今日は朝からどんよりとした天気だった。ホームルームの最中に雨がパラパラと降り出し、思わずスクールバッグの中の折り畳み傘を確認する。よかった、あるある。「気をつけ、礼」係の人の号令に合わせてお辞儀をし担任の先生が教室を出ていくのを見送る。ええと一限は現代文……。
 机の中から教科書を出そうとイスを下げたところで、トントンと肩を叩かれた。振り向くと、後ろの席の青子ちゃんがわたしに手を伸ばしていた。どうやら彼女に呼ばれたらしい。


「来週のパーティ、何時集合にする?」


 目をぱちぱち瞬かせたあと、ハッと背筋を伸ばす。「どうしよっか!」一瞬何のことかと思ってしまった、せっかく誘ってもらったのに申し訳ない。青子ちゃんが紅子ちゃんにも声をかけ、三角形のミニ会合が開かれる。紅子ちゃんの後ろの席の黒羽くんも一応メンバーに入ってるはずだから四角形といった方がいいかもしれない。本人は白けた顔で頬杖をついているのだが。


「パーティは何時からなの?」
「えっとね、七時!入退場自由で、開場は六時って書いてあるよ」
「七時……キッドの予告は八時よね」
「うん、そうだよ」


 そう、来週の日曜日に開かれるパーティに、怪盗キッドの犯行予告がなされたのだ。パーティになぜ、と思われるかもしれないが、なんとそのパーティでは彼お目当てのビッグジュエルが展示されるのである。主催者はお金持ちかつ大のお祭り好きらしく、パーティの余興に怪盗キッドのマジックショーをプログラムに組み込むことを計画しているらしい。そのため秘蔵コレクションであるビッグジュエルを餌にキッドに挑戦状を叩きつけたところ、見事パーティの最中である夜の八時に参上するとのお返事を頂いたそう。パーティの余興のためだけに宝石を取られてもいいと思うなんてお金持ちの感覚は計り知れないなあ。ちなみにキッドに挑戦状を叩きつけるような困ったお金持ちは彼の他にもう一人いるらしく、青子ちゃんのお父さんは毎度手を焼いているらしい。
 そんな気前のいい主催者なだけあり、青子ちゃんと黒羽くんが企画会議に立ち会っていたお父さんに差し入れを持って行ったところ是非パーティに参加してくれとのお誘いを頂き、友達も呼ぶといいと言われた青子ちゃんがわたしたちを誘ってくれたのだ。前から一度怪盗キッドのマジックを見てみたいと思っていたわたしとしては、実はかなり楽しみにしているのである。恵子ちゃんも来られればよかったのだけれど、彼女はその日外せない用事があるらしい。

 イスに横座りしながらうーんと考える素振りを見せる紅子ちゃん。親キッド派の彼女は青子ちゃんのお誘いを二つ返事で頷いていた。正直なところ、キッドのマジックショーが見られればパーティ自体には興味がないようだ。「でもキッドの前にご飯食べておきたいよね」わたしがそう口を挟むと彼女は顔を上げ、それもそうねと笑った。


「じゃあ七時に着けばいいかしら?」
「うん!」
「わかった!快斗もそれでいいよね?」
「あ?…おー」


 生返事の黒羽くんの机に紅子ちゃんがトンと腕を置く。「楽しみねえ?怪盗キッドのマジックショー」ずいっと黒羽くんに顔を近付けて言う彼女の表情はどこか挑戦的だ。マジックが得意な黒羽くんも確か親キッド派だったはずだから二人は仲間と言えるだろう。「ハハ…そですね」それにしては黒羽くんのテンションは低めだが。


「ふーんだ。今度こそあんな泥棒、お父さんたちが捕まえちゃうんだから!」
「そうですね。パーティの余興にはマジックショーではなく、華麗な逮捕劇を披露することになるでしょう」


 ん?青子ちゃんに続いた声にパッと振り向く。「白馬くん!」席の間の通路に立っていた白馬くんが、自信満々といった表情で見下ろしていたのだった。その視線の先はやはり黒羽くんだ。反キッド派の青子ちゃんの協力な助っ人の登場である。


「白馬くん、頑張ってね!」
「ええ、もちろんです」


 青子ちゃんの激励に頷く白馬くん。そう、怪盗キッドを追う彼ももちろん来週のパーティに参加するのだ。しかし立場としては青子ちゃんの招待客ではなく、青子ちゃんのお父さんたちと同じ警察側としてだ。

 紅子ちゃん・黒羽くんの親キッド派と、白馬くん・青子ちゃんの反キッド派で真っ二つに割れる。さすがに火花は散らさないようだけど、このメンバーだとこの構図にはっきり分かれるのだ。このときのわたしは肩身がものすごく狭い。白馬くんの応援はしたいけど、キッドを応援している紅子ちゃんをないがしろにはできないし、それに何より、キッドを捕まえてしまったらまた白馬くんがイギリスに行ってしまうんじゃないかと思うととてもじゃないが素直に彼を応援することはできなかった。そういうわけでわたしは毎回、苦笑いで四人の掛け合いを眺めるだけしかなくなるのであった。



