リビングのテレビが昨日の事件を報道していた。朝食を摂りながらそちらに目を向ける。刑事の芝陽一郎氏が自宅マンションの地下駐車場で射殺されたという内容だ。画面が切り替わり彼の顔写真が映し出されると無意識に眉間に皺が寄っていた。……また刑事か。頭の中では先日現場に居合わせた殺人事件が思い起こされていた。


「現職刑事が射殺された二つの事件で使用された銃弾のライフルマークが一致したことから、警察では同一犯の犯行とみて捜査を進めています」


 さすがに仕事が早い。警察手帳の件も聞きたかったし、今日は夕方まで一課に顔を出して捜査の進展を聞きに行こうか。頭の中で一日の予定を組み立てながら飲んでいたコーヒーカップを置くと、そのタイミングで階段から降りてくる足音が聞こえてきた。


「行ってらっしゃい」


 リビングに入ってきたのは出勤の支度を終えた父だった。ああ、と返したその人はこれから仕事だろう、カバンを持ちキッチンにいる使用人に二、三、言伝をし、それからまたドアに踵を返した。その間僕はニュースに目を向け、事件のおさらいとでもいうかのようにニュースキャスターが二つの刑事射殺事件の概要を地図を用いて説明しているのを眺めていた。


「探。その事件に首を突っ込むのはよしなさい」


「、……は?」思わぬ忠告に振り向き目を見開く。真面目な父の表情が映る。警視総監といえども、この人はおだてるのが上手く軽い調子で話すことが多い。探偵として様々な事件に関わる僕に冗談めかしてほどほどにするよう言うことも何度もあった。しかし今のは、冗談を言ったのではない。


「どういう…」
「今日はパーティだったな」
「え?ああ、そうだけど」
「キッドを追うのはいいが楽しんできなさい。せっかくお友達も招待されているんだろう」
「…はい」


「それじゃあ行ってくる」僕の問いかけをかわし父はリビングを出て行った。バタンと音を立てドアが閉まる。…何だったんだ?わずかに乗り出していた姿勢に気付き、脱力するように背もたれに寄りかかる。テレビは既に違うニュースに移っていた。テーブルに置いてあるリモコンを取り電源を切ると耳に入ってくるのはキッチンから聞こえてくる使用人の足音だけになる。僕はやってきた彼女のコーヒーの注ぎ出しを断り、リビングを出た。



◇◇



 結局あの事件については午前中ネットで調べるだけに留めたがやはりニュースの内容以上のことは出て来ず、なんとなくすっきりしない心持ちのまま、僕は怪盗キッドが挑戦を受けたパーティの開催時間を迎えていた。
 数時間前、二課の集合時間よりかなり早く現地入りしてしまったため単独で会場内を調べて回ったがキッドの仕掛けと思わしき細工はどこにも見当たらなかった。黒羽くん自身が来るのは十九時だがその前に仕掛けを施しに来ると踏んでいたのだが、さすがに二時では早過ぎたらしい。もっとも、運営係にタイムテーブルを知っている人間について尋ねたところ、おととい同じ運営係がパソコンに保存されていたそれをじっと見ていたのを目撃したと言っていたので、キッドはこのパーティの進行がわかっていると考えていいだろう。照明が暗転するタイミングも当然彼の頭の中にはインプットされている。暗闇に乗じて変装し、時間になった瞬間現れ華麗に消え去るのは容易い。もっとも、それをさせないための仕掛けを捜査二課は設置したのだが。
 今回は黒羽快斗として参加してくる分僕個人の手間が省ける。怪盗キッドにはならせやしないさ。

 会場が暗転し、正面のステージにスポットライトが当たり例の富豪が上っていく。彼の挨拶を聞き流しているとポケットの中の携帯が振動した。さんからのメールだ。どうやらこのホテルに着いたらしい。壁際に立っていた僕は邪魔にならないよう入り口へと向かった。


