停電が起こったのは会場を出ようとしていたときだった。明らかに僕に付いてこられるのが嫌そうな黒羽くんに遠慮なく同行していたところ、突然ふっと照明が落ちた。「キッドか?!」近くで待機していた中森警部の声が上がる。違う、キッドはまだここにいる。
 予告より十五分も早いキッドの登場を予想してざわつく会場に気を配る。しかし当の黒羽くんも状況が掴めていないらしく辺りを警戒しているようだった。


(なんだ?誰の仕業だ?)


 それからすぐに電気が復旧し照明が戻る。会場内に変わった様子はない。そもそも例の宝石というのも、キッドの犯行予告時間まで別の金庫に保管されているのだ。中森警部の指示で別室の金庫を確認するため彼と警官が数人、主催者と共に出て行った。黒羽くんをうかがうも、警官の姿を目で追っているだけで動き出す気配はない。宝石の在り処を割り出すためのフェイクというわけではなさそうだ。やはりキッドの仕業ではない。では今のは何だったんだ?

「停電の原因を調べろ!」目暮警部が一課の部下に指示を出す。とりあえずこの騒ぎで黒羽くんを見失わないようにしなければ。しかしなんだ、この胸騒ぎは……。


「白馬、何か聞こえねーか?」
「何かって?」
「さっきから水の音が」
「水…?」


 騒ぎから遠ざかるように会場を出、僕らは辺りに耳をすませる。確かに、人のざわめきとは別にどこかで水が漏れているような音が聞こえる。この階で水が出る場所と言えば…。


「目暮警部、佐藤さんは?」
「さっきトイレに……そういえばまだ戻ってきてないな」
「!!」


 高木刑事と目暮警部のやりとりに、咄嗟に黒羽くんと目を合わせる。ほとんど同時に駆け出した。


 男子トイレの奥にあるそこでは、水浸しになりながらさんたちが倒れていた。全員血まみれだ。一瞬頭が真っ白になる。


さん!」
「紅子!」


 駆け寄り呼びかけるが気絶していて反応はない。軽く確認するもさんに外傷はないようだった。代わりに、紅子さんの方は肩口が真っ赤に染まっている。いや、でも…。「佐藤さん!」遅れて高木刑事も到着し佐藤刑事を抱き起こす。「佐藤さん!佐藤さん!」彼女の方を見て息を飲んだ。重傷なのは佐藤刑事だ。
 目暮警部、小田切警視長、白鳥警部が駆けつける。小田切警視長の指示で目暮警部が救急車を呼び、白鳥警部がホテルの出入り口を封鎖させに行く。「もしもし。こちら米花サンプラザホテル十五階です!女性が二人銃で撃たれました。大至急救急車を回してください」目暮警部の通報を耳にしながら、化粧台の物入れが開いていることを確認し、立ち上がる。依然吹き出し続ける水道に目をやると蛇口の部分が弾き飛ばされていた。それから床に落ちている拳銃。九ミリ口径のオートマチック、弾は空だ。瞬時に二件の射殺事件が思い起こされる。同一犯にしろ模倣犯にしろ、狙われたのはやはり佐藤刑事で間違いなかった。

