月明かりを頼りになんとか目的の玉龍寺まで辿り着くことができた。ずっと斜面を駆け上ってきたのと緊張が相まって心臓はばくばくとうるさいし、足元もおぼつかないのが本当のところだけれど、ここまで来て今さら後戻りもできない。わたしの携帯ももう圏外だ。意味もなくずっと手にしていたのに気が付いてバッグにしまう。
石段を登り、おそるおそる門を覗いてみる。松明の明かりがあるけれど人っ子一人見当たらない、殺風景な光景だった。注意深く観察し、外には誰もいないことを確認して踏み入れる。塀の内側には薪が山のように積まれているが他は本当にそれだけだし、廃寺という印象に違わなかった。二人はどこだろう。
と、遠くからくぐもった物音が聞こえた。本堂の方からだ。やっぱり白馬くんたちが来てるんだ!そう疑いもなく確信したわたしはまっすぐ走り出した。松明で照らされた中央の参道を駆けて行く。と、途中に何かが落ちているのに気が付いた。細長い、銀光りしている、「……、え」それの近くで立ち止まる。ゆっくりしゃがみ込み、それが何なのか、確信する。

日本刀か何かの、折れた刃だった。遠くから、知らない男の人の怒号が聞こえる。

途端に手が震えだす。こんな長い刃が折れてしまうような何かが、ここであったのだ。穏便なことは何もない。いるのは白馬くんたちだけじゃない。確実にここで、今も、不穏な何かが起こっている。
足音も複数人のものが聞こえる。予想していたことが現実身を帯びてわたしを拘束する。白馬くんたちが、何かよくないことに巻き込まれている。……それで、わたしは、何をしようとしていたんだっけ。何ができると思って、ここまで、

伸ばしかけた手を引っ込め、ぎゅっと拳を握る。今から自分に何ができるかはわからない。けど、行かなきゃ。両手で頬をパチンと叩き、立ち上がる。…よし!そうだ、白馬くんたちを探そう。尻込みしていた気持ちを奮い立たせ、わたしは本堂への階段を上った。

と、正面の戸が開いた。


「ひっ…」


向こう側に立っていたのは道着に般若のお面をつけた人だった。あまりに唐突で声も出ない。時間と心臓が止まったように、目をまん丸に見開いたまま固まる。
逃げなきゃと頭で思っても身体が動かない。体感時間にして数分あったけれど実際は数秒だろう。突然お面の人が何かに気付いたように顔を動かすと、一歩近寄ってきた。咄嗟のことに反応できず、伸ばされた手に簡単に腕を掴まれてしまう。恐怖におののくわたしは抵抗もできずなされるがまま、その人が出てきた本堂の一室に引っぱられた、のだが。

(あれ、)

力任せに引きずり込まれるのかと思いきや、その人に肩を支えられた。それからその人がすばやく戸を閉めるとすぐ、前の通路を何人かの大きな足音が通るのが聞こえた。息を潜め固まったままでいると、反対からもそれは聞こえてくる。「斧だ!倉庫から斧を持ってこい!」しばらくしてその集団の気配が消えると、わたしより先にその人が脱力したようだった。おそるおそる見上げる。気付けばわたしはその人に肩を抱き寄せられている状態だった。しかし不思議と、嫌悪感はない。


「もう大丈夫そうですね」


お面の下の声を聞き、ようやくその理由が判明する。そっと解放され、向き直る。その人は頭巾をほどいて外し、それから後ろで結ばれていたお面の紐を解いた。外したそれから顔を覗かせたのは、


「…白馬くん…!」


驚かせてすみません、と謝る彼は安心させるように笑顔を浮かべる。一気に緊張の糸が切れる。はあっと大きく息がつけた。よかった、よかった、無事だったんだ。


「しかし、さんがどうしてここに?」
「え、あ、ごめんなさい、電話繋がらなくなっちゃって、いてもたってもいられなくて…」
「ああ、そうでしたか…すみません、ここに来る前に連絡しておけばよかったです」


もう不要だというように、お面と頭巾を近くの棚に置く白馬くん。「実は一連の事件の犯人から、和葉さんを人質にとったとここに呼び出されまして」えっ!思わず目を見開く。まさかそんなことになっていたなんて。ということはやっぱり、病院で待ちぼうけしてなくてよかった、のか。「それで和葉ちゃんは…?」服部くんも、この場にいないけれど、大丈夫なのだろうか。部屋は暗くて近くの物しか見えない程度だけれど、白馬くんの表情が少しだけ翳ったのはわかった。


「今のところは、おそらく」
「おそらく、って」


白馬くん曰く、元の予定では服部くんが単独で乗り込み、和葉ちゃんの安全を確保したあと服部くんが犯人を引きつけている間に仏像を探すつもりだったのだそうだ。しかし犯人の手下である門弟の数が予想外に多く、二人は計八人の相手に追われ寺の奥へと逃げたらしかった。逃げる際、服部くんに仏像を探せと言われた白馬くんは、潜り込んでいた門弟から離脱して本堂内を探していたのだという。簡潔に、けれどわかりやすく説明する白馬くんはそっと戸を開け、外をうかがっていた。


