「全て話そう」


 静まり返った室内に目暮警部の声が響く。俯いた顔を上げると、彼はどこか覚悟を決めたような表情をしていた。


「しかし、目暮警部それは…!」
「高木くん、君は佐藤くんと小泉くんに。千葉くんはくんについてくれ。何かあったらすぐに報告するんだ」
「はい!」


 二人が退室し、目暮警部と白鳥警部が僕の向かい側のイスに腰を下ろす。僕は今さら自分が八つ当たりをしたことを恥じ、座り直して頭を落ち着かせた。事件の裏側を知れる。それによってさんと紅子さんを傷つけた犯人に辿り着ける。犯人の目的は何だ。なぜ佐藤刑事を狙った。僕は必ず、それらを突き止めなければいけない。


「昨年の夏、東都大学付属病院第一外科の医師、仁野保氏の遺体が、自宅マンションから発見された」


 警部から聞かされたのは一年前のとある事件だった。捜査を担当したのは目暮警部の先輩で警視庁捜査一課の友成警部。彼の下に、射殺された奈良沢刑事と芝刑事、そして佐藤刑事がいたという。
 仁野氏はかなりの酒を飲んだ上で、自分の手術用のメスで右の頚動脈を切っていた。死因は失血死。第一発見者は隣町に住んでいてルポライターをしている妹の仁野環さん。そう言って白鳥警部が内ポケットから写真を一枚取り出した。そこに写る女性を見てすぐさま思い出す。パーティ会場で小田切敏也さんに続くようにして去っていったあの人だ。


「この人、会場に来てましたよね」
「なに?!」
「敏也さんが出て行ったあとにすぐいなくなりましたけど」
「小田切敏也と繋がりがあるということか…?」
「それはわかりませんが…」


 しかし第一発見者とはいえわざわざこうして写真を提示するには他に理由があるのか。話の続きを促すと、仁野保氏は亡くなる何日か前に手術ミスを患者の家族に訴えられており、部屋のパソコンにも手術ミスを謝罪する遺書が残されていたため、友成警部は自殺の可能性が高いと断定したという。


「ところが、妹の環さんが自殺を否定したんだよ」
「妹さんが?」


 仁野環さんの主張では、兄の仁野保は患者のことなどまったく考えない最低の医者で、手術ミスを詫びて自殺することなどあり得ないとのことだった。さらに彼女の目撃情報によると、仁野氏が死亡した一週間ほど前に、ある倉庫の前で仁野氏が紫色の髪をした若い男と口論していたらしい。


「友成警部は念のため三人の刑事を連れて倉庫へ向かったが…」
「…? 何かあったんですか?」
「ああ……友成警部が張り込み中、心臓病の発作を起こしてな…」


 救急車を呼ぼうとした佐藤刑事は友成警部に止められ、彼は一人でタクシーを拾いにその場を去ったのだという。しかしそのあと佐藤刑事が様子を見に行くと、道路に倒れている友成警部の姿があった。急いで東都大学付属病院に運んだが、友成警部は手術中に息を引き取った。
 予想通り、紫色の髪の男というのは小田切敏也さんのことだった。しかし奈良沢刑事と芝刑事は警視長の息子であるという理由だけで聞き込みを躊躇った。結局、友成警部の急死もあり仁野保氏の死は自殺と断定され、捜査は打ち切りとなったそうだ。妹の環さんには、男のことは調べたが無関係だったと芝刑事が伝えたという。


「ところで、友成警部には真という一人息子がいるんだが…」


 そう言ってもう一枚の写真がテーブルに置かれる。黒髪をオールバックにした、しかしおとなしそうな印象のある若い男性の写真だった。どこかで見覚えのある顔に思考を巡らせ、すぐに思い出す。


「この人も会場に来ていましたよね」
「友成真もか?!」
「最初のスピーチのときに出て行ってましたけど…参加者らしかぬ出立ちだったので覚えています。慌てているようでした」
「そうか……実は彼は今行方が掴めていないんだ」
「更に、奈良沢刑事と芝刑事が射殺された日に近くで目撃されています」
「彼を容疑者と見ているんですか?」
「ああ…」


