青子さんと恵子さんが帰るのと入れ違いで顔を見せたのは白馬さんだった。

 お邪魔しますと挨拶をし家に上がる彼と目が合わせられず、どもりながらもどうぞと促してスタスタと二階に上がる。昨日のことでとてつもなく気まずい。部屋まで案内すると、彼はさっきまで青子さんが座っていた回転イスに慣れたように腰掛けた。それを見て少しほっとする。昨日、かなり冷たい態度を取ってしまったと思ったのだけど、向こうは気にしてないのかもしれない。お土産か、紙箱を何もない勉強机の上に置く白馬さんの目はやはり見れないけれど。…ああ、気まずいのもあるかもしれないけど、なんか恥ずかしいのかもなあ。
 だんだんと自分の心がわからなくなるのだ。これは記憶が戻りかけてるからなのかな、わかんない。「さん、」


「犯人がわかりましたよ」


「えっ?」思わず顔を上げる。優しく笑う白馬さんと目が合った。
 例の事件について、家に帰ってから一度だけニュースで報道されていたのを見たことがある。女性警官と高校生一人が銃で撃たれ重傷。そうあった。でもわたしは怪我してないから、あの報道の仕方では誤解を招くんじゃないかなと思っていた。連続射殺事件との関連性は強いとの見方を警察はしているとか色々言っていた気がするけれど、それを見てもやっぱり思い出せなかった。まったく馴染みのない怖い話だ。今更思い出すのが怖い。
 白馬さんは、その事件の犯人がわかったと言う。


「まだ証拠が見つかってないんですが、今逮捕状を取ってもらってます」
「……白馬さんが解決したんですか?」
「ええ。色んな方の協力があってのことです」
「すごい、さすが高校生探偵ですね!」
「ありがとうございます。…ですから、安心してくださいね」


 その言葉にハッと思い出す。そういえばわたし、犯人に狙われてるかもしれないんだった。この三日間なるべく外出は控えていたし外に出たのもホテルに行ってみたくらいで特に危害が加えられるようなことがなかったので忘れていた。わたしがそんなのん気に過ごしていたのに、白馬さんは必死に推理して犯人を突き止めたのだ。それを報告しに来てくれる彼の優しさがよく伝わってくる。彼自身も一安心といったように肩の力を抜き、「そうだ」と机に目を向けた。


「シュークリーム、一緒に食べませんか」


 どうやらここに来る前に買ってきてくれたらしい、よく見るとコンパクトな紙箱には駅の近くにあるシュークリーム屋さんのロゴがプリントされていた。パイシューになってるおいしいシュークリームだ!中から取り出されたそれを喜んで受け取る。


「これすごく好きなんです!知ってたんですか?」
「ええ」


 そう笑った白馬さんは、どこか悲しそうな嬉しそうな、不思議な表情を浮かべた。けれど本人はそれ以上付け加えることもなく、自分の分のシュークリームを取り出して両手に持った。「いただきます!」声をかける意味合いでそう唱えると彼もベッドに腰掛けるわたしを見て、いただきますと小さく笑った。


「おいし〜〜…」


 パイシューがカリッとして中の甘いカスタードとよく合うこと。この味は記憶に新しい。しかしたっぷりなカスタードと折り合いをつけるのが下手なのは相変わらずだ。横から零れそうなのをなんとか口で受け止め食べ進めていくわたしとは反対に白馬さんはぱくぱくと綺麗に食べている。すごい、シュークリームを食べる姿も綺麗なんだ。

 そう、白馬さんという人は綺麗なのだ。顔立ちは初めて見たときから思っていたけれど、物腰だったり立ち振る舞いだったりが優美だと思う。それで頭も良くて優しい性格だ。こんな人今まで周りにいなかった。そういった所作はどこで身につくんだろう。この人はどんな人なんだろう。知りたい。
 知りたいと思うのだ。白馬さんのこともっと知りたい。同時にその気持ちよりもっと強く、思い出したいと思う。前のわたしはきっと白馬さんのことがすきで、この人のことを余すことなく知ろうとしていたはずだ。それに親しいって言われるくらいなんだからそれなりに近しい関係だっただろう。もったいない。忘れてるなんてもったいない。


「わたし、早く思い出したいです。白馬さんのこと」
「……」


 目を丸くした彼がわたしを見る。そこでようやく、気まずい気持ちが吹き飛んでいたことに気がついた。ま、まずい、昨日のこと謝るのが先だった…!「お気持ちは嬉しいですが」しかしふっと笑った彼にあっさり目を奪われてしまう。


