鞍馬寺は蹴上インクラインから更に京都市を上ったところにある。中央区から随分離れたなと頭の中で地図を思い浮かべながら進行方向を覗くと、丁度鞍馬寺と思われる入り口が見えた。しかしバイクはそれを通り過ぎ、更に坂を登って行った砂利の駐車場でようやく停まったのだった。
外はもう日が暮れてきている。時間的に、見て回るのは今日はここが最後だろう。バイクから降りると近くに一台の青いバイクが置いてあるのが目に入った。「普通は仁王門の方から入るんやけど、こっちの方が近道でええやろ」そう言った彼に相槌を打ち、あのバイクの持ち主も同じ理由なのだろうと推測する。
西門を通り、踏み固められた小道を歩いてしばらく行くと、森の中の小さめだが荘厳な社に辿り着いた。僧上ヶ谷不動堂である。


「牛若丸はここで天狗と会うて兵法を伝授されたそうや。まあ確かに、ここは剣の修業にはぴったりの場所やな」


途中、コンビニに寄ってコピーをした絵を開く。天狗といえばこの絵にも二箇所天狗は描かれているが、それがどういう意味を持つのかはまだわからない。伝承に関係があるとして、すぐにここが絵の指す場所になるとも考え難い。天狗以外の謎も解けていないのだ。「それにしてもこの杉でっかいなァ…」彼の声が思ったより遠いところから聞こえてやっと、彼が少し離れた大きな杉の木の方にいることに気が付いた。…彼は考える気があるのだろうか。やや呆れつつ、紙をしまいながら声をかける。


「ここも違いそ、…?」


視界にちらついた違和感。ハッと見上げる。木の上に人がいた。その人物が構えているのは、弓矢だ。


「伏せろ!!」


咄嗟に叫ぶ。矢が服部くんに向けて放たれた。「っ?!」振り返った彼は間一髪のところでなんとか避けたようだ。勢い余って尻餅をついた彼は放っておき、杉の木に矢が深く突き刺さるのを確認した僕はすぐさま駆け出し、逃げて行く犯人を追った。

しかし山を下り西門まで辿り着いたタイミングで犯人はバイクを発車させたためそれ以上の追跡は叶わなかった。すぐ後ろから追い掛けてきた服部くんは無謀にもバイクにまたがり追おうとしたらしかったが「、アカン鍵どっか落とした!」どうやらそれも不発に終わったようだった。上がる息を落ち着かせながら、色々な意味を込め、溜め息をつく。


「さっき尻餅をついたときだろう。矢の回収もしたいですし、一旦戻りましょう」
「クソッ…今の奴、源氏蛍のメンバー殺害した犯人やろか?!」
「ああ、おそらくね…」


軌道上の障害物が少ないとはいえ、逆に足場が不安定になる木の上からあそこまで正確に狙いを定めることができるのは相当の弓の達人であることは間違いない。だとすると、一連の連続殺人事件の犯人像と一致する。


「けど、なんで犯人は俺を狙ったん」
「君が源氏蛍のメンバーだからじゃないかい?」
「ハハハ、そらしゃーないわ…ってアホか」


軽口の応酬はひとまず置いておき。「君が備前平四郎に依頼された絵を狙っているとも考えられるね」来た道を戻りながら、彼のポケットに目を落とす。それにハッとした彼も同じ考えに行き着いたのだろう。四つ折りの紙を取り出し、広げる。


「やっぱりこの絵、源氏蛍の事件に関係あるみたいやな」
「ああ。もしかしたら、絵の謎が犯人に繋がっているのかもしれない」


俄然面白くなってきたじゃないか。好奇心を確かめるようにお互い目を合わせ、不敵に笑った。





彼を狙った矢が東京で殺された源氏蛍のメンバー、片岡八郎の胸に刺さっていた物と同じならば僕らの推測はほぼ確定だろう。地元警察にその旨を伝え照合を任せ終わる頃には日は完全に沈んでいた。さんたちと三条駅で合流できたのは七時半をとうに過ぎた頃で、服部くんに小言を言う和葉さんをなだめながら四人で近くの和食店に入り夕食を摂った。服部くんに口止めされた鞍馬山の件には触れず、捜査報告を交えながら僕たちは穏やかなひと時を過ごしたのであった。

