「魔法の玉よ、答えなさい」


 パーティの当日、怪盗キッドの犯行が成功するかを魔法の玉で占った。懸念はもっぱら白馬探だ。彼は怪盗キッドの正体が黒羽快斗であることを知っている。とすると今回のような、黒羽快斗として会場に乗り込む案件はキッドにとって非常に危険になる。パーティの出席者に警察関係者が多かろうが少なかろうがどうでもいいけれど、白馬探がいることで黒羽くんが怪盗キッドに変装できない事態になるかもしれないのだ。
 そんなことは許さない。怪盗キッドが私の虜になるまでは、何としてでも捕まってもらうわけにはいかない。

 そう思いながら白馬くんの同席する犯行予告の際にはこうして魔法の玉で未来を見るようにしているのだけれど、「……は?」球体のそこに映るのはただのバツ印だった。


「ちょっと、何なのよこれ!」
『アタタタタ揺らさんでくださいな紅子はん〜!キッドは今回来ォへんってことですがな〜!』
「何言ってるの!あの予告は本物よ?!キッドがすっぽかすとでも言いたいの?!」
『ちゃうちゃう!キッドどころやなくなるんですわ!』


「…どういうこと?」魔法の玉から手を離すと映像がゆらゆらと移り変わる。そこは次第に真っ暗になり、何も見えない。ちょっと、とまた文句を言おうとした瞬間、一瞬だけ光った。それからは再び暗闇が映るだけだ。


「…何なの?」
『大変やわ紅子はん、はんが危ない』
「なっ…?!がどうなるの?!」
『アタタタタせやから揺らさんでェな〜!』


 聞いても答えられない範疇ってわけ。…何が起こるのかわからないけれど、とにかくを一人にしないようにしないと。


『あ、紅子はんは行かん方がええ!家でじっとしときや!』
「もういいわ。お黙り」


 部屋を出、すぐにと連絡を取る。早めに会って二人で時間を潰そうと持ちかけると快諾してくれ、どうせならと中森さんも誘って先に三人で集まることになった。ひとまずと合流することはできた。なるべく一人にしないように。必要ならば魔法を使ってでも守る。首飾りがかけられているのを触って確認し、家を出た。

 会場についてからは白馬くんがそばについていてくれたので遠目で気にかける程度にしていた。何かが起こる気配はない。黒羽くんも辺りをうかがってはいる。でも残念ね、今日はあなたの見せ場はないみたいなの。


 キッドの犯行予告二十分前になるとがお腹を押さえて席を立った。緊張に弱いタイプだとは知っていたけれど、自分とは関係ないことでも発揮するのね。なるべく怪しまれないように同行を申し出てと会場を出た。

 暗闇と一瞬の光の意味をずっと考えていた私は、停電が起きたとき瞬時に察した。から離れないようにと振り返る。気配がない。


?」
「紅子ちゃん、ここ、」


 途端に姿を捉えられるようになる。下の方で溢れ出した光のそばでしゃがんでいるに身の毛がよだった。――これだ。


「だめさん!!」


 すぐさま刑事さんの呻き声が聞こえる。彼女に振り返る間も無くを庇うように抱き締めると「あっ!」肩に激痛が走った。焼ける感覚、味わったことのない痛みだ。身体に力が入らずに全体重をかけ、彼女もろとも倒れ込んだ。意識はそこで途切れた。





「……、」


 目が覚めると白い天井が視界いっぱいに映る。ぼんやりした頭のまま横に顔を向けると外は明るく、窓から日差しが届いていた。感覚で朝だとわかり、それからゆっくりと身体を起こす。肩口の違和感に目を落とすと病院服の下で包帯がきつく巻かれているのに気が付いた。
 ……暗かったし、よく覚えていないけれど、もしかして撃たれた、の?自覚して身震いする。さすがに拳銃を向けられたのは初めてだった。