「無理だけは絶対にしないでください」
「あ、…は、はい…」
「……僕はこうして、さんとまた話せるだけで嬉しいですよ」


 どきどきさせる言葉を美しく述べる白馬さんから目を逸らし、ごまかすようにシュークリームを一口かじる。心臓はまだ高鳴っているけれど、気分はとても心地よかった。そう、本人にも伝えた通り、白馬さんのそばはとても居心地がいいのだ。「なので」気付くと白馬くんの手からシュークリームが消えていた。いつの間に食べ終えていたらしい。手元から顔へ目線をゆっくりと上げる。とびきり優しい笑顔だ。


「よければ僕とまた、友達になってくれませんか?」
「――もちろん!」


 口をついて出た台詞が。

 次の瞬間には全部がそこにある感じ。今までどこに隠れていたのか、むしろどうして忘れていたのか不思議なくらい、何食わぬ顔で平然と鎮座しているのだ。なんだよう、なんだよう。おかえり、ありがとう。

 半ば放心状態でいると、携帯の着信が鳴った。わたしのじゃない、白馬くんのだ。「もしもし。……なに?!いない?!」突然荒げた声。立ち上がり、わたしからちょっと距離を取って電話の向こうの誰かとやりとししている白馬くんをぼんやり見ていた。


 わたし、知らなくても白馬くんのことすきになったんだなあ。


 じわりと視界が滲む。あれ、なんかちゃんと見えないな。「わかりました、僕もすぐ向かいます」携帯をポケットにしまう彼が戻ってくる。


「すみませんさん、すぐに出なければ……どうしたんですか?!」
「……白馬くん…」


 ピタリと止まる彼の指。眼球を少しだけ動かしたらポロっと雫が落ちた。涙だ。わたしは泣いていたらしい。
 でも許してよ、それくらいわたしには一大事だったんだ。


「記憶が戻ったんですか…?」


 コクコクと頷くと途端に抱きすくめられる。「よかった…!」白馬くんのとびきり嬉しそうな声が聞こえる。わたしも嬉しい……けど、これはいかん!心臓に悪い!


「は、白馬くん、」
「あ、すみません!つい、」
「ううん……そうだ、紅子ちゃん、佐藤刑事は…?!」


 まだ近い距離の白馬くんに詰め寄る。四の五は言ってられない。紅子ちゃんと佐藤刑事は無事なのか、「紅子さんはもう目も覚めて元気ですよ。まだ入院してはいますが。佐藤刑事は……まだ意識が戻らないそうです」そ、そんな…。紅子ちゃんのことで一瞬ホッとしたけれど後者を聞いて心臓が重くなる。……あ!大変なことを思い出し背筋をピンと伸ばす。


「白馬くん、犯人って、」
「ええ、風戸先生です」
「やっぱり…!」
「顔を見たんですね」


 頷く。懐中電灯で照らした先にいた風戸先生を思い出すとあのときの恐怖が蘇り少し寒気がする。一瞬だったから詳しくはわからないけれど、拳銃だけでなく何か変なものを持っていた気がする。何だったっけ…。いや、もうそれはいいんだ。白馬くんが捕まえてくれ……あれ、でもさっき「いない」って?


さんはここにいてください。僕から連絡があるまで絶対に家から出ないように」
「え、はくばくん、」
「……自宅にも病院にもいないみたいなんです」


 白馬くんは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。犯人がまだ逃走しているというのだ。目を丸くする。無意識に下唇を噛んでいた。


「でもさんは何も心配しないで大丈夫ですよ。安心してここにいてくださいね」


 頭を撫で、お邪魔しましたと部屋を出ていった白馬くん。彼に何も返せなかったのは、自分が次に取るべき行動が彼の意に反していたからだった。
 わたしは犯人を見ているかもしれないから犯人に狙われるといって警護の刑事さんが付いてくれている。今も家の外で千葉刑事が車の中で待機している。同じく事件に巻き込まれた、わたしの大事な友達だって同じはずだ。今だって犯人に狙われてるかもしれない。わたし一人が安全にじっとしてなんていられない。

 残りのシュークリームを口に放り込む。…うまい!ごくんと飲み込み乱暴に口を拭い、昨日と同じショルダーバッグを肩に掛ける。
 家の鍵を締め、近くに待機している千葉刑事の車に駆け寄る。目を丸くする彼を無視し後部座席に乗り込む。


「え?!ちょ、さん?!」
「記憶が戻りました!紅子ちゃんのとこ行ってください!」
「いや、それはさっき白馬くんに聞いたけど……ていうか家にいなきゃ」
「連れてってくれないなら電車で行きます!」
「わ、わかったよ…!」


 よし!ふんと息をつき座席に深く腰掛ける。早く会いたい。無事をこの目で確かめたい。


「紅子ちゃん……」


 ぎゅっと手を握る。わたしのせいで怪我をさせてしまった彼女に謝りたかった。


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