義経大日如来が祀られている蹴上インクライン疎水公園にも特に目ぼしいものはなく、一度休憩を摂ろうという僕の提案に彼は頷いた。昼食時に不十分だった情報の共有と、一旦落ち着いて考えをまとめたいと思ったのだ。近くに甘味屋があると言って案内され桜並木の小道を歩く。四月の頭である今頃だと京都の桜は丁度満開らしい。風に舞う花びらも見事だった。
ふと、ポケットで携帯が振動する。見てみるとさんからのメールだった。写真が添付されており、和葉さんと二人で清水寺をバックに写る写真が載せてあった。京都を満喫している楽しげな笑顔と、僕らへの激励のメッセージを見て、思わず笑みを零す。あとで返信しておこう。

「桜か…」その声で、少し前を歩く服部くんに顔を上げる。桜を見上げている彼の表情はこちらからではうかがえないが、声音は今まで接してきた彼からは想像できないほど物憂げだった。目を丸くし、問い掛ける。


「桜が何か?」
「いや、…桜見るといつも思い出すんや。もう八年も前のことなんやけどな」
「…もしかして、初恋の人のことですか?」
「おまっ、何で知ってん?!」


当たりでしたか。まあまあ、と適当に誤魔化すとタイミングよく甘味屋に着いた。さっそく外の長椅子に腰かけ、注文してから話の続きを促す。彼は僕を訝るように睨んだが、やがて渋々と話し始めた。


「小三のとき、一人で京都の寺を探検したことがあってん。その寺の近くの格子窓に飛びついたときや」
「飛びついたって、君…」
「なんや、ガキん頃の話や。軽く流さんかい」
「今でも平気でやるじゃないか」


溜め息をつく。いくら幼くとも、自分だったらそんな野蛮ことをする発想には至らないだろう。やはり彼のこういうところは一生共感できないと思った。
しかも彼の話によると、その飛びついた格子窓が古くて折れてしまい、そのまま勢いよく屋内に飛び込み頭を打って気絶したのだという。自分の顔がますます険しくなっていくのがわかった。
しかしそのあとがなかなか興味深かった。目が覚めたとき、外から少女の歌が聞こえたのだそうだ。壊れた格子窓から外を覗くと、近くの桜の木の下で、少し年上の、着物を着た少女が唄を歌いながら鞠をついていたのだ。彼はその姿に大層見惚れたらしく、しばらく彼女を眺めていた。しかし、突然吹いた強い風に一瞬目をつむると、次に開いたときにはその少女はいなくなっていたという。


「…夢みたいな話やけど、本当のことなんや。いつかまた、会えるんちゃうかと思って」


そう言う彼の目はどこか遠くを見ているようだった。和葉さんからは詳しく聞けなかったが、彼と初恋の人との出会いは思ったより幻想的なものだったらしい。なるほど、和葉さんが気が気じゃなくなるのも頷ける。


「君にそんなロマンチックなエピソードがあるとは意外でした」
「どういう意味じゃコラ」
「けれど、手がかりもなしにどうやってその人を見つけるつもりなんですか?」
「あ?手がかりならあんで」


あっけらかんと言いのけ上着のポケットから取り出したのは小さな巾着袋だった。それを逆さにして出てきたものを手渡される。広げた手の中に転がったのは、「…水晶玉ですか」右手でつまみ上げ、太陽にかざしてみる。特に細工が施されているわけでもなく、ごく普通のそれだ。強いて言えばこの、円錐台の底が丸くなっている形状だろうか。しかしこれがその少女に繋がる何かとも思えなかった。返しながら問い掛ける。


「これ、どうしたんですか」
「彼女の持ちもんや。その子がおらんくなったあと急いで桜の木の下に行ってみたら落ちててん」
「へえ…」


運ばれてきた緑茶と大福を受け取り、湯呑みに手を伸ばしながら続ける。「それで、無神経にもこのことを和葉さんに話したというわけですか」呆れたように言うと、それには意外にも目を丸くされた。


「いや?直接は言っとらんで」
「え?」
「せやけど知っとるみたいや。そもそもあいつが知ったんは……」


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