受付を済ませ、千葉刑事から聞いた病室へと小走りで向かう。千葉刑事は駐車場に車を止めに行ったようだ。危ないから待っててと言われたのを無視して一人病院へと乗り込んだわたしが後ろ髪を引かれることはなかった。とにかく早く紅子ちゃんに会いたかった。 お情け程度に周りに気を配りながら足を進めるけれど少なくとも見知った刑事さんたちはいない。ましてや犯人の姿も見えなかった。やっぱりここにはいないんだ、よかった。でも犯人はどうしてこんなタイミングで姿を消したんだろう。それに逃げたって無駄だ。もう犯人だって警察もわかっている。 病室の前にはカジュアルスーツの刑事さんが立っていた。廊下は彼とわたし以外無人で静まり返っている。足音に気付いたその人と目が合いちょっとぎくりとすると、案の定相手には驚かれた。 「さん?!あなたどうしてここに…!」 「あ、あの、紅子ちゃんに会いに…」 「記憶が戻ったんですか?!」 「はい!」 大きく頷くと、彼は少し渋るように病室を一瞥したあと、「わかりました。どうぞ」とドアを引いてくれた。お礼を言って部屋に入る。 正面に横向きに置かれたベッドがある。そこに、上体を起こして寄りかかりながら座っている紅子ちゃんがいた。わたしと合う彼女の目が大きく見開かれている。 「…?」 「紅子ちゃん〜…!」 元気そう。よかった。肩口から包帯が見えるけど、全然、いつもの紅子ちゃんだ。駆け寄り、彼女の手を取る。 「よかったあ〜…」 「あ、あなた、記憶は…?」 「さっき戻ったよ〜紅子ちゃんごめんねえ〜…」 「そうなの…よかった…」 ほっと笑みを浮かべる紅子ちゃんに止まっていた涙がぶり返す。「わたしも紅子ちゃんが無事でよかったあ…」鮮明に覚えている、あのトイレで紅子ちゃんと佐藤刑事が血まみれで倒れているのを。もう金輪際二度と見たくない光景だ。悪夢だったのだ。 でもよかった、紅子ちゃんは無事だった。涙を袖口で拭い、それから急いで伝えなければいけないことを思い出す。 「紅子ちゃん!それより大変だよ、犯人はね、」 「ぐっ」呻き声と共にバタンと物音がする。ドアの向こうからだ。それから、ドアが開く音。「……」おそるおそる振り返る。と、そこには、 「か、かざとせんせい……」 普段着に身を包んだ風戸先生、そう、犯人がいた。 「おや、さんもいましたか。調子はいかがですか?」 何食わぬ顔で近付いてくる彼。左手は上着の下の背中に回され隠れている。そこから視線が離せない。身体が硬直してしまって動かない。わたしの動揺が伝わったのか、紅子ちゃんも身構えているようだった。「何しに来たんですか…」振り絞った声に、風戸先生の表情が一変。にやりと下品な笑みを浮かべた。 「その様子だと思い出したようだな。まあどのみち二人とも始末するつもりだったから好都合だ」 見せた左手に持っていたのは拳銃だった。銃口が向けられ恐怖で震え上がる。「紅子ちゃんっ!」とっさに紅子ちゃんに覆いかぶさるように腕を回す。とにかく避けないとと思ったのだ。 その瞬間、トイレでのことを思い出した。あのとき紅子ちゃんがわたしにしがみついたのは、もしかして、わたしを庇うためだったんじゃないかと。じわりと涙が滲んだ。 しかし紅子ちゃんは押し倒されるどころかわたしの背中に腕を回し受け止めた。無我夢中だったわたしは風戸先生に背を向けたままぎゅうと目を瞑るも、いつまでたっても銃声は聞こえてこない。代わりに、風戸先生の動揺の声が耳に入ってくる。 「なっ…?!…クソ、なんなんだ?!」 目を開き、後ろを振り向こうとすると背中に回された紅子ちゃんの左腕が頭まで抱え込んで叶わなかった。視界の隅で紅子ちゃんの首にかけられた首飾りが赤く発光しているように見えた。 「紅子ちゃん…?!」 「黙ってて」 「手が動かな、……っ?!」 