ぼんやりと目覚め、着替えている間も心ここに在らずという感じだった。ブラウスのボタンを留めていたはずが昨日の夜のことを思い出して手が止まる。それを何度も繰り返し、ようやく身支度が整ったところで携帯が鳴った。アラームはちゃんと消したはずだし、何よりその音とは違う。一秒だけ流れたそれはメールのものだ。待ち受けに和葉ちゃんの名前が写し出されすぐに、今日のことについてだろうと思った。わたしたちはホテルの二階に朝ごはんを食べに行ってから会う予定だったけど、なんだろう、集合時間の変更とかかな。それはそれで構わないよと思いながらメールを開く。
本文を読み進めていくうちに、血の気が引いていくのがわかる。全部読み終わったあと、わたしはすぐさま部屋を飛び出していた。



「白馬くん!」


どんどんとドアを叩く。それはすぐに開かれ、白馬くんが姿を見せた。彼ももう支度は整っているようだ。わたしの剣幕に驚く様子の白馬くんに、構わず携帯の画面を突き出しまくし立てた。


「服部くんが襲われて怪我したって…!」





梅小路病院の病室に辿り着きドアを開けると、和葉ちゃんやベッドに眠る服部くんの他に、大柄の男の人と見覚えのある長身の男の人がいた。どちらもスーツを着ているところから、ただの見舞客というわけでもなさそうだ。「白鳥警部、大滝警部」白馬くんの声に各々こちらに視線を寄越したので得心する。刑事さんたちだ。振り向いた順から、多分背の高い人が白鳥警部で、坊主頭の人が大滝警部だろう。そういえば白馬くんに、そんな名前の刑事さんたちが源氏蛍の合同捜査をしてるって聞いた気がする。
服部くんをそばで見舞っていた和葉ちゃんが振り返り、「いきなりごめんな」と謝った。その表情は見るからに不安げだ。そりゃそうだ、服部くんが怪我してしまったのだ。彼は病院服を着込んで眠っているし、見える傷はないけれど襟からは白い包帯が見えていた。


「白鳥警部はいつこちらに?」
「今朝だよ。殺害された桜正造氏が源氏蛍のメンバーだったと聞いて急遽ね」
「へえ、桜氏が…!それは驚きです」


白馬くんの白々しい応答に首を傾げたけれど、そういえば昨日の服部くんによる家宅捜索は内密に行われたものだったと思い出す。だから被害者である桜さんの家でわかったことは知らないふりをしているのだろう。わたしも変なこと口走らないように気を付けなくては。ぎゅっと口を噤む。ええと、桜さんの家でわかったことは他に何だったっけ……。「平次、気ィついた?」視界の隅で身を乗り出した彼女の声にパッと振り向く。服部くんが目を覚ましたのだ!


「服部くん…!よかったー」
「心配したで平ちゃん」


ほっと胸をなで下ろす、と、大滝警部も労わるように声をかけた。ん?平ちゃん?随分親しげだなと口には出さずに刑事さんを見る。それから服部くんのお父さんのことを思い出して、その繋がりかなと当たりをつけた。上体を起こした彼は大滝警部と白鳥警部に順々に視線を合わせた。


「大滝はん…それに誰やったっけ?」
「…。警視庁の白鳥です」
「桜氏は源氏蛍のメンバーだったそうですよ。それで警視庁から」
「ほお…」


自分の左肩を触りながら相槌を打つ服部くんに、和葉ちゃんは心配そうに覗き込む。「痛むん?」「や、大したことないで」勝手な印象だけれど、服部くんに病院服は似合わないなあと思うので、彼の言葉が本当だったらそれに越したことはない。手持ち無沙汰の両手を下で組んでぎゅうと握る。「気ィつかはりましたか」すると病室のドアが開き、そこから看護婦さんと、また別の刑事さんが現れた。昨日白馬くんに呼ばれて行ったお茶屋にいた刑事さんだ。名前は何だったか、なんかお上品な名前だった気がするけれど忘れてしまった。