「でもやっぱり助けないと…」
「ええ、それも考えているんですが、…!さん、来てください」


何かをひらめいたらしい彼に手を引かれ、開け放たれた部屋を飛び出した。白馬くんが着ている道着は玉龍寺の近くで見つけた門弟の人の物で、服部くんがのしたあと拝借したのだそうだ。外に出て改めてその姿を見る。白馬くんと和服はなかなか見ない組み合わせだけれど、とてもよく似合っていると思った。不謹慎ながら見とれてしまう。
門の近くまで走っていくと、白馬くんはなんと突然、一番近くの松明の照明をひっくり返した。「えっ、白馬くん何やってんの?!」ぎょっとして問いかけると今度は散らばった松明のうち先っぽだけ燃えている一本を拾い、それを思いっきり投げた。的は、大量に積み上げられている薪の山だ。当然火は移り、勢いよく燃え上がる。「さん、いいですか、」そうして指示されたことを、状況が読めないながらも頷き了解する。白馬くんの合図で、叫ぶ。「せーの、」


「「火事だーー!」」


本堂から人影が現れる前にまた白馬くんに手を引かれ、門の外に出る。彼の後ろに押しやられるとすぐに本堂の方からどよめきが起こった。「火が燃えてるぞ!」「俺は師範のところに斧を持ってく!おまえらははよ消せ!」よし、と身体を隠しながらうかがっていた白馬くんが呟く。なるほど、敵の人員をこっちに捌かせるのが狙いか。素直に感心していると、白馬くんはこちらに向き、わたしの肩に手を置いて声を潜めた。


さん、お願いがあります」
「なに?」
「山を降りて警察にこのことを知らせてほしいんです」
「……え、」
「この火で誰かが気付く期待もありますが確信できません。こんな暗闇の中一人で行って頂くのは本当に申し訳ないのですが…」
「え、あの、じゃなくて、警察の人にはもう知らせたよ」
「え?」


目を丸くする白馬くん。先ほどの鞍馬寺でのことを話すと、彼はそれに心底安心したようにほっと笑った。


「ありがとうございます、さん。助かりました」
「…うん!」


その言葉は本当に嬉しかった。湧き上がる感動を抑えられず、浮いた声で頷く。わたしも役に立ったんだと思えたのだ。「あとは二人を助けられれば…」そう言って再び境内をうかがう白馬くんにハッとする。すぐ近くでは火を消す消火器の音が聞こえる。そうだ、まだ終わってない。気を引き締めなければ。ここもいつバレるかわかったものじゃないのだ。


「! 二人が来ました!」
「ほんと?!」


顔を覗かせると和葉ちゃんがこちらに向かって走ってきていた。後ろからは四人の門弟が追いかけてきている。「和葉ちゃんこっち!」門から大きく手を振ると、彼女もほっとしたようにわたしの名前を呼ぶ。外までくればあとは……「なんやおまえ!いつの間に!」「!」完全に失念していた、近くで消火器を使って火を消していた門弟に見つかってしまった。それよりも、この位置関係だと和葉ちゃんがこっちまでこれない。一瞬にして頭が真っ白に、なり、


「どいてください、通ります」


…京都訛りのこの声は!バッと振り返ると、鞍馬寺で会った刑事さんと十名ほどの警察官が門の下の階段を駆け上がって来ていた。それを目で捉え、はあっと大きく息をつく。どうやら危機は脱したようだ。予想外の登場にたたらを踏む門弟たちを次々と取り押さえていく警察官の人たち。和葉ちゃんも無事だ。彼らの闘争から離れ、きょろきょろと辺りを見回している彼女に白馬くんと駆け寄る。


「和葉ちゃん!無事でよかったー!」
「あ、ちゃん!心配かけてごめんなあ…」
「ううん、…あれ、ところで服部くんは…?」


さっき白馬くんが二人が来たって言ってたような、と辺りを見回すと、そばにいた白馬くんが「あそこです」と上方を指差した。それを追うように上を見上げると、なんと服部くんは、寺の屋根の上で犯人らしき人物と戦っていたのだった。


「平次!」
「えったっ助けなきゃ?!」
「いえ、もう…」


白馬くんがそう呟いた次の瞬間、服部くんの剣が犯人の腹に入った。峰打というやつらしく、犯人は気を失い屋根から滑り落ちる。それを服部くんが助け、どうやら決着がついたようだった。…服部くんの勝ちだ!


「やった!平次ー!」
「おう!」


和葉ちゃんが大きく手を振ると、服部くんも誇らしげに笑っていた。門弟七人はすでに警察によって制圧されていた。辺りを見回し、ほっと胸をなでおろす。よかった、一時はどうなるかと思ったけど、ようやく事件解決というやつではないだろうか。「これで一件落着だね」「…ええ」白馬くんを見上げて言うと、彼も優しく笑った。


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