◇◇



 パラパラと降る雨の中、白馬くんと傘を並べて帰路に着いていた。なんでも今日発売のミステリー小説があるとかで本屋に寄りたいのだそうだ。いつもとは違う帰り道をゆっくり歩きながら白馬くんと取り留めのない話をしていると、話題は来週のパーティの話になっていた。


「白馬くんは何時に会場に行くの?」
「十七時ですよ。二課でキッド捕獲の仕掛けや段取りの打ち合わせがあるので立ち会う予定です」
「あ、ほんとに捕まえに行く感じなんだね」


 パーティの余興とされるくらいだから警察は手を出しちゃいけないとか言われてるものだと思ってた。本当にキッド、のんきにマジックショーにかこつけて盗みに来て大丈夫なのだろうか。とかキッドの心配をするのもどうかと思うのだけど。複雑な乙女心を許してほしい。


「ええ。キッドの犯行手口も掴めてきましたし、彼に手錠を掛けるのも時間の問題です」
「お、おお…」


 素直に喜べない…。どうしよう、せっかく仲良くなれたのに、もしほんとに白馬くん、イギリスに行っちゃったら…。うぐうと胸を痛ませていると、勝気だった白馬くんはふと表情を変え、少し眉尻を下げた。


「しかし、キッドの命を狙う者の心配もありますし、当日は充分気を付けてくださいね」
「あ、うん、そうだったね。気を付ける!」


 言われて思い出した。なんでもここ最近、怪盗キッドの命を狙う輩がいるらしく、それに巻き込まれた民間人の負傷者も出ているのだそうだ。白馬くんや捜査一課の人たちも調べているのだけれどその正体は依然掴めておらず、キッドの犯行予告の際には警官の数が普段より多めに配置されているのだとか。


「今回は警視庁の捜査一課の方たちが警護に当たってくださるみたいですよ。京都で会った白鳥警部、覚えてますか?」
「うん!そっかあの刑事さんは警視庁の人だったんだよね」


 歩道に設置された公衆電話を避けるため少し車道側を歩く。こんなところに電話ボックスあったんだ。最近とんと見かけなくなってるから珍しいなあ。思いながら、中で利用しているスーツ姿の男の人を何となく目で追う。肩と頬で受話器を挟みながら、横にした手帳に何か書き込んでいるようだ。白馬くんも、ええ、と頷きながら彼を見ていたようで、公衆電話を通り過ぎるとわたしに向き直った。


「まあそれ以外にも、公務に関わらず警察関係の参加者が多いでしょうね」
「え、そうなの?」
「なんでもあの主催者、警察とゆかりがあるようで…父にも招待状が届いてましたよ。不参加の返信をしたようですが」
「へえー…そんな中にキッド来るとかすごいね」
「ええ。まあ、壁は高い方が燃えるタイプでしょうし、彼も」
「彼も?」


 首を傾げると、にこりと笑ってみせた白馬くん。なるほど、白馬くんもってわけかあ。なんだかわくわくしてきたぞ。捕まえちゃったら困るけど、来週が楽しみだ。横断歩道を渡り終え、歩行者信号も丁度赤に変わる。本屋さんは目の前だ。隣の彼にまた顔を上げる、と。


「なっ――!」


 え?白馬くんが後ろを向きながら驚愕の声を上げた。その視線の先を追うと、明らかな異変が目に飛び込んだ。電話ボックスの前で、人が倒れているのだ。「え、」頭が一瞬真っ白になる。その間にいち早く行動に移した白馬くんが横断歩道を引き返そうとするも、車道の信号が青に変わったあとだったため叶わなかった。


「クソッ…!さん、救急車と警察に連絡してください!人が撃たれました!」
「え…?!う、うん!」


 わたしの返事は聞いていなかっただろう。白馬くんは傘を放り投げ、右の方の少し離れたところにある歩道橋へと走り出した。急いでスクールバッグから携帯を取り出し、119を押す。う、撃たれた?てっきり急病とかだとばかり、ていうか、撃たれたって、撃たれたって。車で遮られる視界の向こうでは、倒れた男の人の周りに少しずつ人だかりが出きていた。

 信号が再び青になる頃には白馬くんは男の人の元に駆け寄っていた。横断歩道を渡っていくうちに眩暈を覚える。倒れた男の人の周りは血の海だったのだ。それには気にも留めず男の人のそばに膝をつき必死に声をかける白馬くんへ、ふらふらとした足取りで歩み寄る。本当は、近付きたくなかった。よくわからない。うまく考えられない。人混みを潜り抜け、白馬くんの後ろに立ちすくむ。中心にいるはずなのに喧騒が遠い。白馬くんの声だって聞こえない。

 夢、なんじゃないか、だって、こんな、目の前で、人が……。


「……え?」


 ポツンと漏らした声で我に返った。白馬くんのものだ。さっきまで呼びかけていた声を止め、倒れる男の人を凝視している。おそるおそる、わたしも覗き込むようにその人を見た。

 男の人は、白馬くんに何かを伝えるように左手を丁度胸のところへやり、服をぎゅうと握りしめていた。
 それが、最後の力を振り絞るようで、それから、力が抜けた。遠くから救急車のサイレンが聞こえる。


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