「夕べはお茶屋から真っ直ぐここに帰って寝たわ。ただ、私は独身やし、母親とは部屋が離れとるから、そのあともずっと家におったかどうかは証明でけへんな」


能役者の水尾さんがそう答え、続いて西条さん、竜円さんと昨夜のことを話していく。簡潔に話し終えたそれらの内容をまとめると、三人とも服部くんが襲われた夜中のアリバイはないらしかった。しかしそれをどう判断していいのかわからず、わたしは隣に正座している白馬くんの横顔を覗く。素人なので彼らの話す内容に不自然なところは見つけられなかったのだ。嘘をついてるようにも見えないし、本当にこの中に殺人事件の犯人がいるのだろうか。…そう思うとこの場も少し怖いな。
そもそもなぜ水尾さん宅に来たのに竜円さんや古書店店主の西条さんもいるのかというと、なんと四人(あとで千賀鈴さんも来るらしい)は桜さん殺害の犯人について話そうということで集まっていたのだそうだ。そこで丁度いいと、白馬くんと服部くんは昨日のことを話し三人にアリバイを尋ねたのだった。わたしや服部くんは水尾さんと西条さんとはほとんど初対面なので一通り挨拶をしてからのそれだったので、ようやく今まで話に上がっていた人たちの顔と名前を一致させることができた。
「もう一つ、みなさん、剣と弓やらはりますか?」服部くんが重ねて質問すると、向かいに座っていた西条さんが最初に答えた。


「剣と弓ですか?いや…剣はまだしもなあ…」
「西条さん、剣道やってらっしゃるんですか?」
「いや、僕だけやのうて、」
「西条さんたちは檀家なだけでなく、私や住職を含めて剣道仲間なんです」


竜円さんの言葉に探偵二人がへえと零す。源氏蛍の犯人は剣と弓の達人。ネットで調べたそれを頭の中で反芻し、ごくりを唾を飲む。「私は、弓は紅葉狩りの舞台では梓弓を持つけどなあ」「私も弓のゲン鳴らして悪霊払いの真似事はしたことありますけど…」水尾さんと竜円さんが各々そう述べる。詳しくはわからないが、積極的に習っているというわけではなさそうだ。そのレベルで夜の視界が悪い時間帯に、バイクに乗りながら前を走るバイクのサイドミラーを射ることができるのだろうか。とにかく、西条さんはやってなさそうだし、水尾さんと竜円さんが怪しい、のかな?あ、でも水尾さんが桜さんを殺害するには千賀鈴さんが共犯になるって服部くん言ってたし…そもそも殺人事件の犯人と服部くんを襲った犯人が同一人物かどうかも定かじゃないんだよね、なんか頭こんがらがってきた。


「では、あのときお茶屋にいた方の中には弓をやる人はいないんでしょうか?」
「…そういえば、やまくら…」
「え?宮川町の山倉はん、弓やってたんか?でもあんときはおらへんかったやろ?」
「ああ、いや…」


ふと何か思い出したように呟いた西条さんに服部くんが反応する。山倉さん?ここに来てまた新しい容疑者だろうか。厄介極めるなあ、と人知れず思いながら、同じことを疑問に思ったらしい白馬くんと服部くんの問答を聞いていた。


「山倉さんとは?」
「昨日たまたま会うたお茶屋の女将や。そこで千賀鈴さんとも会うててな」
「へえ…ああ、昨日彼女の名刺を持っていたのはそれですか」
「ああ」

「ごめんやす」


ガラガラと戸を引く音が聞こえたと思ったら、女の人の綺麗な声が耳に届く。目を向けると、山吹色の着物を着た女の人が家の門に立っていた。竜円さんと西条さんが立ち上がり彼女を迎え入れる。「噂をすれば何とやらやな」水尾さんがそう言ったところから、どうやら彼女が舞妓さんの千賀鈴さんのようだ。綺麗な人だ。舞妓さんらしい白粉を塗っているイメージはあんまりつかないけれど。ねえ白馬くん、と聞こうとしたら、彼も目を丸くしているようだった。隣の服部くんなんて身を乗り出して彼女を見ている。


「…千賀鈴さんですか?」
「へえ、そうどす」
「舞妓姿とは別人だから驚いたやろ。さ、上がって」


「へえ、おおきに」そう言って正座し、竜円さんと西条さんも同時に座り直す。大人っぽいなあ、いくつなんだろう。二十歳くらいかな。舞妓さん姿わたしも見たかったなあ。


「やせんばおおきに。また、お頼もうします」
「いや、こちらこそ」


お辞儀する千賀鈴さんに見とれていたら、水尾さんたち三人がそれを受けて同じようにしたのに気付くのが遅れてしまった。慌てて両手をついて頭を下げる。





西条さんと竜円さんと別れ、千賀鈴さんと四人で帰路に着く。各々の容疑者の自宅を回るつもりだったわたしたちは知りたかったことが一度にわかってしまったので、一旦ホテルに戻り話し合うことにしたのだ。先ほどの七人での話し合いでは主に桜さんに恨みのある人がいるかどうかの話で、特にこれといった有力な情報は得られなかった、と思う。わたし的に。自信はない。