「警部さん、あの短刀は?」
「鑑定に回さしてもらいます」
「結果が出たらすぐ教えてや。証拠が足りひんかったら、この肩の傷も提供すんで」
「え?証拠って?」
「あの短刀が桜さん殺害した凶器やっちゅう証拠や。ほんまは犯人の肌に触れてたもんがあったらええんやけど…あ、バイクは?バイクがあったやろ!」


そう言った彼の口に看護婦さんが容赦なく体温計を突っ込んだ。ぎょっとしたのはわたしだけらしく、刑事さんに至っては「あれは盗難車です」と淡々と返すばかりであった。なんというか、肝が据わってるなあ…。
「ところで。この絵、何なんかわからはりますか?桜氏の自宅の義経記に挟んであったんやけど」…あっ!スーツの内ポケットから取り出したのは例の謎の絵だった。思いっきり顔に出してしまったけれどどうやら刑事さんはわたしのことは視界にすら入れてなかったようで目をつけられることはなかった。そしてさすがは探偵というべきか、服部くんは見事なポーカーフェイスで体温計を加えたまま無言で首を振り、刑事さんからの追及を難なく逃れたようだった。


「…まあよろしゅうわ。これに懲りておとなしゅうしてることですな」


絵を懐にしまった刑事さんはそう言い、病室をあとにした。それに続き他の刑事さんたちと看護婦さんも退室し、部屋にはわたしたちだけが残った。…とりあえず。服部くんがこんなことになっては悠長に遊んでなんていられない。和葉ちゃんもずっとここにいるだろうし、必要なら何か買い出しに行こう。そう思い声を掛けようとしたら、なんと和葉ちゃんが先に立ち上がったではないか。


ちゃん、白馬くん、ちょっと出かけてくるから、平次頼むね!」
「え?」


そう言うや否や、彼女は返事も待たず病室を飛び出して行ってしまった。予想外の行動に目をぱちくりさせる。あ、あれ、なんか、のっぴきならない用事でもあったのかな…?彼女の出て行った入り口を眺めていたのはわたしだけじゃなかったらしく、同じく目で追っていた白馬くんもちょっと呆気にとられたように零した。「彼女、何かあったんですか?」「さあ…」どうやら服部くんも知らないらしい。疑問は残るが、何はともあれ、「まあおかげで動きやすいっちゃー動きやすいけどな」……ん?


「え?!服部くん?!」


思わず大きな声でリアクションしてしまう。服部くんがいきなり病院服を脱ぎ始めたのだ。突然なにごと?!咄嗟に目を逸らすが展開が飲み込めない。白馬くんの侮蔑を含んだ声が聞こえる。


「君、女性の目の前でそういう真似はよしたまえ」
「おーちょっと向こう見とけ。すぐ終わるさかい」
「うん、…え?!なにごと?!」


がさごそと布が擦れる音が聞こえる。この音はもしかして、「ええで」その声に振り向く、と。…予想的中!


「なんで服着替えたの!」
「そらー出かけるからな」
「へ?」
「はあ…君の行動もそろそろ予測がつくようになってきたよ」


待って待って、なんで服部くんそんな当然のように言ってるの?!白馬くんも溜め息ついてるけど止める気ないよね?!あれ、服部くんもう出歩いていいの?駄目だよね、絶対外出許可出てないよね、あれ、なんでわたし少数派なんだ?


「勝手に抜け出されるよりは監視できた方が都合がいいでしょう。…それに、彼の向かう先は僕と同じだと思いますしね」


白馬くんの言い分は確かにこの状況を見ればもっともだ。きっと服部くんはおとなしく寝ているタイプの人種じゃない。でも、怪我の具合はわからないけれど、さっき左肩を見せたときは包帯がぐるぐる巻きだった。勝手に動き歩いていいはずがない。


「だ、駄目だよー…安静にしてなきゃ…」
「大したことない言うたやろ」
「大丈夫、野蛮な西の代表くんは僕が責任持って面倒見ますから」
「ハハ…そらおおきに」


やっぱり白馬くんも服部くんの病院脱走を止めるつもりはない。これは二対一で分が悪い。せめて和葉ちゃんがいれば……あ、そういう意味で「動きやすい」ってことか!くそー卑怯だ、でもわたしはまだ納得してないぞ。断固阻止と顔に書いて服部くんを見据えるも、彼は痛くもかゆくもないといったように近くにあった帽子を取ってベッドから降りた。その服部くんから視線を外し、白馬くんがわたしに向いたのがわかった。つられるように目を合わせる。


