目を覚ますとわたしたちは不思議な空間にいた。今立ってるのが黄土色の石畳の上だということはわかるけれど、円状の地面より外は暗闇になっていて何があるかわからない。もしかすると壁になっているのかもしれない。
辺りを見渡してすぐ、周りにいる小学生たちがコクーンの体験者だとわかった。みんな一人残らず左胸にコクーンの体験バッジをつけているのだ。そうでなくてもさっきあったことを思い出せば、ここが仮想空間であることは合点が行く。「……」ようやく自分の立場を認識できたところで、両手をグーパーと力を入れてみた。違和感はない。


「…すごいね!普通に現実と一緒じゃない?」
「そうですね。意識も思考も制限なく、違和感も特にありませんし」
「……」


この興奮をすぐ近くにいた白馬くんや紅子ちゃんに伝える。コクーンのカプセルには三人横並びに入ったので、仮想空間にもそのまま転送されたみたいだ。ぐるぐる腕を回しながら、セレモニー内で行われたデモンストレーションの解説を思い出す。なんだっけ、カプセルに入ったときに頭に装着したヘルメットから電気が流れて、中枢神経に働きかけて人の五感を司るんだっけ?そうだ、わたしたち今催眠状態なんだよなあ、夢を見てるってことなのかな。それにしては白馬くんの言う通り、意識もはっきりしてるよ!


「感覚もちゃんとあるしね!」


隣にいた白馬くんの腕をポンと叩くと、白馬くんがキョトンと目を丸くした。あ。な、馴れ馴れしかったかな?!慌てて何か言おうと口を開く。と、白馬くんはにこりと笑って「はい。ちゃんとありますね」と返してくれた。ちょっとホッとする。そういえば、普段そんな触ったりしないから。他意はなかったんだ、興奮のあまり…。恥ずかしくなってあははと頭を掻いてごまかす。……どきどきするのも現実と一緒だあ。


「あ、ねえ紅子ちゃんはどう?」


居た堪れなくなって紅子ちゃんに助けを求めると、彼女は大粒の赤い目だけをわたしに向けた。さっきからそばにいたけれど仮想空間に対する感動は三人の中で一番少ないようだ。デモンストレーションのときは一緒に興味津々だった気がしたけど、何かお気に召さなかったのだろうか。今もどうしてか首に掛けたネックレスを握り込んでいるし、わたしと目が合うまで険しい顔をしていたように見えた。


「…ネックレスどうかしたの?」
「え?い、いいえ、何でもないわ」
「そう…?」
「誰かに神経すべて支配されてるって状態がちょっと落ち着かないのよ。どんなものかと思ってたけれど、あんまり気分は良くないわね」


腰に手を当てフンと鼻を鳴らす紅子ちゃんになんだあとクスクス笑ってしまう。紅子ちゃんらしいなあ。確かに普段全校の男子生徒を魅了してる紅子ちゃんが機械なんかに意識を預けてるなんて、慣れないことに違いないや。ぐっと拳をつくる。


「じゃあ早くゲームクリアできるように頑張ろう!」
「そうね…」
「といっても謎解き要素があるみたいだし、わたしたちには白馬くんがいるから楽勝だねー!」
「あら、そうなの?」


二人してくるんと白馬くんのほうに向くと、彼はああ、と思い出したように「ゲームには五つのステージがあるみたいですよ」と告げた。な、なんだと?!初耳に驚いてしまう。


「そうなの?!」
「すみません、言ってませんでしたね。もっとも、僕もどんな舞台なのかは知らないんですが…」
「じゃあ工藤先生が言ってたのは…?」
「おそらく五つの世界のうち一つを手掛けたのでしょう。僕もその世界に行くつもりです」
「ジャック・ザ・リッパーが出てくるのね」
「…ええ」


紅子ちゃんの言葉に白馬くんが目を細める。人知れず、ごくりと唾を飲み込んだ。
カプセルに入る前に聞いた、事件のヒントと思われる殺人鬼だ。白馬くんは事件を解決するため、工藤先生が手掛けたゲームに挑戦するのだ。純粋に楽しめるはずのゲームが事件のせいでそれどころじゃなくなってしまった。そもそもこのゲーム自体、中止にするべきなんじゃないだろうか。うっすら思ったけれどわたしが言ってもしょうがないので口にはしなかった。


「まさか犯人がジャック・ザ・リッパーなわけないでしょうし。ダイイングメッセージの意図、わかってるの?」
「いえ、まだ。ですが被害者の残したものがゲームと関係しているのなら、参加しないわけにはいかないでしょう。ましてや中止にはさせませんよ」
「意外とのん気なのね、あなた…」


呆れたと言わんばかりに溜め息をつく紅子ちゃんに肩をすくめる白馬くん。「すでに警察が出入り口を封鎖してますし、外部犯でない限りこのゲームが終わるまで犯人は逃げられませんよ」そう言った白馬くんがさっき事件の説明をしてくれたとき、被害者が地下室を控え室にしていたのを知ることができるのは内部の人間に限られているということを根拠に、外部犯の可能性をあまり考えてないことを教えてくれた。わたしもジャック・ザ・リッパーというダイイングメッセージについて考えてみたけれど、今回の被害者は男性だし、連続殺人という意味かと思ってもピンとこないし、ジャック・ザ・リッパーとの共通点はまったく思い浮かばなかった。本当にこのゲームを通してわかることがあるのかなあ…白馬くんにはわかってもわたしには絶対わからない気がする。うう、後ろ向きはよくないけど…。


『さあ、コクーン初体験のみんな、ゲームの始まりだよ』


どこからか聞こえた声に顔を上げると、いつの間にか頭上で大きな虹色の輪が点滅していた。その少年のような声を合図に、コクーン参加者のわたしたちを取り囲むように五つの石造りのゲートが現れた。きっと五つのステージに繋がる入り口なんだろう。


『僕の名前はノアズ・アーク。よろしくね』


どうやら声の主は虹色の輪みたいだ。少年の声に合わせて点滅を繰り返すそれへ向けて、周りの子供たちが元気よく挨拶した。みんな未知の体験にわくわくしてるのが伝わってくる。わたしも、結構楽しみにしてるぞ!でも「随分若い声ね。子供かしら?」「今回の参加者が僕たち以外小学生ですからね。案内の音声プログラムを対象年齢に合わせてるのかもしれません」着眼点がいちいち冷静な二人の隣で小学生に混ざってわいわいやるのが躊躇われるんだなあ!


『今から五つのステージのデモ映像を流すから、自分が遊びたい世界を選んでほしい。でも、一つだけ注意しておくよ。これは単純なテレビゲームじゃない。君たちの命が懸かったゲームなんだ』


「ん?」今なんて言った?達観していた白馬くんたちも訝しげに頭上の輪に顔を上げたみたいだ。命が懸かったゲーム?わたしたちの?大袈裟な表現にどう反応していいのかわからなかった。

声音は依然明るい案内人(ノアズ・アークだったっけ)は、わたしたちを諭すように丁寧な話し口調で続ける。


『全員がゲームオーバーになっちゃうと、現実の世界に戻れなくなっちゃうんだ。…だから真剣にゲームをしなきゃね』


笑みさえ浮かべていそうな少年の声に、背筋がゾッとする。


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