「ホテルは六角通でしたな。ここは夷川通どすさかい、丸・竹・夷・二・押・御池、姉・三・六角…やから、六つ目の筋どすなあ」


あれ、今の唄……。顔を上げ、指折り微笑む彼女を見る。結構みんな知ってる唄なのだろうか?


「今の何て唄なん?」
「さあ…うちらは手まり唄言うてますけど…。京都の東西の通りの名を北から南へ歌ってんのどす」


そう言って、また初めから手まり唄を歌ってくれる千賀鈴さん。「京都の子はみんな、この唄で通りの名を覚えてるんどす」へえ、そうなんだあ。わたしも覚えるの結構苦労したけど、確かに便利な唄だもんなあ。ようやく自分にも馴染みのある話題になり幾分かほっとした。さっきまでの難しい話で緊張していた脳がやわらぐようだった。


「ふうん。ちゅーことは、自分も京都出身なん?」
「へえ、そうどす」
「歳は?」
「十九どす」
「十九…!」


なぜかそれに驚いた服部くんと白馬くんがさりげなく互いに目を合わせたのに気付いた。…なんだろう?


「ここが御池通どす。ほな、うちはここで」
「すみません、最後に一ついいですか?」


大きな通りに出、千賀鈴さんがわたしたちに向き直ってお辞儀をする。そんな彼女に質問を投げかけたのは白馬くんだ。


「あなたのその親指の怪我、どうされたのでしょうか?」


白馬くんが気になったのは千賀鈴さんの親指の甲にある絆創膏だった。さっき通りの数を数えているときに気付いたのだろう。わたしは言われて初めて気が付いた。さすが探偵、目敏いなあ。千賀鈴さんは「ああ、」と合点がいくと、恥ずかしそうに左手のそれを隠し、眉をハの字にしてみせた。


「弓で少し。始めたばかりなんで矢枕が矢じりで擦れてしまうんどす」
「……。そうですか…ありがとうございます。引き止めてすみませんでした」
「ほな、さいなら」


ポカンと口を開けたまま、彼女を見送る。…まさか千賀鈴さんが弓道をやっていたなんて。そういえば彼女、さっき聞いたとき昨夜のアリバイはないと言っていた。まさか彼女が連続殺人の犯人なんじゃ…それで剣道をやってる水尾さんが共犯で、二人が桜さんを…あれ、でもそうすると服部くんを二人がかりで襲ったことになる?サイドミラーを射た千賀鈴さんと、沿線の森林で服部くんと対峙した水尾さん。でも服部くんそんなこと言ってなかったしなあ……気付かれないように入れ替わったのかな。それとも服部くんの件と源氏蛍の件は別の犯人?にしては犯人像がピタリと一致しているし……。
と、わたしがぐるんぐるんとつたない推理している間白馬くんたちもそれを進めていたらしい。おもむろに彼が呟く。「…一気に怪しくなりましたね…」やっぱり千賀鈴さんのことだろうか。


「ああ。弓やるモンとちゃうかったら、あんなこと言わへんからなあ」
「でもそうすると、あの人はどうやって凶器を処分したんだろうか」
「それがわからんと、俺を襲ったんと桜さん殺害が同一犯っちゅーことも断定できひんな」
「…もしかして、やっぱり千賀鈴さんが…?」


「は?」素っ頓狂な服部くんの声があがる。あれ。何か間違えた?考えてたことが違うのだろうか。苦笑した白馬くんがそれを正そうと口を開く。


「違いますよ。彼女はおそらく犯人ではありません」
「せや。むしろあの人は…」


と、彼の台詞を遮るように携帯の着信音が鳴り出す。聞き慣れたそれはわたしのではない。白馬くんのだ。ジャケットの内ポケットから取り出し、誰かと通話する。何度かの応酬ののち、携帯を耳から離した。


「白鳥警部が向こうの調べでわかったことを話してくださるそうです。今山能寺にいるようですよ」
「そら丁度ええな。行こか」


どうやら通話の相手は白鳥警部だったらしい。二人が烏丸通を進行方向に歩き始めたのについていく。えっとここは御池通だから、…押・御池、嫁・三・六角……三つ目だ。心の中で得意げに歌って、数えた指をぎゅっと握った。


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