米花サンプラザホテル十五階のトイレは受付の脇に伸びる通路にある。用を済ませたあと、一番奥の手洗い場で洗いながら腕時計を確認するとキッドの予告まであと十五分となろうとしていた。急がないと、と隣の紅子ちゃんに向く前に彼女に話しかけられる。


「白馬くんとはたくさん話せた?」
「え、あ、う…ん…」
「あら、さっき二人で別行動してたじゃない」
「京都で知り合った刑事さんに挨拶しに行ったんだよ」
「それは見てたけど…じゃああまり話せてないの?せっかくおめかししたのに」
「え、いや、それは白馬くん十分褒めてくれたからもう満足だよ!紅子ちゃんと青子ちゃんに感謝してる!」


 髪の毛を可愛く結ってくれたのは青子ちゃんで、ふわふわの髪飾りを貸してくれたのは紅子ちゃんだ。待ち合わせの時間まで遊んでいようと紅子ちゃんに誘われ、じゃあと思って青子ちゃんにも声をかけた。米花町の方に行くには青子ちゃんの最寄駅が通り道なのもあって彼女が自宅に招待してくれ、三人で楽しくお化粧やヘアアレンジをしていた。二人のおかげで会って早々白馬くんに褒めてもらえたのはとても嬉しかった。


「それに白馬くんは、お仕事中だし」
「そうだけど…」
「…あら、さん?」


 個室から出てきたのはスーツに身を包んだ女性だった。見覚えのある彼女の記憶を必死で思い起こすと案外すぐに見つけられた。奈良沢刑事の事件で、事情聴取を受けたときに正面に座っていた刑事さんだ。名前は聞き慣れたものだった気がするけれど、そうであるがゆえに忘れてしまった。入り口に近い水道で手を洗う彼女に後ろめたさを感じながら挨拶をする。


「こんにちは…」
「こんにちは。あなたも来てたのね。…そっか、白馬くんの友達だものね」
「あ、はい。招待は青子、あ、中森青子ちゃんがしてくれて、」
「ああ、そういえば娘さんが来てるって言ってたわね……じゃああなたもかしら?」
「ええ。小泉紅子です」
「佐藤よ。よろしく」


 紅子ちゃんと刑事さんの自己紹介でようやく名前が判明した。佐藤刑事、か。もう忘れないぞ。


「ところで――あら?」
「え?」
「……!」


 佐藤刑事が何か言いかけた途端、トイレの照明が消えた。「え、なんで?」突然の事態に困惑してしまう。停電?でも外は晴れてたし、雷なんて鳴ってなかったのに。


「どうしたのかしら。様子見てくるから、動かないで」


 暗闇にうっすらとだけ見える佐藤刑事が慎重に出口へ向かって歩いていく。いくら刑事さんでもあれじゃあ何も見えなくて危ないだろう。何かあれば、と辺りを見回すと、手洗い場より奥に設置されている化粧台の下の方から明かりが見えた。「…?」「紅子ちゃん、ここ、」思わず駆け寄り、手探りでそこを開ける。化粧台の下は物入れになっているらしかった。開くとそこから明かりが漏れ出す。懐中電灯が、正面を向いて置かれていたのだ。これはいい!思ったわたしはそれを掴んだ。


「佐藤刑事、懐中電灯がありました!」
「え?」
「ほら、」


 出口へ向かう佐藤刑事を照らす。すると佐藤刑事は出口に向き直ったと思ったら、すぐにわたしたちに手を伸ばした。


「だめさん!!」


 バシバシッと変な音がする。同時に佐藤刑事の肩から血が吹き出た。「っ!」固まるわたしに紅子ちゃんが正面からしがみつく。受け止めるため懐中電灯から手を離すとそばの化粧台に跳ね返った。


 一瞬、出口にいる人物を照らす。


 バチンと金属が千切れる音と共に水道から勢いよく水が吹き上がる。バシュッとまた変な音がする。「あっ!」紅子ちゃんは何かに声を上げそのままわたしに全体重を乗せる。しがみつく紅子ちゃんを支えることができず、水浸しとなった床に尻餅をつく。カチャンと何かが落ちる音。

 しばらくして明かりがついた。しかし眼前に広がるのは、悪夢のような光景だった。


「あ、あかこ、ちゃ……さとうけいじ、……」


 わたしに被さるように倒れる紅子ちゃんと、彼女の足元で倒れている佐藤刑事。二人とも血まみれだった。


「……あ、ああ…、…」


 荒い呼吸を繰り返す。紅子ちゃんと佐藤刑事が撃たれた。紅子ちゃん、わたしに助けを求めてしがみついた、のに、わたしのせいで撃たれたんだ。……撃たれた、あの人に、どうして、なんで、嫌だ、なんで、


 わた、し、が、かいちゅうでんとうを、だしたから、?


 水が吹き出す音がしている。


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