フリーズしたのは一瞬で、わたしはすぐに我に返って少年へ詰め寄っていた足を戻した。ついでにビシッと直立する。危ない、年下の子に本気で怒ってるのを目撃されるところだった。そんなとこ見せたくない!
白馬くん(と男の人)の登場で一気に冷えた頭で、わたしは彼らが正面二メートルほどあけた場所で立ち止まるのを待った。…さっき「秀樹」って呼ばれたのは、色黒の少年かな。よく考えたら、この子がわたしにボールぶつけたとは限らないんだよなあ。もしかしたら周りにいる茶髪の子とか、ちょっと太った子とか、細身の上品そうな子が蹴ったボールかもしれない。四人でサッカーしてたのは間違いなさそうだけど。頬の内側を舌でぺろっと舐めると血の味がした。やっぱりちょっと切れてる。このまま口内炎になったらやだなあ。


「探くんじゃん」


パッと振り向く。隣に立ったままの、色黒の男の子の声だった。彼は視線に気付いてこちらを一瞬見遣ったけれど、すぐ正面に向き直した。わたしも目を丸くしたまま、それを追う。白馬くん。正面二メートル前で立ち止まった、白馬、探くん。


「イギリスから帰ってきてたんだ」
「ええ、お久しぶりです秀樹くん」


白馬くんは親しげに少年に笑いかけてからわたしに向き、「秀樹くんといたんですね」と笑う。状況が飲み込めないわたしは固まった表情筋のままうんと頷くだけだった。知り合い?この子と白馬くんが?瞠目するわたしから目を逸らした彼が「紅子さんは…」と辺りを見回したので、あっと声を上げる。「今、ちょっと、」何て言うべきか逡巡して結局下手なごまかし方をしたら白馬くんはお手洗いか何かと勘違いしたのか、ああ、と呟いて、今度は一緒に来た男の人に向き直った。黒の蝶ネクタイに暗い色のスーツを着たその人はおじさんと呼ぶのもはばかれるほどいかつい顔をしてオーラを放っている。怖くてあんまり見てられなかったのが本音だった。


「諸星副総監、こちらが友人のさんです」
「ああ、こちらが。諸星です。よろしく」
「えっはっはい!です!」


白馬くんの突然の紹介にお辞儀をする。……い、今、副総監って言った?副総監って何だ?まさか、まさか……。それで少年を名前で呼んでたのはまさか……。
ハッとして隣の少年を見る。

……警視副総監の子?!

向こうも驚いてたらしい。お互い信じられないって顔で目が合った。


「それにしても、秀樹くんのことは話してませんでしたよね?どうして…」
「えっ!あ、ちょっとそこで会って!ねー!」
「……」


少年(諸星秀樹くんというらしい)の顔を覗き込んで言う。まさかほんとのことは言えないので、ごまかす作戦にでたのだ。白馬くんと白馬くんの知り合い、しかも警視副総監を目の前にして、その息子さんがボールぶつけてきたなんて言いつける度胸はなかった。白馬くんは気付いたのか気付いてないのか、わたしたちを交互に見たあと「そうですか」と返すだけだった。その間に副総監のほうは諸星くんの周りにいた少年たちと何か話していて、それが終わると白馬くんに声をかけた。


「それじゃあ探くん、滝沢議員たちにも挨拶しに行こうか」
「はい。さん、もう少し待っていて頂けますか?」
「うん!」


頷くと白馬くんはふっと笑って、副総監とまたどこかに行った。人ごみに紛れ姿が見えなくなるまで手を振るわたし。白馬くんすごいなあ、議員さんにまで挨拶するんだ。「滝沢の父ちゃん来てたのか」「おまえのじいさんと一緒にいるぜ、多分」後ろで少年たちがコソコソ話していたけれど聞こえはしなかった。


「探くんの友達だったのかよ」


わたしに声をかけてきたのはやはり色黒の少年だったけれど、手を止め彼を見るとどこか不満げだったので首を傾げてしまう。「ボールぶつけてきたのお父さんに隠したのまずかった?」でも結果的に彼は怒られずに済んだんだからよかったんじゃないか、思ったけれど勘違いだったようだ。


「父さんじゃねーよじーちゃんだよ」
「あ、そうなんだ…」
「つーか庇ったつもりかよ?」
「え、いや、白馬くんに喧嘩してたなんて思われたくないからってだけだったんだけど…」


あははと頭を掻く。さすがにもう腹の虫はおさまっていた。とりあえずここでサッカーはやめたほうがいいよってだけ言って別れようかなあ、いい加減紅子ちゃん探さないとだし。とか思ってると、「…フーン?」諸星くんが片方の口角を上げて笑ってるではないか。嫌な予感。


