「さっき来た少年にも言ったけどねえ…夜遅くみたいだったし、全然気が付かなかったよ」


東山区にある酒処「ふく彩」の店主であるおじさんは申し訳なさそうにそう答えた。京都で殺された駿河次郎(源氏蛍内での呼び名である)が経営するスナック「ジロー」(つまりそこから取った店名なんだろう!)の隣のお店であるここに聞き込みに来たのだけれど、どうやら外れらしい。確かに警察の発表でも事件が起こった時間は未明とあったはずだし、スナックの店内はほとんど荒れておらず争われた形跡がなかったところからも、就寝中のお隣さんが気が付かなくても仕方ないだろうと思う。白馬くんもそうですかと答えたあとは二、三、質問をしただけで、お礼を言って割とすぐに店を後にした。のれんをくぐり、手帳に筆を走らせる白馬くんに声をかける。


「やっぱり夜だと見てる人はいなさそうだね」
「ええ…それよりも気になるのが…」
「?」


パタンと手帳を閉じ、眉をひそめる白馬くん。「僕以外にもこの事件を調べてる人がいるんでしょうか…?」その疑問に首を傾げるが、そういえばと思い出す。確かにさっき、おじさんがそんな感じのことを言っていた気がする。「詳しく聞いてみる?」踵を返しのれんを手で退けながら問うと、彼は「いえ、いいでしょう。それより次の場所に」手帳を胸ポケットにしまい、進行方向に身体を向けた。そう?と返しつつ、今さっき出てきたばっかりで戻るのは気が引けるのも事実なので彼について行くことにした。

次にやって来たのは五条大橋という、川に架かる立派な橋だった。下を流れるのは鴨川というらしく、見下ろすと平らな堤防に何人かの人が見えた。「夜景が綺麗らしいですよ。夜にまた来ましょうか」そう言った白馬くんに大きく頷いた。
橋の入り口付近には義経と弁慶を模した小さな像があった。白馬くん曰く、義経(子供の頃は牛若丸という名前だそう)と弁慶が出会ったのがここなんだそうだ。千本目の刀を狙って襲い掛かってきた弁慶を義経が倒し家来にしたという逸話は、確かに耳にしたことのある話だった。


「…ですが、ここは特に関係なさそうですね」
「どうする?大阪の方行ってみる?」
「そうですね…」


なんでも白馬くん、源氏蛍のメンバーが皆義経の家来の名前であることに着目して、義経とゆかりのある場所を回るつもりらしい。とは言っても日本史にはあまり明るくないらしく(と言いつつ知識量は十七年間日本に住んでいるわたしの遥か上を行くのだが)、いくつか回って収穫がなければ大阪の事件現場にも足を運ぶつもりなのだとか。
端に寄って地図に目を落とす白馬くんを、柵に寄り掛かって眺める。と、「…白馬?」少し離れたところから彼の名前が聞こえた。ほとんど同時に二人で振り向く。


「え!服部くん?!」


思わず声をあげたのはわたしだ。なんと橋の反対側から、服部くんが歩いて来ていたのだ。会うのは今日が二回目だったけれど先月に会ったばかりだし、彼の顔はよく覚えている。なんでここに、と思ったのはお互い様らしく、先に彼から「自分ら何してん?旅行か?」と問われた。しかしそれはとても難しい質問だ。旅行といったら旅行かもしれないけど、んんん。


「今は捜査中かな!」
「はあ?」
「君、ふく彩という店に行きましたか?」
「は、何で知って……て、まさか」


白馬くんの台詞で合点がいった。あのお店でわたしたちの前に来た少年というのは服部くんのことだったのだ!なるほど、白馬くん以外に調べてるのが服部くんなら納得だ。西の服部と呼ばれるほどの彼なんだから、大阪でもあった事件の捜査をしててもおかしくない。うんうんと頷き、二人の探偵の再会に運命めいたものを感じるわたし、とは対照的に白馬くんと服部くんは、どちらともなく溜め息をついたようだった。


「……まあええわ。ほんでここにおるっちゅーことは、自分も義経と弁慶に関係する場所見て回ってんねやろ?」
「ええ。何か手掛かりがあるかと思ったんですが、我ながら可能性の低いアプローチだと考え直していたところです」
「確かに、殺しの手掛かり掴めるとは思わんなあ」
「? 君は違うんですか?」


目を丸くする白馬くんに服部くんは得意気におう、と頷き、それから「立ち話も何やし、どっか店入ろうや。昼飯は食ったか?」と問うた。首を振ったわたしたちはこうして、彼に案内され昼食を食べに行くことになったのだった。