 それからもう一つ。明かりがついたままの懐中電灯が落ちていた。



◇◇



 現場の指揮は小田切警視長が執った。しかし子供を除くホテル内全員の硝煙反応を調べるも、反応は誰からも出なかったらしい。

 優先して先に検査を受けた僕らはタクシーでさんたちが運ばれた病院へ向かった。到着する頃にはさんのご両親も連絡を受け来ていたらしく、さんの病室で彼女の様子を見守っているとのこと。青子さんにそちらに行ってもらい、僕たちと白鳥警部、高木刑事は集中治療室の前で手術が終わるのを待つ目暮警部と合流した。警部は佐藤さんに付き添って先にこの米花薬師野病院に来ていたのだ。
 まだ二人のどちらも手術中ではあるが、紅子さんの方は被弾箇所からも命に別状はないとのことだった。とりあえず一安心する僕と黒羽くん。しかし、佐藤刑事の方は弾の一つが心臓近くで止まっていて助かるかどうかは五分五分だという。一変して場に緊張が走る。しかしさすがは警部といったところか、冷静に捜査結果を問うた彼に白鳥警部が簡潔に答える。硝煙反応が出なかったこと、おそらく犯人は出口を封鎖する前に逃走したとみられるという見解。高木刑事がそれに加え拳銃からの指紋も出なかったことも伝える。停電の原因となった配電盤の仕掛けについてはあとから来た千葉刑事が、携帯電話の呼び出しで爆発する仕掛けであったことを報告していた。
 それらを聞きながら顎に手を当て考える。これだけの情報では犯人の特定は不可能だ。防犯カメラを解析すればどんな人が出て行ったかはわかるが、特定には時間がかかるだろう。それよりも佐藤刑事を狙う理由のある人物を洗う必要がある。あの懐中電灯にはそういう意味がある。


「一つ、気になることがあるんですが……トイレに落ちていた懐中電灯は最初から佐藤さんが持っていたんでしょうか?」
「違うと思いますよ」


 高木刑事の疑問に答える。「化粧台の下の物入れが開いていました。おそらくそこに置いてあったんでしょう。明かりをつけっぱなしにして」あれは犯人が用意したもので間違いない。つけっぱなしにしておくことで照明がついているときは誰もその存在には気付かない。犯人は佐藤刑事がトイレに行ったのを見計らって停電を起こし、懐中電灯の存在に気付かせその明かりを頼りに佐藤刑事を撃ったのだ。暗闇の中では特殊な装置でもない限り正確な狙いを定めることはできないから。つまり、犯人の狙いは最初から佐藤刑事だったのだ。
 その見解を述べると目暮警部は顔を強張らせた。部下が狙われたのだからそうなるのも頷けるだろう。


「そういえば、キッドの件はどうなったのかね?」
「はい、事件後、予告時間になる前にステージを確認したところ、今日の犯行をなしにする旨のメッセージがありました」
「外で待機していた警察官の情報でも不審人物は見かけなかったそうです」
「……」
「そうか…」
「これで、あの事件に関係していることは間違いありませんね…」
「え?」


 あの事件?黒羽くんが険しい表情のまま顎を引いたのを横目で捉えていると、白鳥警部が目暮警部に小声で呟いたのが気になった。


「刑事連続射殺事件のことですか?」
「あ、いや…」
「……」


 下手な濁し方が妙に癇に障る。そして同時に感じるデジャヴ。今朝の父の態度とどこか重なる。警察は何かを隠している。それは、この緊急事態になってもだ。僕にとってももう無関係じゃない。友人が二人、事件に巻き込まれているのだ。なるたけ感情を抑えるつもりで二人を見据える。


「キッドと無関係なのは僕もわかります。しかし刑事連続射殺事件との関連については模倣犯の可能性がまだありますよね?使われた拳銃が一致していることは報道されていましたし、会場の出入りも基本自由。佐藤刑事個人に恨みのある者の犯行である場合も考えられるはずです。そういった線を考えず言い切れるほどの何かがあなた方には見えているということでしょうか。そもそもあの事件というのは本当に射殺事件のことですか?だとしたら言い方が少し妙だと思うんですが」
「お、おい白馬」


 この期に及んで蚊帳の外にされては堪らない。絶対に聞き出すつもりで詰め寄ると、意外にも黒羽くんに制止されてしまった。横目で彼を見やると珍しく驚いたような表情がうかがえた。べつに我を忘れていたわけじゃないので落ち着くも何もないが、少しバツが悪く目を伏せた。

 あの血の海の光景がまぶたの裏に焼きついている。事件の究明を急がなければならない。これは僕の使命だ。


「……紅子さんが撃たれました。さんも一歩間違えたら…」

「大変です!ちゃんが…!」


 振り返ると病棟と手術室を繋ぐ自動ドアから青子さんが駆けて来ていた。その様子から、動揺がはっきりと見て取れた。


さんがどうかしましたか」
「意識は戻ったんだけど、様子がおかしくて…!」


 そこでようやく、彼女の顔が真っ青であることに気がつく。咄嗟に駆け出していた。


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