「アンタ、探くんのことすきなんだろ」
「?!」
「俺が本人に言ってやろーか?アンタじゃ結果は見えてるだろーけど」
「こ、こいつ〜…!」


なんて憎たらしい笑みを浮かべるんだ!庇われたと思ったくせにその態度!無駄に察しがいいのは副総監譲りかっ!「ボール避けらんねえくらい鈍クセーしな」「ぶつけてきた人に言われたくないよ!」ギャアギャア騒ぎだす諸星くんとわたし。周りの三人も面白そうに見てるみたいだ。はっ、まさかこの三人も警察の関係者の子供なんじゃ…!にわかに戦慄し彼らへ目を向けた、瞬間、視界に待ち人が。


「紅子ちゃん!」
「…!」


きょろきょろ辺りを見回していた紅子ちゃんを大声で呼ぶ。彼女はわたしを見つけるなりホッとしたように息をついて駆け寄ってきた。深い緑のドレスが揺れる。


「やっと見つけた…!」
「よかったー!大丈夫だった?」
「ええ…ごめんなさい、ちょっとしつこい人が一人いて…」
「そうなの?!も〜次そんな人来たら、わたし追っ払うよ!」
「まあ、頼もしいわ」


にこりと美しく微笑む紅子ちゃんにわたしも満足して、グッと親指を立てて笑う。いざとなったら手を繋いで逃げようね、と提案する前に、「あら」紅子ちゃんはやや目線を下げたみたいだった。…あっ!


「知り合い?」
「…!」
「あ、この子たちね、さっき…」
「は、初めまして…」


わたしが説明する前に礼儀正しくあいさつをする少年たち。あれ、なんか態度全然違くないか?!さっきはわたしのことめっちゃバカにしてたのに、今は借りてきた猫みたいにおとなしいぞ!心なしかポケーッとしてるし、頬も赤いような…。


「私、菊川清一郎と申します。失礼ですがどちらのご令嬢で…?」
「は?」
「あ、紅子ちゃんも白馬くんの招待客だよー…」
「えっ?!」


細身の男の子が恭しくお辞儀して自己紹介する。菊川くんというらしい。諸星くん以外の子の名前初めて知ったよ。しかも紅子ちゃんをどこかのご令嬢だと思ってる。そう思っちゃうのはわかるから、違うよってことを教えてあげた。するともれなく四人が驚いたようだった。


「品のある素敵な女性ですね」
「なー!」


わっと紅子ちゃんにたかる三人。さっきの男の人たちのバリケードを見たあとだから可愛いものだ。紅子ちゃんのほうが背が高いからバリケードって感じにも見えないし。それに紅子ちゃんは本当に品のある素敵な女性だもんね。にこにこしながら頷くと、一人だけその場を動かなかった諸星くんが、わたしにコソッと耳打ちしてきた。


「アンタとは大違いだな…」
「ぐ…それは否定しないけども」


思わず苦い顔をしてしまう。そもそも紅子ちゃんとわたしを同じ土俵で見ないで頂きたい!さすがに惨めになるので!こんなに可愛くて綺麗で優しくて頼りになる女の子、ほかに知らないものね。本当に、紅子ちゃんと友達になれたのは人生のハイライトだと思うよ。同時に白馬くんと仲良くなれたのも、「つーか探くんの知り合いって、」続いた諸星くんの言葉に目を向ける。


「アンタ残念だな。どう考えても探くんとこの人のほうがお似合いだぜ」


「……」相変わらず小馬鹿にしたような表情の諸星くん。反対にわたしはこのとき、どんな顔をしてただろう。努めてどんな顔をすればいいのかもわからなかったから、もしかしたら思ったことがそのまま出てたかもしれない。それを見た諸星くんもあからさまにしまったという顔をして、「おまえら、向こうでミニゲームやろーぜ」わたしから逃げるように彼らに声をかけて行ってしまった。


「結局あの子たち何だったの?」


去っていった少年の集団に一つ溜め息をついた紅子ちゃんがわたしに一歩近寄る。それを俯いたまま察する。


「…?どうしたの、そんな暗い顔して」


肩に手を置かれ、ハッと顔を上げる。ああいけない、心配かけちゃあ。大丈夫だよ、と下手に笑うと紅子ちゃんは眉をハの字にして首を傾げたけれど、わたしは今度こそ努めて笑顔を作ったのだった。間に受けるもんじゃないのになあ、でもそれが客観的に見たわたしたちなのだ。無視もできなかった。


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