バシュンッと小気味のいい音と、カシャンと床に落ちる音。それと同時に紅子ちゃんの腕から力が抜けた。緊張感で硬くなっていたのはわたしだけじゃない。紅子ちゃんの身体も強張っていた。 (えっ?) 振り返ると何が起こったのか、風戸先生が左手首を掴み苦痛に満ちた顔をしていた。手に拳銃はない。そして離れたところにそれが落ちていたところから、さっきの音は拳銃が落ちた音だったとわかる。 それよりも、入り口、丁度風戸先生の真後ろに人が立っていることに驚きを隠せない。いつの間に。というか、あの人ってもしかしなくても……。 「警察だ!観念しろ!」 「?!」 目暮警部の声だ。風戸先生はそれでようやく背後の人間の存在に気付き振り返るが、「ぐっ…!」何かスプレーを吹きかけられその場に尻餅をつき、倒れ込んだ。その鮮やかな手際は、彼の普段の犯行を垣間見た気分にさせた。 「怪盗キッド…」 そう、怪盗キッドだ。白いタキシードにシルクハット、右目にモノクルを付けた彼は世間を賑わす天下の大泥棒で間違いなかった。目暮警部の声を発したのも彼だ。もっとも、スプレーを吹きかけた本人はガスマスクを着用しているため顔はよく見えないけれど。 「催眠スプレーです。ご安心を」 「……外の刑事に変装してたのね」 脱力する紅子ちゃんにキッドは優雅に歩み寄り、紅子ちゃんの手を取って空のスプレー缶をそっと置いた。 「ではお嬢さん方、月下の淡い光の下、またお会いしましょう」 マスクでくぐもった声で口上を述べ、シルクハットに手をかけ恭しくお辞儀をしてみせたキッド。「待ちなさいキッド!」紅子ちゃんの制止も届かず部屋の外に消えた彼を、腰が抜けたわたしは追うことができなかった。ぺたんと尻餅をつく。 これこそ夢なんじゃないか。あの怪盗キッドがわたしたちを助けてくれたなんて。彼には違う意図があったのかもしれないけれど、少なくともこの現状はそうだと言っているようなものだ。床に倒れている風戸先生も、弾かれた拳銃も、壁に刺さっているトランプのカードも、すべてキッドがやったことだ。催眠ガスを吸ってしまったのか頭の整理が追いつかないがなんとか紅子ちゃんを見上げると、彼女はキッドの去った入り口を見つめながら、どこか泣きそうな顔をしていた。 「紅子ちゃん…」 「小泉くん!くん!」 大勢の足音が近付いてきたと思ったら今度は本物の目暮警部が姿を現した。続いて白馬くんが部屋に入り、すぐさまわたしたちに駆け寄る。 「さん、紅子さん、お怪我は?!」 「大丈夫だよ!」 ピンと背筋を伸ばして答えると、白馬くんははああと大きく安堵の息を漏らした。それから手を差し伸べられたので、それを掴み立ち上がる。「…?」あれ?もう大丈夫なのに掴んだ手が離れない。向かい合ったまま、白馬くんを見上げる。目を伏せる彼の表情はどこか難しそうだった。 「紅子さんはともかく、さんはなぜここに」 「え、あの、紅子ちゃんが危ないと思って…」 「危ないのはあなたも同じでした。家にいるよう僕はお願いしましたよね?」 「ご、ごめんなさい…」 ぎゅうと手に力を込められる。それから眉をひそめたまま目を閉じる白馬くん。「ごめん、白馬くん……心配かけてごめん…」泣きそうだと思ったのだ。わたしのせいで泣いてほしくなんてなかった。途端に罪悪感に駆られ頭がぐるぐるする。心限りの謝罪の気持ちを口にしてようやく白馬くんはゆっくりと目を開いた。上げた表情には、もう悲しさは残っていなかった。 「すみません、また取り乱しました…。…とにかく、無事でよかったです。紅子さんも」 「どうも?」 肩をすくめて不敵に笑う紅子ちゃん。ふと、紅子ちゃんの首飾りに目が行った。時々彼女が身に付けているのを見るからお気に入りの物なんだろう。病院でまで身に付けてるなんてきっと本当に大切なものなんだ。