 頷いた目暮警部の話では、友成真は通夜の席で、救急車をすぐに呼ばなかった警察に憤りをぶつけていたらしい。「呼ばなかったのは友成警部の指示だったということも聞き入れる様子はなかったようだよ。奈良沢刑事たちを指差し、「父を殺したのはあなたたちだ。僕はあなたたちを絶対に許さない」と宣言したくらいには彼らを恨んでいた」……なるほど、その恨みから部下の三人の刑事を殺害しようとした。動機としては十分考えられる。

 話を続けようとしたところでドアをノックされ、そこから覗いた看護師に会議室を開けるよう申し出を受けた。そのため僕らは場所を変えることにし、気分転換にということで病院の最上階のテラスに向かうことにした。


「…?」


 席を立った瞬間、床に落ちている黒い直方体の物体が目に入った。丁度僕の足元に落ちてあり、片手で容易につまめるほどの大きさだった。手に取り、よく見てみる。……盗聴器だ。


「白馬くん?どうしたのかね」
「いえ、何でもありません」


 仕掛けた人物にすぐ思い当たりごまかした。これを部屋に滑り入れたタイミングはおそらくさんの両親と風戸先生が出て行き高木刑事たちが入ってきたとき。この部屋はすぐ左が曲がり角になっているため姿を隠すのに持ってこいだ。…君が狙われている件とは関係ないって言ったのに、なんだかんだ友人は放っておけない質なんだろう。ふっと笑い、そのまま手に忍ばせたまま会議室を出た。

 夜のため明かりは最小限ではあるが外の眺めは良好だ。無人のテラスに出、ガラス越しに米花町の町並みを見下ろす。


「それで、続きは」
「ああ、友成警部の死後まもなく、奈良沢、芝両刑事は所轄署に異動となった。ところが最近になって、佐藤くんが勤務時間外に何かを捜査しているのを白鳥くんが気付いた」


「彼女は奈良沢刑事に頼まれて、芝刑事と三人で一年前の事件を調べ直していたんだ」白鳥警部は更に、しかし佐藤刑事は敏也さんと仁野氏の関係は知らされてなかったようだと続けた。


「奈良沢刑事が射殺されたのは、それからまもなくだった。続けて芝刑事も射殺され、我々は一年前の事件に関係して狙われたと確信した。犯人が警察関係者だと推理し、」
「え?ちょっと待ってください。どうして警察関係者という話になるんですか?」
「ああ、マスコミには伏せているんだけど、芝刑事も警察手帳を持って亡くなっていたんだよ」
「!」


 新事実に目を見開く。二人の刑事が死の間際警察手帳を示していた。なるほど、それなら警部たちの推理も納得がいく。


「そこで友成真を高木刑事が、小田切敏也を私が調べることにしたんです」
「私は犯人が、次は佐藤くんを狙う可能性が高いと思い、誰かをガードにつけると言ったんだが、断られてしまった…」


 会場でのやりとりはそのことだったのか。静かに震わせる目暮警部の拳に目をやり、それから顎に手を当て思考する。犯人はサウスポーで、刑事三人に恨みのある人物。もしくは彼らが死んで得をする人物だろう。亡くなった二人の刑事が示していた警察手帳が警察関係者を表しているのだとしたら…。


「事件の関係者の中に左利きの人はいますか?」
「…そ、そういえば、友成真は左利きだ!」
「よし、友成真を指名手配だ!」
「はい!」


 行方知れずであることと三件の事件現場付近での目撃情報から友成真が最も疑わしい人物であるのは確かだ。だがしかし、なぜこのタイミングだったのか。奈良沢刑事たちが再捜査を始めたことについての関連性も見られない。単に知らなかっただけなのか。白鳥警部が退席すると、僕らも病室の方へ戻ることになりテラスを出た。


「目暮警部、仁野氏の頚動脈はどう切られていたんですか?」
「どうって、右側を上から斜め下へ真っ直ぐだよ」
「……では、その事件が他殺だったとしたら、その犯人も左利きかもしれませんね」
「え?どういうことかね」
「返り血を浴びないためですよ」


