ノアズ・アークという音声プログラムが勝手に作り上げたルールによると、わたしたち五十人のうち一人でもゴールにたどり着けばわたしたちの勝ちだという。それまでの間にゲームオーバーになった子もみんな目覚めて現実世界に帰ることができる。代わりに、全員がゲームオーバーになったときは、特殊な電磁波を流してわたしたちの頭の中を破壊してしまうなどとのたまったではないか。
無邪気な少年の話にだんだんと不安そうな表情になっていく子供たち。わたし自身も、気味の悪い動悸がしていた。……これ、なんて悪い冗談?いや冗談にしてもタチが悪すぎるでしょ、子供たち怖がっちゃってるじゃんよ…。…というか本当に、冗談だよね?縋るように白馬くんを見遣る。神妙な表情の白馬くんが、わたしの視線に気付いて目を合わせた。情けない顔をしていたんだろう、白馬くんは理解したうえで口を開いた。


「僕たちの中枢神経に働きかけているのはすべて電気です。おそらくコクーンのシステムを稼働するために大量の電力が蓄えられているんでしょう。…なので、決して不可能な話ではありません」
「……!」


冷や汗が背筋を伝う。こんなのも現実と同じだ。そうだ、こんなことまでできるゲームなんだ。今コントロールされてるわたしたちの意識なんて、簡単に、壊せてしまう。ヒュッと息を吸う。喉元にナイフを当てられてるような感覚だ。怖い。
あれだ、あのときだ、レッドキャッスルで爆弾を腕につけてたみたいな…人質として無理矢理場外に連れ出されそうになったときみたいな……。


『つまり、日本のリセットを懸けた勝負というわけさ』


さっきまで違和感のない、自由な気分だった意識や五感が急に宙に浮いて、夢見心地になる。浮き足立っているのだろうか。誰かに完全に支配されてる気分だった。心臓は気持ち悪いし、身体も自由に動かない。紅子ちゃんが言ってたのはこういうことなんだろうか。早く自由になりたいと思ってしまう。『現実の世界の声はここにいるみんなには聞こえないけど、今大人から質問があったから答えるね』ノアズ・アークの声に隣で白馬くんが顔を上げたのが気配でわかった。気付くとわたしは俯いていた。ノアズ・アークが言ってることもうまく考えられない。


『君たちを見ていると、穢れた政治家の子供は穢れた政治家にしかならないし、金儲けだけを考えている医者の子は、やっぱりそういう医者にしかならない。日本を良くするには、そういう繋がりを一度チャラにしなくちゃ』


「……!」白馬くんが息を飲む。不安な気持ちのまま彼を見上げると、眉間に皺を寄せ、深く後悔しているような、辛そうな横顔が見えた。どうしてそんな顔をするんだろう。思って、顎を引く。


さん、紅子さん、すみません。また巻き込んでしまいました」
「え…?」


申し訳なさそうに謝る白馬くんはそれから、ここに集められた四十八人は将来、親や祖父母の跡を継ぎ日本の中枢を担う重役になることが想定されている者であること、それに立場上白馬くん自身もカウントされていること、ノアズ・アークの目的はその二世、三世を一掃することであると説明してくれた。そして、何も関係ないただの一般人であるわたしたちは、巻き込まれてしまったのだと。


「で、でもノアズ・アークは何でそんな…」
「それは…」

『ないよね。ヒロキくんの命を弄ぶ権利が、大人たちになかったように』


え? さっきまで不気味なほど優しい声音だったノアズ・アークが、途端に冷たく言い放ったのだ。「…ヒロキくん…?」眉をひそめる白馬くんは何かを思考しているみたいだ。話しかけない方がよさそう。単なるプログラムであるはずのノアズ・アークがどうしてこんなことできるのかとか、今現実の世界ではどうなってるのかとか、気になることはたくさんあったけど、知ったからといって解決の糸口になるとも思えなかった。ただわたしの不安を拭いたいがために白馬くんに質問責めをして時間を浪費させてしまうのはきっと得策じゃないだろう。


『さて、子供たちがお待ちかねだから、そろそろゲームを始めよう!』


またもやノアズ・アークの声に応えるように、わたしたちの目の前に巨大なモニターが現れた。『まず最初のステージ、ヴァイキング』画面いっぱいに岩肌が映し出され、「to ヴァイキング」と白文字が現れる。切り替わった映像では船に乗った男の人たちが映り、タイトルとノアズ・アークの説明の通り海賊として冒険をするだろうことが伝わる。そのあともパリ・ダカールラリー、コロセウム、ソロモンの秘宝と、映像とともに簡単な説明が入りステージの説明がなされていった。ステージはすべてオリジナルというわけじゃなく、有名な話に沿った内容になってるらしい。でも高校生のわたしでこそ聞いたことのあるタイトルからストーリーが何となく想像できるけれど、小学生には難しいんじゃないだろうか。パリ・ダカールラリーなんて、小学生が運転をするってことなのかな…。


『最後に、オールド・タイム・ロンドン』


ハッと緊張が走る。これだ、白馬くんが挑戦しようとしてる舞台。工藤先生がシナリオを手がけた、推理要素のあるストーリー。『ここでは、ホラーっぽいサスペンスを楽しんでもらう』タイトルから切り替わった映像は外国の薄暗い街並みを映し出し、警察官と思わしき男の人が倒れている女の人を発見していた。『1888年のロンドン。現実には迷宮入りとなった連続殺人事件の犯人、ジャック・ザ・リッパーを君たちの手で捕まえるんだ』映像はシーンが切り替わり、ジャック・ザ・リッパーと思われる人影が闇夜を駆けて消えていった。