「っ!」
「、すみません」
「いえ…」


 会場を出たところで後ろから同じく出てきた男性の肩とぶつかった。急いでいたらしい、彼は手短に謝ると小走りでエレベーターに向かい、乗り込んだのだった。乗ったのは下りのエレベーターだ。何か忘れ物をしたのだろうか、入退室自由とはいえ始まって早々帰るとは考えづらい。
 しかし、パーティの招待客にしては随分カジュアルな格好だったな。そんなことを思いながらエレベーター前の受付付近でさんたちを待っていると、男性が乗ったのとは反対のそれで彼女たちはやってきた。


「白馬くん!」
「こんばんは」
「お待たせしてごめんね」
「いえ。さん、髪型素敵ですね」
「え、えへへ……ありがとう。青子ちゃんにやってもらったんだー」


 照れた彼女の頬が赤くなるのがよくわかる。今の髪型は右耳の後ろから編み込みがなされ、左下で一つに結ってあった。左肩に掛かる髪もアイロンでゆるくパーマを当ててあるらしく柔らかく流れていた。フォーマルだが柔らかいデザインのピンク色のワンピースによく似合っている。得意げに腰に手を当てた青子さんの話では、さっきまで三人で集まっておめかしして遊んでいたのだそうだ。なるほど、確かに女性三人からは、普段の学校で見る彼女たちとは違った印象を受けた。凝った髪型だけでなく、薄く化粧もしているようだった。にこにこと笑い合う三人に対し「いーからさっさと行こうぜ」と急かすのは黒羽くんだ。相変わらず女性の扱いが雑な男だ。はいはいと言う青子さん含め女性陣の歩く後ろで黒羽くんに小声で話しかける。


「安心したまえ、主催者の挨拶はまだ続いているよ」
「……何のことだよ」
「仕掛けをするには暗くてよく見えないってことさ」


「だから何のことだっての」目の笑っていない苦笑いを返されるがそれには鼻で笑っておく。そろそろ君との追いかけっこも終わりにしようじゃないか。


 会場に着き、しばらくして主催者の挨拶が終わり場内が明るくなる。黒羽くんの動向に気を向けつつ辺りを見回すと、顔なじみの捜査二課の面々の他に、私服警官として一課の刑事の姿も捉えられた。こちらの段取りは一応伝わっているが、彼らの仕事はキッドの命を狙う者から民間人を守ることにあるため基本的に二課とは別の指揮で動いている。まあそもそも、毎回その人物がキッドを狙うのは彼が逃走する過程であるため、一課のほとんどは外で待機しているとは思うが。万が一潜入している不審人物がいたときのためにああして目暮警部や佐藤刑事がいるのだろう。他に知っている刑事は高木刑事と……「白鳥警部?」


「え?」
「ほら、あそこにいるのって白鳥警部だよね?」


 隣にいたさんがそう言って真横を指差す。覗くように彼女の指の先を追うと、確かに白鳥警部がいた。パーティが始まる前には姿が見えなかったから今日は担当じゃないと思っていたが、おそらく外の一課の指揮を執っていたのだろう。その彼は同じくらいの背丈で薄い色のスーツを着た男性と何かを話していた。見覚えのない人だが、刑事なのだろうか。それにしては物腰は柔らかそうで到底そうには見えなかった。話が一旦終わったところを見て、彼女を誘う。


「挨拶しに行きましょうか」
「え、わたしも行っていいの?」
「構わないでしょう。京都でお世話になりましたし」


 そっか、と頷いたさんと白鳥警部の元へ歩み寄る。すると向こうもすぐに気付いてくれたようだった。


「やあ、白馬くん。それとさんだったかな」
「こんばんは」
「こんばんは!」
「中森警部の娘さんのご友人が来るって聞いてたけど、君のことだったんだ」
「は、はい。向こうにいる三人と来ました」
「そうか。楽しむのはもちろんだけど、気を付けるんだよ」


