僕らの二歩先を歩く服部くんがふいに立ち止まったのは、山能寺の敷居をまたぐか否かという境界線だった。彼の突然の行動を隣に並んだところで見遣ると、桜の木を見ていることに気が付く。山能寺は門をくぐるとすぐ近くに大きな桜の木が構えているのだ。昨夜はじっくり見る余裕もなかったが、明るいこの時間帯だと花びらの散る様子などなかなか見事なものだとわかる。
横目で彼をうかがう。物憂げなその表情は彼に抱くイメージとはどうにも似つかわしくない。と、そこであることに思い至り、また彼の視線を追う。桜の近くには本堂の隣の小部屋があり、外からは格子の付いた窓が見えた。


「どうかしたの?」
「あ、や、なんでもあらへん」
「……」


なるほど、例の話の舞台はここですか。一人そう確信し、歩き出した服部くんとさんのあとに続く。ということはあの水晶玉を拾ったというのもあの辺り……そういえば、彼を襲った犯人があれを拾おうとしたと言っていたな。初恋の人というのではないが、しかしそうでもなければ拾う理由は何だったのだろうか。
本堂を横切り、昨夜通された寺務所へ向かう途中で竜円さんに迎えられる。挨拶ののち、白鳥警部が既に来ていることを告げられた。


「それと、仏像のことなんですが…警部さんに話しました。なんや、殺人事件と関係ありそうでしたので…隠してくれはったみたいやのに、すみません」
「いえ、お気になさらず。僕らもやることは変わりませんので」
「ありがとうございます…あ、それで、これが薬師如来様のお写真です。何かのお役に立てるかと」


コピー用紙にプリントアウトされた写真を受け取る。正面から撮られた仏像の全体図らしい。一瞥するがしかし、あの絵との関連性は見当たらない。これも何かヒントになるのだろうか。お礼を言い、思考を巡らせつつ促された寺務所へ向かった。



白鳥警部からは容疑者の一人である千賀鈴さんについて聞くことができた。彼女は幼い頃に母親を亡くし、お茶屋の山倉多恵さんに引き取られ育てられたのだそうだ。彼女の母親は未婚の母で父親が誰なのかは不明。しかし毎月お茶屋に匿名でお金が送られてきていて、それが三ヶ月前からプツリと途絶えた、という。
話を聞き終えたあと、白鳥警部が電話で誰かと話している間情報を書きこんだ手帳を見返していると、向かいの服部くんがジト目でこちらを見ているのに気が付いた。「何ですか?」その声で、僕の隣で同じように覗き込んでいたさんも顔を上げる。彼は頬杖をつき、不満げに目を逸らした。


「犯人はおおかたあの人やろ。なに真剣にメモっとんのじゃ」
「もしかしたら今後手がかりになる情報かもしれませんから」
「ああ?千賀鈴さんが犯人と関係あるっちゅー意味か?」
「良くも悪くも、可能性はゼロじゃないだろう?」


急に彼女贔屓になったな。内心呆れながら再び目を落とすと、そのタイミングで白鳥警部の電話が終わったようだった。「目暮警部からです。源氏蛍についてある可能性が出てきました」そう言い、座布団に座り直す彼の言葉を待つ。





「形見分けなあ…」


白鳥警部が京都府警の捜査に合流しに行ったあと、僕らは寺務所に残り聞いた話の整理を始めていた。白鳥警部によると、目暮警部は東京で殺された三人が身につけていた遺品に着目し、それぞれが同じ銘柄、同じ素材の防寒具だったところから「形見分け」という推理をした。つまり、生き残っているとされていた義経、もしくは弁慶が既に死んでいて、その遺品を残りのメンバーが分け合ったのではないかというのだ。


「目暮警部の推理が当たっているとしたら、源氏蛍はあと一人ということになりますね」
「ああ。もしかしたら連続殺人はもう起こらんかもな」
「ええ」
「…?どうして?」


「残った一人が、一連の事件の犯人ということも考えられるからですよ」疑問を零したさんに答えると、なるほど、と頷いてテーブルに目を落とした。そこには捜査に使う三枚の紙が広げられていた。仏像の写真、その在り処を示す絵と、京都市内の地図だ。先ほど服部くんの襲撃場所を新しく書き込んだが、大阪に帰る彼を付けるなり待ち伏せするなりしていたのだから夕方弓矢で射られた鞍馬山とは正反対の場所だったのは当然であるし、犯行場所にこれといって関連性はなさそうだった。


「あ、和葉ちゃんだ」


携帯を見たさんがそう零す。メールか何かだろう。そういえば彼女、今朝からどこに出かけているのだろうか。


「ほら、服部くんと病院にいると思ってるよ和葉ちゃん」
「ああ…」
「戻る気…ないよね。じゃあわたし、和葉ちゃん迎えに行くね」
「頼んでええんか?」
「むしろ和葉ちゃんお借りします。また京都案内頼んでみる!」
「おー、そーかそーか」