五つのステージのデモ映像が終わるとモニターは消えた。ごくんと固唾を飲み込む。あちこちで泣き出しそうな子供の声が聞こえてきて、感化されるようにわたしの手も震えていた。…小学生も参加するからってどこか甘く見てた。どのステージも危険が伴うストーリーであることが、短い映像からも察せてしまえた。難易度がどんなものかわからないけど、ゲームオーバーという概念がある以上、リタイアが出ることを想定されてるゲームなのだ。それを小学生の子供たちが強いられているという事実に泣きそうになる。

わたしだって、全然自信ない。


「大丈夫ですよさん。一人でもクリアすれば、僕たちの勝ちなんですから」


白馬くんがそういってわたしの顔を覗き込む。そっと背中を支えるように手を添えた感触はとても優しいもので、「はくばくん…」わたしは不安な心臓のままでも、へにゃりと笑みを浮かべることができた。そうだ、白馬くんがいれば、ジャック・ザ・リッパーを捕まえることなんかちょちょいのちょいだ。そのためにわたしも、やれるだけのことはやるぞ!
「さ、頑張れそうなステージを選びましょう」近くにいた少女たちに声を掛け促す白馬くんに倣って、わたしも手近な子に頑張ろう頑張ろうと背中を押した。それが伝播したのか、子供たちはおそるおそるといったようにそれぞれ石造りのゲートへ集まっていった。ホッとしながらわたしたちも、オールド・タイム・ロンドンと文字が白く発光しているゲートへ移動する。子供たちは割と均等にばらけてると思ったけど、ここには一人もいなかった。みんな難しいと思ったのかもしれない。それにホラーとも言われたから、女の子には怖いかも。


「やっぱり探くんはここだよな」


後ろから聞こえた声に振り返ると、そこには諸星くんたちやんちゃグループがいた。どうやら彼らもこのステージを選ぶらしい。意外だ、彼らならコロセウムとかソロモンの秘宝とか、アクション系を好みそうなのに。


「なんだよ、結局アンタも来たのかよ」
「うん、友達に譲ってもらったの」
「へー。ま、俺は紅子さんがいりゃどうでもいいけど」


頭の後ろで手を組む滝沢くんの物言いに、非常事態なのもあってか妙にホッとしてしまう。カチンと来てたとこかもだけど、現実と同じ調子なものだから安心するなあ。紅子ちゃんに一緒に頑張ろーぜ!とたかる滝沢くんたちと戸惑う紅子ちゃんを眺めながら、宙に浮いていた不安感が薄れていくのを感じていた。もしかしたら現実逃避してるだけなのかもしれないけれど。


「アンタどうせ馬鹿だろ。足引っ張んなよな」
「ぐ…」


そばで同じように見ていた諸星くんが横目でわたしを見、鼻で笑った。む、むかつく…!ほんとのことだから言い返せない自分が憎い!「秀樹くん」咎めるような白馬くんの声にハイハイと適当に返事する諸星くん。白馬くんの言うことは一応聞くみたいだけど、また素直のベクトルが違うから困った。


「えっと…あなたたち、どうしてここを選んだのかしら?」
「あー、なんか諸星がこっちだって言うからよ」
「そりゃそうだろ、探くんがいんだぜ?どう考えてもここが一番生き残る確率高いだろ」


紅子ちゃんたちの会話を聞きながら苦笑いをしてしまう。確かにこれは単なるゲームじゃない。ストーリー・一緒に戦うメンバーを勘案して、ゴールに辿り着く確率が一番高いところに来るのは賢い選択といえるだろう。わたしが諸星くんの立場でも、年上で頼りになる白馬くんについてくと思う。


「光栄です。一緒に頑張りましょうね」
「当たり前じゃん。頼りにしてくれていいぜ?」


親指を自分に向けて不敵に笑う諸星くん。さすが警視総監の息子と副総監の孫というべきか、二人が並ぶとオーラがあるなあ。

結局、オールド・タイム・ロンドンを選んだのはわたしたち七人だけだった。五十人が五つのステージに分かれると考えるとやや少ないけれど、年齢層はどこよりも高いと思うので戦力としては申し分ないだろう。


『各ステージにはお助けキャラがいるから、頼りにするといいよ。では、ゲームスタート!』


ノアズ・アークの合図で白馬くんが石造りのゲートをくぐる。それにわたし、紅子ちゃん、諸星くんたちが続く。ゴツゴツした灰色の石の一本道をしばらく歩くと、今度は四角く切り出された岩のゲートがあった。人が通る部分は白いもやのように発光していてくぐる先は見えない。非現実的な演出に得体の知れない不安感がぶり返すけれど、白馬くんは物ともせずその光へ手を差し入れた。ジジジと電気の擦り切れる音がする。


「は、白馬くん大丈夫…?」
「大丈夫ですよ。僕に続いて来てください」


にこりと笑みを浮かべた白馬くんはそう言って足も踏み入れ、光のもやへと身体を潜らせていった。置いてかれる気がしたわたしは白馬くんが完全に見えなくなる前に慌てて手を伸ばす。やっぱり電気の擦れる音がするけれど、身体に触れる感触は何もない。ぎゅっと目を瞑り、大きく一歩を踏み出した。


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