 胸ポケットの手帳に引っ掛けてあるボールペンを取り出し、凶器のメスに見立てる。「そうするには左手でないと右の頚動脈を切れませんから」左で持ったまま自分の首を切るように振り下ろす。本当なら正面を向いた人間の首を締める要領で後ろから腕を回したのだろう。


「なるほど……いや、だが友成真は仁野氏とは繋がりがない。もし他殺だとすれば、別に左利きの犯人がいるはずだ」
「そういえば、敏也さんも左利きですよね。ライターを左で点けていましたし」
「あ、ああ…」
「あとは……小田切警視長もでしたよね」


 目暮警部が瞠目するのを目で留めながら、ボールペンを胸ポケットに戻す。あの人がご子息の敏也さんを左手で指差していたのは記憶違いじゃなかったようだ。「…わかった、彼らの捜査は我々に任せてくれ」「ええ、よろしくお願いします」立場を気にしてぬるい事情聴取をするのだけはよしてくださいよ、とまでは言わないでおく。僕が言わずとも身に染みているだろう。去年、そんな理由で敏也さんの捜査を打ち切りにしたことが今回の事件を招いたのかもしれないのだから。
「しかし、さすがは白馬くんだな。切り方だけで利き手を突き止めるとは」歩きながらそう称賛する目暮警部にいえ、と目を伏せる。


「自分も左利きだからというだけですよ」



◇◇



 目暮警部と別れさんの病室へ向かうと、廊下の壁に寄りかかる黒羽くんがいた。盗聴に集中していたのだろう、彼は僕と目が合うなりバツの悪そうにすぐさま逸らした。会議室から移動しても盗聴し続けられたところからすでに気付いているだろう。右手に持っていた黒いそれを差し出す。


「警察に見つかっていたら騒ぎになるところだったよ。感謝したまえ」
「はあ?何のことやら?」
「いらないのかい?」
「ちょい見して」


 ここに来てもシラを切る気かと内心呆れていると、彼は手のひらからひょいと盗聴器を取り上げた。「なんだこれ?」裏表をひっくり返しながらとぼけてみせる彼に溜め息を禁じ得ない。はあと息を吐くと同時に一瞬目を離す。


「君のじゃないのかい」
「ちげーよ。てかそれ何だよ?」


 君が盗聴器を知らないわけないだろう。しかし予想に反し素直にそれを返す彼に、わずかに自分の推理に疑念が生じた。それも手の中の盗聴器がただの黒い箱になっていたことに気付けばすぐに消えたのだが。――すり替えられた。


「黒羽くん!」
「病院ではお静かに〜」


 白々しくのたまい病室のドアを開ける黒羽くんに再度溜め息をつく。……まあ、あれが手元に残ったとして何をするでもなかったのだが。僕は「黒羽快斗」を捕まえたいわけじゃない。それに、彼も自分の犯行予告に乗じて事件を起こされて腹を立てているのだろう。今回は見逃してあげようか。
 そう結論付け黒羽くんのあとに続いて入ると、室内にはさんの他にご両親と青子さんがいた。ベッドに腰掛けるさんの向かいに座る青子さんが僕に気付き振り返る。


「あ、…っと、ちゃん!」
「え!えっと……はくば、さん?」
「…!」
「ピンポーン!大正解!」


 固まる僕に青子さんが手招きする。やっとの思いで足を踏み出しゆっくりと歩み寄ると、おそるおそるといった風に僕を見上げるさんと目が合った。青子さん曰く、僕が席を外していた間青子さんの携帯にある写真を使って江古田高校の生徒を紹介していたのだという。彼女の元々の社交性もあってか随分と打ち解けているように見えた。


「白馬くんはイギリス帰りの高校生探偵なんだよ!」
「高校生探偵…!すごいですね!」
「ありがとうございます。白馬探です、よろしくお願いします」


です。よろしくお願いします!」お辞儀をした彼女は固くなりながらも笑顔を浮かべていた。笑った顔は同じで少しだけほっとする。


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