 俯いていると病室のドアが叩かれ、看護師が入ってくる。私が起きていることに一瞬驚き、それから柔らかく笑う。


「よかった。具合はどうですか?」
「ええ、大丈夫です」
「自宅に電話したんだけど、ご両親とは連絡がつかなくて」
「父母は今海外に赴任中なので」
「そうなんですか、それは心細いですね…。じゃあ、警察の方が話を聞きたいって言っていたので呼んできますね」


 手際よく点滴の液体を変える彼女になるべく笑顔で答え、病室を出ていったのを確認して深く溜め息をつく。身体が強張る。やっぱり少し気持ち悪いかもしれない。


…」


 は無事なのか。それが気がかりで仕方なかった。同じように撃たれてたとしたら。当たりどころ次第では、最悪の事態になっている。今の看護師は知っていたのかしら。聞いてみたらよかった。警察を呼びに行ったということは少なくとも私が何か事件に巻き込まれたことを知っているんでしょう。私だけじゃなくて、という少女も巻き込まれたことを、知ってるんじゃ。

 でももし死んでしまってたら私どうすればいいの。


 十数分後再びノックされた入り口からやってきたのは、昨日のパーティ会場でも見かけた三人の刑事と白馬くんだった。


「紅子さん、ご無事で何よりです」


 ほっとしたように笑う彼に軽く会釈をする。彼の表情から私は一つ確信する。は無事だということを。少なくとも命を落としてはいないということは言い切れる。彼の笑顔にわたしも安堵する。しかし、それにしては浮かない顔をしているのが気にかかった。言及する前に恰幅のいい警部は目暮と名乗り、続いて高木、千葉と警察手帳を見せすぐに事件の概要を話し始めた。
 狙われたのは佐藤刑事だった。巻き込んでしまって申し訳ないと謝罪を受けたがそんなことはどうでもいい。


「白馬くん、は?」


 依然曇ったままの白馬くんの表情が気になる。もしかしたら私と同じように流れ弾が当たって重傷なのかもしれない。彼を見上げると一瞬目を見開き、それから気まずそうに逸らした。周りの刑事たちも沈黙を貫いている。そんな彼らを一人一人疑念の眼差しで見遣ると、ようやく白馬くんが口を開いた。


さんは、外傷はありません」
「…! よかった、」
「ですが、この事件がショックで、記憶の一部を失っている状態です」


 ……え?
 ぽっかりと穴が開く感覚。それから気味の悪い動悸がする。記憶を失っている、って、それ、記憶喪失ってこと?


「…待って、一部って?」
「今のところは、高校の記憶がまるまるないです」
「高校…?じゃあまさか、」

「ええ。僕や黒羽くん……紅子さん、あなたのことも覚えていません」


 やっぱり具合が悪いのかもしれない。呼吸をまともにできている気がしない。白馬くんの苦悶の表情の意味がわかった。私がを守れなかったこともわかった。……知っていたのに防げなかった。
 今はなるべく傷をえぐらないよう私の怪我のことは隠してる。だから面会させられない。風戸というの担当医師との相談の結果決めたのだそうだ。目暮と名乗る警部はそう伝えたあと、事件解決を急ぐから何か情報はないかと問うた。半ば放心状態だった私に白馬くんが一歩近寄り、肩を揺する。「紅子さん、お願いします」その声で我に返った。…そうよ、呆けてる場合じゃないんだわ。私にはできることがある。そばのテーブルに置かれた首飾りを一瞥する。ここじゃ無理だわ、家に帰らないと。白馬くん、警部たちに目を向ける。


「犯人の顔は見てません。暗かったので…それに私はの、……」
「…紅子さん?」


 事件当時のことを思い起こすとあることに気付く。途端に背筋が凍る。……あの状況なら、もしかして。


なら、犯人の顔を見たかもしれないわ」


「なんだって?!」声をあげる目暮警部に向き直り、当時の私たちの立ち位置の説明をした。入り口に背を向けてと向き合っていた私は当然犯人の顔は見れない。でも入り口へ懐中電灯を向けていたなら。外に出ようとしていた佐藤刑事も同じく。この二人は犯人の顔が見られる方向を向いていた。