さんも、捜査にお付き合いいただけますか?」
「え、うん、……」


白馬くんの甘美なお誘いにほとんど何も考えず頷く。今回京都に来た本来の目的のようなものだ、断るわけがない。
しかし「ほな行くか」と先頭切って病室を出て行こうとする服部くんはいただけない。待たんかい!と引き止めようとするもそれを実行する前に白馬くんも出口に続くので強く言うことは叶わなかった。……ま、負けた…。がっくり肩を落とす。わたしの敗北が決定した瞬間であった。





地下鉄に乗り込み、座席の端からわたし、白馬くん、服部くんの順で座る。病院を抜け出した服部くんの幇助という罪悪感にしばらく苛まれていたわたしだったけれど(和葉ちゃんへの連絡も止められた)、服部くんがてきぱきと昨夜の件について話していくうちにそれは薄れていき、いつの間にか彼の話に聞き入っていた。
昨夜彼が和葉ちゃんを後ろに乗せたバイクを走らせている最中、後ろから弓矢でサイドミラーを射られたのだそうだ。その人物を追い緑地公園に入り、一対一で木刀を使い戦った。初めて見る剣法だったらしく動きが読めず、そのせいで追い込まれやられそうになったところで、機転を利かせた和葉ちゃんのおかげで難を逃れたのだという。その人物の特徴を白馬くんが問うと、翁の面を付けた長身で、性別は不明だと答えた。


「なるほど、それでまず水尾氏のところに行くと言ったんですね。確かに彼は能役者だし、翁の面も身近にあるでしょう」


納得したように言う白馬くんに服部くんが肯定する。だんだん人の名前と職業がはっきりしてきた。容疑者は今のところ能役者の水尾さん、山能寺の竜円さん、結局舞妓さんもそうなんだっけ?それであと……誰だっけ。


「大滝警部の話によると、家宅捜索で桜氏の店から盗まれた美術品が見つかったそうです」
「なるほどな。古美術商やっとる桜さんが、源氏蛍が盗んだモン流してたっちゅーことか」


「せや、桜さんといえば、俺襲ってきた奴について疑問があんねん」変なこと?白馬くんが聞き返す。服部くん曰く、傷跡から凶器を照合させようと思って短刀を出させて肩口をわざと切らせたのに、その短刀を置いて行ってしまったことが不思議なんだとか。今初めて彼の負傷は故意だったと知ることができたのだが、それで気を失ってしまっては元も子もないだろう。危なすぎる。和葉ちゃんがいなかったら君、今頃どうなっていたか。隣の白馬くんも若干引いてるよ。
「まだあんで。あいつ、闘うてる最中に、俺の落とした巾着、拾おうとしよった。ほんまわからんことばっかりや」ポケットから出した水晶玉を、見せてと受け取る。本当に雑誌で見たのと同じパチンコ玉くらいの大きさだ。とかいって、よく考えたらわたしパチンコ玉の正確な大きさを知らないのだけど。それにしても、これが例の初恋の人との思い出の品かあ……で、襲ってきた人が、これを……、!ピンと思いつき服部くんを覗く。


「まさかそのお面の人、服部くんの初恋の人なんじゃ…!」
「ハハハ!大当たりやな……って、そんなわけないやろ!自分ら昨日からなんやねん」


自分ら?首を傾げるわたしの隣で、白馬くんは楽しそうにクスクスと笑っていた。水晶玉を返すと、まったくと息をつきながら受け取る服部くん。切られた方と逆のポケットにそれをしまった。


「ちゅーかなんで姉ちゃんまで知ってんねや…あ、和葉か!和葉が言うたんやな?!」
「服部くん、駅着きましたよ」
「おお、…て、まだやないか!雑な遮り方すんなや!」


思わず吹き出しそうになるのを手で隠す。この二人、タイプは正反対かと思ったが、相性は案外悪くないのかもしれない。密かに思った。


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