でもさっき光ってるように見えたのは気のせいかな……いや、だったら何だって感じだよね。 「小泉くん、くん、この状況について話を聞きたいんだが…」 目暮警部に声を掛けられそちらに向くと、刑事さんたちが熟睡中の風戸先生を運び出しているところだった。どうも白馬くんや目暮警部たちは千葉刑事から連絡を受けて駆けつけたらしい。いないと思ってた犯人がいてしかも眠っていたら、確かにびっくりするだろう。 「それはキ…」 「護身用に常備していた催眠スプレーを私が使ったんです」 えっ?!ギョッとして紅子ちゃんを見ると手に持ったスプレー缶をにこりと笑ってどうぞと差し出したではないか。し、知ってはいたけど紅子ちゃん肝が据わってるなあ…?!警察相手に嘘をつくなんて、というかどうして嘘をつくんだろう?正直にキッドがやってくれたって言えばいいのに。 「き、君、こんなものを病院に持ち込んでいたのかね…?」 「ごめんなさい…命を狙われるかもしれないと知って、いても立ってもいられず…」 「目暮警部、結果紅子さんのおかげで誰も傷付かずに済んだのですし…」 「ま、まあそうだが…」 女優・紅子ちゃんの名演技に魅せられ、白馬くんにも丸め込まれた目暮警部はそれ以上追及することができなかった。…あれ、白馬くんも紅子ちゃんの言ったことを信じたのかな? 首を傾げていると白馬くんはおもむろに歩き出し、反対の壁へと近付いた。そこには怪盗キッドが打ったとみられるトランプのカードが刺さっている。それをピッと取り、不敵に笑う。 「どうやら、シャイなガードマンがいたようですしね」 その横顔に、思わず息を飲む。白馬くんは気付いている。これをやったのが怪盗キッドであることを。それでもそれを公にしないのはどうしてだろう。とにかく、紅子ちゃんと白馬くんが隠そうとしてることをむざむざ暴露しようとは思わないので、わたしも無言を決めさせて頂くことに決める。 トランプのカードは目暮警部からは見えなかったらしい。警部がガードマン?と首を傾げると、他の刑事が彼に駆け寄り何か耳打ちをした。それに頷く警部。「そうか、友成真は風戸京介の指示で…」初めて聞く名前に今度はわたしが首を傾げたくなる。とにかくその友成真さんの事情聴取に立ち会うべく目暮警部はここをあとにするらしい。白馬くんも行くかと思われたが意外にも彼は残ると言った。「さんを送るので」……白馬くんの気遣いには頭が上がらないよ。 「…あ!」 「さん?」 「あ、ううん何でもない!」 慌てて首を振るが顔にどんどん熱が集まってくるのがわかる。……お、思い出してしまった…!わたし記憶喪失になってたとき、とんでもないこと言ってしまった!!なんか、白馬くんに、わたしたち付き合ってるみたいとか、言った!言ったよね確実に!わーーばかーー!もう、他人事とでも思ってたのか、本人目の前にそんなことを言ってしまえる中三の精神を呪いたい。これこそ忘れたい! 顔を真っ赤にするわたしに怪訝に思ったのは紅子ちゃんの方だった。わたしの手を掴み、訝しげに白馬くんを見上げる。 「…あなた、またに何かしたんじゃ」 「いえ、何も…というか、「また」とは?」 「あ、紅子ちゃん…!」 「あ。ホ、ホホ…」 確実に京都の夜のこと言ってるね紅子ちゃん?!やめてくれここで掘り返さないでくれ…!「なんでもないよ白馬くん!」苦しくも誤魔化すとそうですか?と首を傾げられてしまう。 すぐに佐藤刑事の意識が戻りもう心配はないとの速報が入り、その話は終わりになった。ナイスタイミングだし佐藤刑事が無事で本当によかったしいいことづくしだ。それにバタバタしてたけど久しぶりに三人で話せたのもとても幸せだった。わたしは明日から学校に行けるだろうから、青子ちゃんや恵子ちゃん、あと黒羽くんにもお礼を言いたい。思いながら、刑事さんたちに混ざり佐藤刑事回復のバンザイ三唱をするのだった。 |