど…」


立ち上がり、部屋を見回す。ここは納戸らしく、桜氏はここを物色中に犯人に襲われたものと見られる。また、今日の桜屋には彼を含めた四人の男性の団体しか客はおらず、彼らの他には女将と二人の舞妓しかいなかったらしい。他にも聞こうと女将に顔を向けたところで、上の方から引き戸の開く音が聞こえてきた。どうやら警察の登場らしい。現場を好きに捜査できるのもここまでだろう。出迎える女将に続いて僕たちも階段を登った。


「京都府警の綾小路です」
「ご苦労さんです。どうぞ…」


警官の一人を店の表に置き、もう一人と共に入ってきたのは本日三度目にお目にかかる綾小路警部だった。廊下に立ってその様子を見ていた僕たちと目が合うと、彼はわずかに顔をしかめた。


「こらあ京都府警の刑事はん。えらい早ようお着きでんな」
「…君、嫌味はよしたまえ」


服部くんのそれを無視し、階段を下りて行く刑事たちを見送る。「外部犯やと思うか?」問い掛けられたそれにははっきりとは返答しかねる。僕たちが入ってきたときもだったが、あの入り口の引き戸は開閉に随分と大きな音が鳴る。その音が中にいた誰かに聞こえる可能性は高いが、店にいたのは少人数のため二階に全員が集まり宴会中か何かで盛り上がっていたとしたら、耳に入らずに侵入することは絶対に不可能というわけでない。
他の侵入経路を試すため、近くの扉からベランダに出て下を見下ろしてみる。鴨川の堤防には多くの人影が今もあり、さすがにここからの侵入は不審すぎるだろうと判断する。


「平次ー!白馬くんー!何やったのんー?」
「…和葉?」
「どうやら本当に僕らがいた真後ろだったようですね」


さんと和葉さんが立ち上がってこちらを見上げていた。服部くんが適当に濁したあと店内に戻り、再度地下への階段を降りて行く。予想通り納戸は綾小路警部主導の捜査が行われていたため、僕たちは他の部屋を見て回ることにした。納戸の隣は洗面所と風呂場、廊下の奥には物置だけがあった。突き当たりには小さなガラス窓があり、開けてみるとすぐ下は例のみそぎ川が流れていた。


「とりあえず、彼らに事情聴取をしてみないことにはこれ以上進展しなさそうですね」
「ああ。凶器もまだ見つかっとらんしな」


被害者が殺害されたのは8時15分から9時までの間。その間彼らの中に、殺害に加えて凶器を隠すか処分するかをできた者がいるのか。店にいた者たちは目下の容疑者だ。「彼らがいるのは二階でしょうか?」二階に続く階段を見上げながら疑問を口にすると、彼は多分なと答えた。が、それがどうにも他人事のようで、不審に思いながら視線を彼に戻した。


「俺はちょっと行ってくるわ」
「は?」


思わず目を丸くすると彼は見せびらかすようにポケットから何かを取り出した。照明に反射されるいくつもの金属のそれが何なのかわかると、僕はぽかんと口を空けていた。


「被害者の店は寺町通ゆうてたな」
「お、おい君…!」


彼の手にハンカチで握られていたのはいくつもの鍵だった。およそ彼の所有物らしくなく、かつ先ほど遺体のそばで何かをしていたことが繋がり、それは被害者の物であることはすぐにわかった。が、しかし何をしているんだ君は。


「しーっ。黙っとき。すぐ戻るさかい、おまえは事情聴取聞いとってくれ」
「……。君にはほとほと呆れさせられるよ」


溜め息をつき、「ほんじゃ」と軽く手を挙げ背を向けた彼を見送る。おそらく彼もこの事件が源氏蛍の件と関係があると見たのだろう。気持ちはわからなくもないが…。ふと、後ろで警部たちが二階に上がって行くのに気が付いた。……仕方ない、今回は大目に見てあげようじゃないか。僕は気を取り直し、彼らに続くことにしたのであった。


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