「これや」


四人席に服部くんと向かい合って座る。注文が済むなり上着のポケットから一枚の紙を取り出した服部くんは、四つ折りのそれをわたしたちに見せるようにテーブルに広げた。二人で覗き込むとそこには、「…なんですか?これ」思わず白馬くんがそう聞いてしまうほど、一言では言い表せない奇妙な絵が描かれていた。

階段を正面から見たような図に、ところどころ絵が描いてある。五段目である一番上には赤いセミと緑の天狗、赤い金魚。四段目には黄色いニワトリと同じく黄色いドジョウ。三段目と二段目の間には紫のスミレと緑の天狗と紫の富士山が、それぞれ等間隔に描かれている。しかも富士山の隣にはドングリがなぜかぽつねんとあるし、よく見ると五段目と四段目の間に点が打ってある。何か統一性があるようでまるでない絵だ。間違いなく、百人中百人が「なんですか」と聞きたくなる絵だろう。服部くんは片腕をテーブルに付き、わたしたちと同じようにそれを覗き込んで言った。


「実はこれ、大阪で殺されたおっちゃんに依頼されたモンなんや」
「大阪…寝屋川市の?」
「ああ。実はあのたこ焼き屋のおっちゃん、顔なじみでな。殺される数日前に、この絵の謎を解いてほしいゆうて頼まれてん。ただ詳しいことは何も教えてくれんで、聞いたんは、ある場所を示してるっちゅーことだけやった」
「場所、というと?」
「さあ?内密にーゆうてやたら念押されてなあ、ほんで解く前に殺されてもうたんや」
「まあ、依頼内容の口外無用というのはごく当たり前のことですが…盗賊団のメンバーとなると怪しいですね」
「せやろ。……それに俺、中学んときからあの店通うててん。いろいろ世話んなったから、犯人挙げて敵取るついでにこれも解いたろ思てな」


なるほど、と白馬くんが頷いたタイミングで料理が運ばれて来た。彼が紙をどかせテーブルを空けると、三人分の定食料理が並べられた。それじゃあいただきます、と手を合わせ、わたしは早速湯葉巻きに箸を伸ばす。
ふと隣を見てみると、白馬くんは箸も持たず、まだ手に持った不思議な絵をじっと見ていた。口元は綻び、目は心なしか爛々としている。……この白馬くんは見たことがある。事件の話をしているときの彼だ。その証拠に、向かいの高校生探偵さんもどこか楽しげだ。


「どや、面白そうやろ」
「ええ…」
「よし、なら決まりや。事件の手掛かり探すついでにこの絵の謎解くん手伝え。俺そこにバイク停めとるから、後ろ乗せたるで」
「え?いや、しかし」


横目の白馬くんと目が合う。二人の話をただ聞いているだけだったわたしは、二回ほど瞬きをしてやっと、彼の言わんとしていることに気が付いた。服部くんのバイクはもちろん定員二名だ。つまり、わたしは完全に邪魔者なのだ。う、うわあ、どうしよう…。自覚して途端に肩身が狭くなる。しかし、白馬くんも気遣ってか別の案を提示しようとしたのだけれど、それに被せるかのように服部くんが「ああ、」とわたしを見た。実に何でもなさそうに。


「姉ちゃんのことなら心配せんでも、和葉呼ぶで」
「か、和葉ちゃん?」
「おう。そもそも姉ちゃんが捜査についてってもつまらんやろ。俺らが調べとる間、和葉に京都案内してもらうとええ」
「え、あの」


つまらなく、ないけどなあ……わたし、白馬くんといられれば割と何でも楽しいのだけれど。今回も白馬くんの捜査について行くの、結構楽しかったんだけど、なあ。
でも確かに、服部くんのバイクで移動した方が時間短縮になるし、足手まといのわたしがついて行ってもお荷物でしかないだろう。一緒にいられないことに気落ちしたけれど、なるべくしてなったことだと思い直し、服部くんの厚意を受け取ることにした。彼は早速携帯で和葉ちゃんと連絡を取ってくれているようだ。


「すみません、さん…僕から誘っておいて」
「ううん。わたしこそ先に京都見物するの、ごめんね」


白馬くんの謝罪に笑い返す。「今から来るみたいやで」通話を切った服部くんにお礼を言う。服部くんの配慮もありがたいし、わざわざわたしのためだけに来てくれる和葉ちゃんもありがたすぎる。心の中で感謝した。和葉ちゃんと会うのも久しぶりだなあ。あの日の別れ際、連絡先の交換をして以来だ。
二人はバイクの乗車経験について話しているようだった。それを聞きながら、ふと、二人がバイクの二人乗りをしているのを想像して、なかなか面白い絵になるのではと思わず神妙な顔になるのであった。


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