20時15分16秒。懐中時計を閉じ、ジャケットの内ポケットにしまう。二人はもうそろそろ帰るだろうか。店を出て振り返ると、さんと和葉さんが何やらひそひそと話しているのに気が付いた。


「ほ、ホンマに行くん〜…?」
「なんで?!和葉ちゃんもさっき行きたいって言ってたじゃん!」
「そやけどこのメンバーで行くんはちょっと…」
「え?なんで?」
「自分らさっきから何コソコソ話しとんねん」
「や、べつに…」
「鴨川行きたいねって!まだ時間大丈夫なら!」


ああなるほど。その話を昼にしたことを思い出す。もちろん誘ったのは自分なのでさんに賛成し、二人に向けて問いかける。服部くんは何でもないように了承したが、なぜか和葉さんは頬を赤くして渋っているようだった。


「なんや、川に落ちても助けたるさかい、心配すんな」
「誰がそないアホな心配すんねん!」


しかしそんな彼女もさんに頼み込まれ最終的に頷き、四人で鴨川へ向かうことに決まった。途中、綾小路警部の姿が見えたが彼はすぐに踵を返しどこかへ去って行ってしまった。「俺ら目ェつけられてんとちゃう?」弁慶石でのことを思い出し、鞍馬山での件が耳に届いているとしたら否定しかねるな、と苦笑いをする。
川端三条の近くなのでそう時間は掛からず、目的地にはすぐに到着した。堤防へ降りながら、さんと和葉さんが感嘆の声をあげる。


「きれい〜!」
「ホンマやな〜!」


桜並木の夜景ももちろんだが、先斗町の鴨川に沿って並ぶ店の明かりも幻想的な雰囲気を醸し出していた。名所と言われるだけあって人の影も多いようだ。隣のさんを見下ろし、小さく笑う。喜んでもらえてよかった。


「にしても、カップルばっかやな…」
「……」
「ほんとだ、確かに」
「そういう意味でも名所らしいですからね」


空いた場所を見つけて四人で座ることにすると、今度は服部くんも一瞬渋り、和葉さんと二人で内緒話を始めたが、なんやかんや並んで落ち着くことができた。僕、さん、和葉さん、服部くんの順で座り、ふと空を見上げると、空には満月が輝いていた。


「今日は満月みたいですね」
「ほんとだ、どうりで明るいと思った。余計きれいに見えるね」
「ええ…」
「…和葉ちゃん?」


さっきから黙ったままの彼女の顔を二人で除くと、彼女はじっと川を見ているようだった。和葉さんだけでなくその奥の服部くんまでそっぽを向いているので不思議だ。「え、あ、せやな!」明らかにどもる彼女の頬が赤いのが、月が明るいせいでよくわかる。…なるほど。四人でなく彼らとも距離を空けて座った方がよかったかもしれない。

しばらく談話していると流れで先斗町の話になった。その頃には二人の緊張もほぐれたようで、服部くんもいつもの調子を取り戻していた。四人で後ろを向いてお茶屋の方を見上げる。鴨川と木屋町通の間に並ぶ店々はオレンジ色の明かりを鴨川まで照らしていた。「ほんであれは、」彼が説明するため、鴨川の隣を流れる小川を指差す。


「正確には鴨川と違うてみそぎ川…」

「あああああああっ!!」


「っ!」突如、女性の悲鳴が響く。場所は丁度服部くんが指差した先だ。あのお茶屋で何かあったのか。「和葉は姉ちゃんとここで待っとれ!」すぐさま立ち上がり、そう指示した服部くんと共に駆け出す。走りながら開いた懐中時計は21時1分40秒を示していた。


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