 それに頷くさん。言わずともキッドが狙われていることについてだとわかったのだろう。「キッドも大変ですよね」そう零したのはさっきまで白鳥警部と話していた男性だ。近くで見ると余計に現職の刑事らしさがうかがえない。しかも今の、犯罪者であるキッドを案じるような発言は警察としては軽率すぎるだろう。


「白鳥警部、こちらの方は?」
「ああ、私の主治医で米花薬師野病院心療科の風戸先生です」
「風戸です。よろしく」
「医者の方でしたか…。白馬探です。よろしくお願いします」
です、よろしくお願いします!」


 微笑む風戸先生の目元にある泣きぼくろに目が行く。医者であるなら警察らしくない彼の雰囲気も納得できる。警察官は何かとストレスのかかる仕事であるため心療科にかかることが多いことは父からも聞いたことがある。主催者は本当に顔が広いようだ。


「敏也!なぜおまえがここにいる!」


 突然怒鳴り声が響く。びくっと肩を跳ねさせたさんを視界の隅で捉えつつ聞き覚えのある声へと顔を向けると、それはやはり小田切警視長のものだった。パーティが始まる前までに今日出席している警察関係者には一通り挨拶を済ませてある。彼はソファーが備え付けられた一角におり、そこに座る誰かを指さしていた。「ここはおまえのような奴が来るところじゃない!このパーティにも招待されていないはずだ!」誰に向かって言っているんだ?人混みの隙間から覗くようにそちらをうかがう。


「ご子息の敏也さんだね」


 白鳥警部がなぜか顔を曇らせて言う。それから彼らに歩み寄って行った白鳥警部を目で追うと、ライターで煙草に火をつける紫色の髪の若い男性が小田切警視長と対峙しているのがわかった。息子さんがいるとは聞いていたが、あの人がそうらしい。


「うっせえな!仕事でたまたまこのホテルに来ただけだよ!」
「まあ、いいじゃないですか警視長…」
「出て行け!野良犬が餌を漁るような真似はやめてな」
「なんだと?!」
「敏也さん」


 白鳥警部に加え佐藤刑事も止めに入ったことにより、敏也さんが会場を出て行くことでその場は収まったようだった。


「……?」


 入り口に立っていた茶髪の女性が、明らかに敏也さんを追うようにして出て行ったのだ。敏也さんと関係のある人なのだろうか。


 黒羽くんたちの元に戻り夕食を摂っている内にキッドの予告の二十分前になっていた。オーケストラの演奏に感激している青子さんを白けた目で見ている黒羽くんはまだ動き出す気配はない。


「あーなんか緊張してきた……お手洗い行ってくる…」
「あら、じゃあ私も行くわ」


 腹部を押さえたさんと、彼女に付き添うように紅子さんが席を外す。彼女たちが入り口を出て行くと、そのすぐ近くで目暮警部が佐藤刑事に話しかけているのが見えた。参加者に紛れてカジュアルスーツを身にまとう佐藤刑事の方は、何かを断るように片手を上げたあと会場を後にしていた。

 会場に充満する緊張感には気付いていた。警察関係者が漏れなく放つ重苦しい雰囲気は、間違いなくこの数日間で起きた刑事射殺事件の影響だろう。マスコミは警察への挑戦やら暴力団の報復やらと騒ぎ立てているが、実際のところどうなのか。警察はもう犯人に目星がついているのだろうか。父に止められた手前気が引けるのも嘘ではないが、知らずにはいられなかった。


「何やってんの快斗?」


 青子さんの声に顔を正面に戻すと、黒羽くんがいかにもその場からこっそり消えようとするポーズを取っていた。


「………。どこに行くんだい?」
「と、トイレ」
「なら僕もついて行くとしよう」
「つ、連れションかよー」
「何か言ったかい?」
「いえ、何も」


 立ち上がり、引きつった顔の彼を見据える。ここに来て逃すまい。


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