そう言ってショルダーバッグを肩に掛けながら立ち上がる。「さん、」昨夜の彼女の台詞を思い出し、咄嗟に呼び止めた。僕がとやかく言えることではないのはわかっている。けれどあなたは、本当はここにいたいんじゃ、「わたしもうちょっと推理力鍛えてから出直してくるよ」しかし、遣る瀬無さそうに笑う彼女に、それ以上は何も言えなかった。


「それじゃ!応援してますので!」


ビシッと敬礼をしてみせ、寺務所を出て行く彼女を見送る。遠ざかる足音におもむろに息をつく。「まあ姉ちゃんもこんなとこおるより遊んどった方が有意義やろ」「…そうですよね」昨日も聞いた彼の意見に同意する。あの言葉を聞いて心に余裕ができたせいで、少し調子に乗っていた。あまり自意識が過ぎると彼女にも呆れられてしまう。事件に集中して散々ないがしろにしていたくせに引き止めるなんて図々しいだろう。さんには、京都を満喫してもらうことを一番に考えるべきだ。
頭を切り替えよう。机に広げた絵を一瞥し、服部くんを見遣る。


「服部くん、昨日の夜考えていたことがあるんです」
「なんや?」
「五件の事件で義経記が持ち去られていた理由です」


当初は源氏蛍のメンバーであることを隠すためと考えていた。しかし最初に殺されたその五人は警察にも顔が割れていたし、実際名前入りの義経記がなくともすぐに源氏蛍と特定されていた。だが今回の伊勢三郎の件では反対に、顔が割れていないにも関わらず家にあった義経記は手付かずだった。ということは、犯人が義経記を持ち去るのは本の記名を隠すためではない。他に何か理由があるはずだ。


「そして君の話では、」
「…あの絵か!原本持ってたんは桜さんだけやないっちゅーわけやな」
「ああ。僕の考えでは、源氏蛍のメンバー全員があの絵を所持していて、犯人はそれを回収していた。義経記ごと持ち去ったのは記名を隠すためと思わせるカモフラージュかと」


そしてこのことから、メンバー全員が仏像の在り処を探していたと推測でき、同時に犯人はメンバーのそれを阻止しようとしていたことになる。犯人は桜氏が絵を財布に入れていることを知っていた。その上で昨夜、納戸へ呼び出し殺害。原本を奪った。


「昨日の時点ではこのくらいのことしか考えられなかったんですが、今日わかったことをプラスすると…」
「犯人はあの人でまず間違いない。ほんで目暮警部の読み通りやったら、義経か弁慶はこの事件とは別んとこでもう死んどる」
「犯人はその残りのメンバー。自分以外を殺し、仏像を売った金を一人占めしようとしている、と考えられる」


それが一番しっくりくるだろう。仲間が次々と殺されていく中、桜氏が平気で絵を持ち歩き、犯人かもわからない人物の呼び出しに応じるとは考えづらい。仲間だとしたらあらかじめ時間を決め地下の納戸に呼び出すことも容易だろう。


「…ちょお待ち、ちゅーことは山能寺に絵届けたんは桜さんと犯人の二人ってことになんで?」
「! そうか、あの二人は手を組んでいたんだ!」
「そういや桜さんは盗品の売却ルート握ってるかもしれへんかったな。せやから自分は絶対に殺されんてタカをくくってたんや」


しかし、手を組み他のメンバーを殺害するにしても、とにかく仏像が見つからないと話にならない。そのために開帳が迫る山能寺に絵を届け、捜査に踏み切らせようとしたのだろう。警察沙汰にしたくないという住職の考えは剣道仲間である二人もよくわかっていただろうが、開帳が迫る中でもまだ探偵など警察以外への依頼を渋るとは思わなかったのだろう。
ピースははまってきている。仏像がなぜ消えたのか、その隠し場所のヒントをメンバー全員が共有していた理由も推測できる範囲だ。あとは犯人はどうやって桜氏殺害の凶器を処分したのか。仏像の在り処も犯人より先に突き止めなければいけない。それに、なぜ犯人が服部くんを襲ったのかもまだわかっていなかった。
服部くんの件については他のメンバーと同様、やはり絵の回収を目的としているとも考えられる。しかし山能寺に届けてまで探しているのに、探偵である彼から奪うのはナンセンスだ。殺すのは彼が答えに辿り着いてからでも遅くない。他に、もっと早急に彼の命を狙わなくてはならない理由があったのか?


「あ?電話…?はいもしもし?」
『平ちゃん何してんねん?!勝手に病院抜け出したらアカンやろ!』


…大滝警部か。彼の携帯の電話口から警部の声がここまで聞こえてくる。二人のやりとりを小耳に挟みながら、僕は仏像の写真に目を落とした。


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