「だとしたら、犯人はさんの命を狙うかもしれません!」
「ああ。よし、二人には警護をつけよう」
「え?」


 目暮警部が高木刑事たちに指示を出す。二人はの警備を交代でするらしかった。それは大いに助かる。懐中電灯を持っていた彼女はほぼ確実に犯人の顔を見ていたと思える。でも、私は違う。いくら思い出しても自分があのとき入り口の方を見た記憶がない。ずっとの気配を辿っていたのだ。だから命を狙われる筋合いはないし、警護もいらない。
 というのは建前で、警護をつけられるのは人目を避けたい私としては困るのだ。早く退院して魔法の玉に犯人の正体を聞きたい。あれも万能とはいえないから確実にとは言えないけれど、問えば手がかりは掴めるかもしれない。もっと言えば、他の魔具を使っての記憶を取り戻すことができるかもしれない。少なくともここじゃ何もできないから、退院前にここを抜け出す覚悟もしてたっていうのに。


「あの、私には必要ないんじゃないかしら…」
「そうとも言い切れん。犯人はあの場にいた君にも顔を見られたと思っているかもしれんからな」
「そ、そうですね…ホホ…」


 携帯で呼ばれたらしい刑事がすぐにやってきて、目暮警部の指示で病室外に待機する。彼が警護役なのだろう。内心頭を抱えたいのを堪え、この状況下でどのようにして自分の役目を果たすかを考える。手元にあるのは首飾りだけだ。これだけじゃ使える魔法もかなり限られる。人の心に働きかける類のものは使えない。


「それじゃあ、何か思い出したことがあったらすぐに教えてくれ」
「…はい」


 刑事三人が病室を出ていき、ぴしゃりとドアが閉まる。部屋は静寂に包まれる。そんな中、白馬くんだけがその場から動こうとしなかった。彼を見上げると自分の頭が冷静になっていくのがわかる。努めて澄まし顔で、彼を見遣る。


「白馬くん。あなた、そんな顔でに会わないでよ」


 の命が狙われるとわかってからかしら。彼の纏う空気がぴりぴりと緊張しているのが伝わってくる。伏せた目つきも普段の彼とは大違いだし、初めて会った人なら萎縮してしまうんじゃないかと思わせる。ハッとした彼は言われて気付いたのか、気抜けしたように軽く笑ってすみませんと謝った。


「…紅子さん、犯人は僕が必ず捕まえます」
「ええ、お願いね」


 自信に満ちたいつもの彼だ。あっさり返したのが意外だったのか、白馬くんはちょっと呆気にとられたあと、静かに微笑んだ。「こんなときに言うのも何ですが」


「僕は以前から、さんのことであなたに嫉妬していたんです。何をしても、さんにとって一番はあなたなんだと」


(じゃあ白馬くんは、誰に嫉妬するのかしら?)いつだったかふと湧いた疑問の答えは意外にも本人から聞けたらしい。少し言いづらそうに、けれどはにかんで言う彼はそんな自分を受け入れているようだった。そう、私、ね。気分は悪くないわ。


「あら、それで諦めるの?」
「いいえ、とんでもない」


 挑発的に問うと彼はにこりと笑う。「彼女のことは僕に任せてください」「……」わかってるわよ、今頼れるのは、悔しいけれどあなただけなの。


「あなたは治療に専念してください。さんにはあなたが必要だ」


 とっさに返せず、笑顔だけで頷く。意図は伝わったのか彼も満足げに笑って、病室を出て行ったのだった。

 足音も聞こえなくなり、いよいよ静寂は私だけのものになる。一人になると心の動揺はぶり返すらしかった。長く丁寧な溜め息をつくと、震えているのがわかった。
 のん気にここにいる場合じゃないのにどうしようもできないの。が大変な目に遭ってるのにわたしは……。


 ……こんなに泣きたいのは久しぶりだわ。


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